見出し画像

コロッケで、じゃんけんをする【10月】


はじめに


8月の終わりに、福島県の南相馬市から、神奈川県の葉山町に引っ越した。

「葉山ではなにをしているの?」と聞かれたら、「暮らしている」と答えている。

徒歩10分で海があり、美味しいパン屋さんやコーヒー豆屋さんがある。そして、男子5人とシェアハウスをしている。

毎月、このシェアハウスでの暮らしや、それに紐づく出来事、そしてわたしの一ヶ月を、日記の延長線として、書いてみようと思う。


画像1


コロッケで、じゃんけんをする


葉山に来てからの変化と言えば、自転車移動が当たり前になったこと。大好きだったコンビニに、遠いので行かなくなったこと。体型を気にせず水着が着れるようになったこと。しんどくても夕日を見れたら最高と思えること。

ポジティブな変化がたくさんあるけれど、一番変わったことであり、この家の大好きなところ。それは、毎日ご飯をおいしく食べる家族がいること。


夕ご飯だけじゃない、お昼もつくって食べるのだ。

わたしを含む6人中5人が、リモート可なので昼間も家にいることが多い。12時を過ぎると、仕事の手を止めて、味噌汁をつくる。そして、ご飯と納豆と、誰かが一品つくれるときはつくる。おかずがなかったとしても、すごく幸せに思える。

夜も、仕事が早く終わったひとがつくる。最近は、わたしがつくることが多い。自分でいうのもなんだけど、料理は得意だと思う。


わたしは一人っ子で、18年間父と母と3人暮らしだったので、6人家族、しかも食べ盛りの20代男子と暮らしていると、驚くこともたくさんある。

唐揚げ用の肉2キロはあっという間になくなる。ご飯は毎晩6合炊かないと足りない。急いでご飯をかき込むので、箸は簡単に、折れる(笑)

でも、おかずやご飯の量が足りないときですら、食卓は楽しい。余った唐揚げをかけて、じゃんけんをして、負けたときは人生終わったかのように落ち込む。ご飯はひと晩に何回も炊いて、待ちきれなくて炊飯器を開けてしまい、まだ固い米を「早すぎた~~~」と言いながら食べる。その時間が大好きだ。


わたしがご飯をつくるときは、みんな走って、パソコンと向き合っていた自分の部屋からキッチンへ来て、楽しそうにご飯をよそう。食べながら、何度も何度も「おいしい」と言ってくれる。

「これ、なにが入っているの?」と聞いてくれる同居人もいる。わたしにとって食べることは、「知る」ことの延長、知的好奇心も満たしてくれるものだから、そうやって味わってくれるのも、うれしい。

そして、「あぁ、おいしかった~。またつくってくれへん?」という。

その言葉を聞いて、今日も1日、幸せだったなぁと思う。


わたしにとって、この家で暮らすことと食べることは、切り離せない。

シェアハウスだけれど、ただ住む場所をシェアしているだけとは思えない。ひとに紹介することがあるとすれば、きっと家族だと言うだろう。毎日食卓を囲むことが、きっと家族だと思う理由だ。


食卓を囲むなんて当たり前じゃない?と思うひともいるかもしれない。けれど、わたしたちくらいの年齢(20代半ば)だとひとり暮らしの方がきっと主流だし、シェアハウスをしていても、生活リズムがバラバラだったりして、なかなか「みんなで食卓を囲む」ということはないと思う。

自分の育った家を出て、いわゆる「家庭を持つ」ようになるまでの期間、そんな風に過ごせることはめったにないんじゃないだろうか。


そして、最近別れたパートナーとは、食事にまつわる価値観が違って、別れた(理由はそれだけではないけれど)。過ごしてきた環境が違うと、こんなにも食事の意味合いが違うのかと驚いた。

わたしの実家は新潟ということもあって、食が豊かだったうえに、母は抜群に料理が得意だったので、毎晩何品もつくってくれたし、グリーンカレーとか、ちょっと変わったものもつくってくれていた。

だから、食卓が豊かであることはわたしにとって当たり前だったし、「これは〇〇さんちのおばさんからもらって…」とか「これはなにが入ってるの?」とか、食卓に並ぶ食べ物にまつわる話をしながら、家族3人で食事をすることが、とても幸せな時間だったのだと思う。

一方、パートナーの家はきっと、お母さんが夜勤のある仕事をしていたり、あまり裕福な家庭ではなかったりしたこともあって、わたしのように「食卓を囲む」ことが普通ではなく、食事にまつわる原体験が少なかったのかもしれない。

今話題の「親ガチャ」のように、家庭環境は選べない。それに、対話を通して価値観の違いを乗り越えることを目指してはじめた関係だったから(詳しくはこちら)、そんな彼をどうしたら受け入れられるか、ずっと考えてきた。

けれど、わたしが「おいしくつくれた!」と思ったご飯も、彼がなにも言わず淡々と食べていたとき、何品かつくって、ありがとうよりも先に「こんなにつくらなくていい」と言われたとき、心では泣いていたのだと思う。今考えると、彼にとって食事は、お腹を満たすだけの行為に過ぎなかったのかもしれない。

そうやって、わたしにとって一番幸せなはずの食事の時間が、どんどんと楽しめなくなっていった。以外のことに関してもきっと、自分の幸せよりも彼に嫌な顔をされない行動を知らず知らずのうちにしてしまっていて、自分の幸せな時間を諦めて過ごしていたときに、この家に来た。

この家では、みんながわたしのつくったものを毎回「おいしい、おいしい」と言ってくれて、ひとと一緒に食卓を囲む時間を持てるようになって、「あぁ、わたしにとっての幸せはこれだ」と、自分を取り戻すことができた。

「そいちゃんのご飯をおいしく食べてくれるひとと、一緒にいられるといいね」と言ってくれたひともいた。ほんとうに、その通りだと思う。わたしが幸せだと思うものは、わたしが守らなきゃいけないものだ。

そんな彼ともお別れをして、今は楽しく、毎日泣いていたわたしが、毎日笑って、6人家族で暮らしている。


これを書いている今日は日曜日。

午後少し昼寝をして、起きたあとは散歩がてら、コーヒーがすきな同居人ふたりと豆を買いに出かけた。秋の夜風を浴びながらの散歩は、それだけで幸せだなぁと思える。スキップをした。

今日の晩ご飯はコロッケだった。10個入りをひとつしか買わなかったので、ひとり1.5個食べて、残りのひとつはじゃんけんで勝ったひとがかっさらって、負けたみんなでしょんぼりした。次は3パック買おうね。

LINE_ALBUM_刻ちん刻_211028


おまけ

毎月、晩ご飯にわたしがつくってみんなが喜んでくれもの一覧も添えようと思う。

〔今月のみんなが喜んでくれたもの一覧〕
・グリーンカレー
∟グリーンカレーペーストを使うと簡単につくれる。ナンプラーとココナッツミルクで、お店の味に。
・レモンカレースープ
∟ダイエットスープレシピに載っている。レモンとカレーの愛称は抜群。プラスチックのお椀ににおいがついて、1週間くらい味噌汁からカレーの味がした。
・青椒肉絲
∟豚肉が主流みたいだけれど、わたしの実家では毎回牛肉だったので、今回も牛肉で。クックドゥを使わなくても意外と簡単。
・れんこんのきんぴら
∟お酢が入っているのがすき。鷹の爪も忘れない。
・かぼちゃの煮物
∟レンジでチンして、早く煮えるように。寒くなってきたので、ほくほくと食べよう。
・じゃがいものニンニクソテー
∟男子5人が大好きなニンニク。ビーフシチューをつくった日に、ビーフシチューをつくりながら、あまりにお腹がすいて、ビールを飲みながらつくったおつまみ。ニンニクは思ってる倍いれる。
・葉山コロッケ
∟揚げただけだけど。けっこううまく揚げられた。旭屋肉店で売っている葉山コロッケ。なにが他のコロッケと違うのかわからないんだけれど、なんだかとてつもなくおいしい。


読んでいただきありがとうございます。サポートいただいたお金は、ちょっと元気がないときにおいしいものを食べるために使います。