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荀子 巻第十一彊国篇第十六 2

威に三あり。道徳の威なる者あり、暴察の威なる者あり、狂妄の威なる者あり。この三威は孰(熟)察せざるべからざるなり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

暴→①あばれる。あらす。あらい。あらあらしい。はげしい。
察→①あきらか。あきらかにする。よくみる。くわしく調べる。しる。③かんがえる。調べ考える。
狂妄→常軌を逸した、道理に反する行いをすること。また、そのさま。
ざるべからず→二重の否定によって、強い義務や命令の意を表わす。…しないわけにはいかない。…しなければならない。
拙訳です。
『威厳には三つある。道徳による威厳、暴慢を抑える威厳、常軌に反する威厳である。これら三つの威厳は熟考しなければならない。』

礼楽は則ち脩まり、分義は則ち明かに、挙錯は則ち時にし、愛利は則ちのり(法)あり。くの如くなれば百姓はこれを貴ぶこと帝の如く、これを高しとすることは天の如く、これに親しむことは父母の如く、これを畏るることは神明の如し。故に賞の用いざるも而も民は勧み、罰の用いざるも而も威は行わる。夫れ是れを道徳の威と謂うなり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

脩→②おさめる。おさまる。ととのえる。
分義→分限。分限→④ある物事の可能の限度。また、その能力や力。
挙錯→②たちいふるまい。行動。挙手。
愛利→利を好む。
拙訳です。
『礼と楽を整え、能力や力は明らかにされ、行動は時節に適し、利を好むも法の範囲で行う。このようであれば民衆は、帝王のように尊び、天のように高く敬い、父母に対するように親しみ、神のように畏敬する。だから賞さなくても民衆は進んで励み、罰を用いなくても威厳は行き渡る。このようなことを道徳の威厳と言うのである。』

礼楽は則ち脩まらず、分義は則ち明かならず、挙錯は則ち時ならず、愛利は則ちのりあらず。然れども其の暴を禁ずることは察に、其の服せざるものを誅することはつまびらかに、其の刑罰は重くして信あり、其の誅殺は猛にしてひつし、あん(奄)ぜんとしてこれを雷撃するがごと(如)くこれを牆厭しょうあつ(圧)するが如し。くの如くなれば百姓はおびやかさるるときは則ち畏れ致すもゆるやかなるときは則ち上におごり、とらこうせらるるときは則ちあつまるも閒を得るときは則ち散じ、敵中にするときは則ち奪う。これを刧すに形埶(勢)を以てするに非ず、これをうご(動)かすに誅殺をもってするに非ざれば、則ち以て其の下をたもつことなし。夫れ是れを暴察の威と謂うなり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

黭→にわか。事の急におこるさま。俄然。卒然。
雷撃→①落雷すること。かみなりが落ちること。
牆→かき。かきね。まがき。へい。かこい。
厭→③おさえる。おさえつける。
閒→すきま。へだたり。うかがう。すきをねらう。スパイ。
敵中にするときは則ち奪う→(注より抜粋)久保愛は誤りがあろうといい、『韓詩外伝』六の引用ではこの句がない。一応ここでは省略しておく。
形勢→③勢力・権力のあること。また、その人・その地位。
拙訳です。
『礼と楽は整わず、能力や力は明らかにされず、行動は時節に適さず、法の範囲を超えて利を好む。しかし暴慢を禁ずることは明らかにして、服従しないものを懲らしめることは細かいところまではっきりさせ、その刑罰は重くて信用があり、死刑は猛々しく必ず行われ、突然雷が落ちるようであり、塀に押さえつけるようである。このようであれば民衆は脅かされるときは恐れるが、緩やかであれば上を甘く見て、捕らえ拘束されれば集まっているが、すきがあれば逃げ散ってしまう。民衆を脅かすのに権力を用いるのではなく、民衆を動かすのに誅殺をもってあたらなければ、国を保つことが出来ない。これらを暴慢を抑える威厳というのである。』

人を愛するの心なく、人を利するの事なくして、日々に人を乱るの道をし、百姓の讙敖さわがしければ則ち従いてこれを執縛しこれを刑灼して人の心を和せず。是くの如くなれば下は比周し賁潰(奔散)して上を離る。傾覆滅亡は立ちどころにして待つべきなり。夫れ是れを狂妄の威と謂うなり。
此の三威は孰察せざるべからず。道徳の威は安彊を成し、暴察の威は危弱を成し、狂妄の威は滅亡を成すなり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

執縛→罪人などに縄をかけること。 縄でしばること。
灼→①やく。あぶる。
和→②なかよくする。争いをおさめる。
比周→ 徒党を組むこと。悪い目的をもってぐるになること。
奔散→逃げはしって離散する。
拙訳です。
『人々を愛する心を持たず、人々が得をするようにせず、毎日人を乱すような事を行い、それで民衆が騒げばそのものを捕らえ縛り火あぶりの刑にして、人々の心をなごませることをしない。このようであれば民衆は徒党を組んで為政者から逃げ散ってしまう。世の中がひっくり返り滅亡するのをただ待つだけである。このようなことを常軌に反する威厳と言うのである。
以上の三つの威厳については熟考しなければいけない。道徳の威厳は安全で強い国を形成し、暴慢を抑える威厳は危うく弱い国を形成し、常軌に反する威厳は滅亡を招く。』

『威のある人』とよく言います。改めて『威』とはなんでしょうか。
威→①自然に人を従わせるような厳かさ。威厳。②人を恐れさせる強大な勢力。武威。
調べた辞書には二つの『威』がありましたが、荀子は三つあると言っています。荀子が言う「道徳による威」は、辞書の①が近いですね。「暴察による威」は辞書の②が近しいです。「狂妄による威厳」は辞書に載せられないほど劣悪な威ということでしょう。
自然に人が従ってくるようになるには、日ごろから道徳を身に着ける努力が必要です。あの国の大統領に早く気づいてもらいたいです。

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