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一週遅れの映画評:『仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』後退でもなく、忘却でもなく、承前として。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』です。

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 そもそもの話として『仮面ライダー』は仮面ライダーがかっこよければそれでもう満点なんですけど、そういった意味で『仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』は文句なしですよ。それだけで見に行って問題ないくらい。
 
 それでね、えーと私はNHKの『ピタゴラスイッチ』でやってた「ブラックボックス人問題」ってコーナーが……このコーナー名、なんかヤバイ感じもちょっとありますがw大好きだったんです。たぶんググると、えっと推奨はしないけどいくつか動画がね、まぁまぁまぁ、ね、そういう感じなんですけど。
 例えば「E」って形のブロックがそのブラックボックスを通過すると「E」って形で出てくる。「3」」って形のブロックがそのブラックボックスを通過すると「E」って形で出てくる……この箱の中身はどういった仕組か?というクイズ形式のコーナーなんだけど。
 私にとって「心」ってそういうもんなのね。
 
 入力に対して出力を返す、その変換装置が「心」で私たちは決してその中身を覗けない。だから出力結果からその中身を推測するしかなくて、「好き」って言って「好き」が返ってきたら「ああこの人は私のことが好きなんだな」と判断することしか人間同士でもできない。結局それが単純であれば機械やプログラミングっぽくなるし、複雑なら「なんか心があるっぽい」と判断する。
 だからテレビ版『ゼロワン』における「ヒューマギアに心はあるのか?」っていう話に対して「ブラックボックスを複雑化したらそれに見分けはつかないし、それで困ることはない」というのが私の立場で、ひいてはプログラミングされたもの相手にも、何か「人格-のようなもの」を感じてしまう/感じることができるのが、人間の愚かで間抜けで、そしてものすごく愛しい機能だと思ってるんです。
 
 ただそれを仮面ライダーという作品のなかで十全に描き切るのは難しかったようで、『ゼロワン』はヒューマギアに心はあるのか/心を手に入れるシンギュラリティとは?という部分に対して迷いの多い作劇がされていたように見えました……いや、そこに「迷いがある」ことそれ自体を描くというのはそれはそれで面白いのですが、1年という期間の中で何らかの回答を提示しなければならない「番組」という形式と少し食い合わせが悪かったのかな。と感じるものでした。
 
 で、『仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』ではそのヒューマギアあたりの話をバッサリ切り捨てて、ヒューマギアとは別に発展していたナノマシンが同じ「AIを搭載したモノ」という括りで扱われています。
 
 これにねぇ、私は結構感動してしまって。
 
 普段だったら「そこに物語としての取捨選択という意志が見えて~」みたいな話をすると思うんですよ。もちろんそういう側面もあるのだけど、今回はちょっとそういう方向じゃないんです。
 
 最初に言ったように私には「心があるかどうかなんてわからないし、それを考えることに意味は無い」みたいな部分があって、だから人間だろうがヒューマギアだろうがそこに大差を感じていない……多少メタな話をするなら『ゼロワン』では「人間役の人間」と「ヒューマギア役の人間」しかいないわけで、そういった意味でも人間とヒューマギアの差なんて限りなくゼロに近い。
 
 というのを念頭に置いて、私たちはまぁ普通に車に乗ったりエアコン付けたりスマホでTwitterしたりするじゃないですか。それって昔は無かったもので、でもいまはすごく当然にあるし、それを使うことにも自分の隣にそれらの技術があることにも、何の違和感も感じていない。
 なにか新しいモノが生まれたとして、それが次の瞬間バチッと世界を変えてしまうなんてことは無くて……そこらへん今だとコロナワクチンの話のほうが伝わりやすいのかな?コロナワクチンが開発されることと、みんながワクチンを接種済みになることと、コロナの脅威が去ることって繋がってはいるけどその変化って一晩で起きるわけじゃないですか。
 
 だから新しい技術っていうのはゆっくりと私たちの生活に馴染んでいって、いつの間にか誰もが手にして、ゆっくり時間をかけて「それが当たり前の世界」になっていく。
 
 で『ゼロワン』の話に戻ると、劇場版ではヒューマギアの話っていうのは後退しているように見える。だけどそれは後退ではなくて「承前」、つまり当たり前のものであるから「いまさら語るまでもない」ものになったと、私にはそう見えるんですね。
 だからヒューマギアの話はしない、しないからこそ「ヒューマギアが当たり前になった未来の形」としてものすごく納得のいくものになってる。世界ってのはそうやってゆっくり、劇的じゃないけど(劇的じゃないから劇場版のテーマにはならない!)確実に馴染んでいくんだ……そういう1年やってきた作品だからだせるリアリティあるSFとして成立しているな、と。
 
 そう考えたときこの『REAL×TIME』ってタイトルは、ものすごく感動的に思えました。

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 次回は『ジョゼと虎と魚たち』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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