It's a small world!

独立して以来、いろいろな人とのつながりの増え方が急加速していて、自分でも何がなんだかわからない感覚になってきた。

世の中にはまだまだ出会えていない、でも出会ってしまったらものすごくはまる、そういう人がまだゴロゴロいるのだろう。

楽しみでもあるが、恐ろしいことでもある。そういう人々にちょっとした偶然で出会えたり出会えなかったりするというのは。そんなので決まっていいのかとも思う。

リクルートにいたころは実は全然そんな感覚がなかった。リクルートは(まるで阪神ファンのような)凝集性の高い、結束力の高い組織だったので、今から思えば自分は内向きな人間であった。

ほぼ毎晩飲んでいたがほとんど社内の飲み。人事だったからというのも大きいと思うが、じゃあ今のように他社の人事の方と飲んでいたかというとそうでもなかった。

そうやって日々を過ごしていたので、中の人とはかけがえのない絆を持つことができたように思うが、一方で外の世界からはどんどん隔離され、多少幻想の上で生活しているような人間になりかけていたかもしれない(ただ、ご存知の通り、リクルートは人材流動性が高いので、社内のつながりはそのまま社外のつながりになっていったのですが。その強い結束のままで)。

ある人と強い関係性ができると、ネットワークはそこで閉塞する。それは強い関係性こそが人が求めて止まない「目的」だからだ。目的地に到達すれば、もうどこかに歩いていく必要はない。

強い関係性からは様々なものが得られる。安心、自信、快楽、希望、愛・・・人生の目的のほとんどすべてが手に入る。これを手に入れるために多くの人は苦心して日々を生きている。

だから、欲望が充足されれば足は止まる。そうしてすべての要求が満たされる繭の中で、自己満足に浸りながら年月は過ぎていく。ただ、それが永遠に続くのなら良いが、そんなことはあるはずもない。偶然に出会ったものは、また偶然によって離れていく。人生には交差点か平行線しかないのである。

繭の中が快適であればあるほど、繭から出たときに、変わり果てた世界に突き飛ばされた浦島太郎のように呆然とするしかない。繭の中に最適化してしまっていればいるほど、新しい世界には溶け込みにくい。残酷な仕組みを神様は作ったものだ。

一方、それほど強くない関係性、弱い関係性しか人とつながれていない場合、その人は目的を探す旅の歩みを止めることはないだろう。ここではないどこかを探して、次の関係、そのまた次の関係と、渡り歩くことになる。

これが「弱い関係」がネットワークを広げる理由かもしれない。満たされない者同士が渇き、孤独感を癒そうとつながっていく。とてもせつない理由だ。

しかしこの渇望、孤独感によって作られた道、人の道があるからこそ、この広い世界のどこかにいるはずの、人生の目的である強い関係を結べる相手とつながることができるのだ。この道がなければ、あの人には辿り着けなかった、と。

満たされることで閉塞し、喪失することで解放され広がっていく。そしてまた満たされれば再び閉じこもる。

この運動を繰り返しながら、人間は孤独感の道路を世界中に敷き詰めて、世界をまた小さくしていくのだ。

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