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父への想いが憎悪や恐怖から感謝や愛に変わった時、何が起きたか(前編)

僕の父への想いが、憎しみや恐怖から愛に変化した時のことを書いていきます。

先日のインスタライブの中で初めて話したけど、文章としても残しておく。
どんな感じだったのか、なるべくはしょらないで、できるだけ詳しく書いておきたいので、きっと長くなります(^^)ゞ

●僕の誕生日に届いた父からのLINE

10月の僕の誕生日、急にお父さんから、
「孫にお小遣いを送ってあげたいので、銀行口座を教えてくださいな。父親より。」とLINEがきた。

僕は銀行口座と一緒に、「今日は僕の誕生日だよ」と返信した。

するとこんな返信。

「おはようさん、誕生日は分かっています、
父さんは 今まで一度もお前たち夫婦から誕生日の祝いの言葉は、聞いていません 
私も敢えて お祝いの言葉は 言いません、それだけです、敢えて誕生日に LINEを送っているのです、
孫の口座にお金を入れるのは、お父さんの心です、
又、月に一度、二度位は LINEを入れて来なさい。
父より。」

なるほどー。

まぁ、学生時代から25~6年、たぶん一度もお祝いメッセージとか送った事ないな。まぁそれは、お母さんにも妹弟にも送ってないけれども…。

それにお母さんから僕に誕生日メッセージが来ることはあっても、お父さんから送ってもらったことはない。どっちもどっちだ('_')

以前に、中学裏口入学失敗のことを書いたけど、僕は父のパワハラに負けてコントロールされて自分の意思がわからないまま大学まで育った。だから僕にとって父は、子どものころからの恐怖対象でした。

ただ長年スピリチュアルな考え方に触れ、自分なりに心の癒しをしてきていたので、
当時は父に対してただ恐怖するだけじゃなくて、反発し陰ながら文句を言うことぐらいはできました(逆に言うとそれぐらいしかできない…(>_<))

なのでその時は、
「なにその言いかた。娘にお小遣いくれるのはありがたいけど、もっと普通にすればええやん。」

「お金を渡すのが“心”って、どういうこと?」

「毎月LINE送れって何なん?お金渡すかわりに定期報告しろってこと?」

「なんでこっちが気ぃ使ってご機嫌取りせーなあかんの?」

なんて、今考えるとクズすぎることを思ってました。

当時はホント、父の事がまったく許せてませんでした。
子どものころのパワハラとコントロールへの恨みもあって、金銭的な援助なんて世間に対して恥をかかないため、“親としてちゃんとしてますアピール”みたいな感じがして、素直に感謝することなんて全然できませんでした。

優しい言葉やねぎらいの言葉など、気持ちが伝わるようなことはなにもしないのに、ただお金を送られても、そんな形の愛では全く気持ちが晴れませんでした。

●最初の入院、自分の心に寄り添い親をゆるすワークをする

でもその後、僕は急に緑内障が悪化、入院することになりました。

入院前あたりから、僕はちゃんと自分の心や気持ちに寄り添って、心との対話を心掛けるようになっていました。

それで、ずっと許せなかった父に対しても、少しだけですが許容する気持ちがでてきていました。

それで入院中、両親との関係についてあるワークをしました。

それは心の中で両親に対して今の自分の気持ちを伝えたりしてから、もう一度両親の顔を思い浮かべてみるというもの。

想像の中で、父親が軽く笑っていました。

それは僕にとってとても大きな衝撃でした。

父の顔といえば、ムスっと怒った顔しか想像できなかった僕が、笑ってる父を想像できたなんて!

僕は自分に寄り添い過去を許したり自分と対話することによって、知らない間に、父のことも少し認められるようになっていたのでした。

●父への憎しみや苦手意識、恐怖心を自分の中で整理したい

そんな中、2回目の入院中。父の誕生日がやってきました。

お祝いされたことがないと言っていたお父さん。笑顔の父を想像できた僕は、なにか言葉を贈ろうと思いました。

まだ入院や手術のことを話していなかったから、その連絡のついでにね。

だけどその前に、
もう一度しっかり自分の心と寄り添い自己対話してから、今よりすっきりした気持ちになって誕生日メッセージを贈ろう。

↓は、その時に記録した自分への問いかけと自己対話です(^<>^)
 

☆☆.。.:・゚:.。.☆☆☆.。.:・゚:.。.☆

●父との関係で嫌だったことは?

・中学受験失敗(僕の入試の成績が悪く裏口入学を失敗。父に「俺の顔に泥を塗りやがって!」と恫喝された。)

・僕がジュースを凍らせて飲むと楽しいと発見して冷凍庫で作ってたジュース氷を、父が知らずにお茶に入れてしまい飲めなくなって怒られたこと。
夜中に寝ていたら叩き起こされてお茶ジュースを見せられ、「どうしてくれるんだ」と怒られた。

・テストで100点とらないとお小遣いがもらえない。その判定シーン。僕は父の横に立ち、ソファに座った父が答案を一枚一枚見ていく。会社で上司の許可をもらう人みたい。

・言われたことを根に持つ。僕が父が言ったことを否定するようなことを言ったことをずっと覚えていて、それをわざわざ自分の社長仲間に聞いて自分が間違ってないか確かめてから、何年もたった後にそのことについて僕に問いただしてきた。こっちは何言ったかなんて全く覚えてないのに。
「俺はしつこいから、バカにされたことは一生忘れやん。」とか言ってきた。キモイ。

・僕に音楽を学ばせたくてピアノを無理やり習わせられた。(まぁいろいろ子どもにやらせたい気持ちは分かる。)だけど先生が厳しすぎて全くやる気がおきず、嫌がってるの分かってるのにずっと習わせた。

・夕食時、テレビをみながら政党の話をしたら、「その政党にしたら日本が滅ぶ」と一方的に怒鳴られた。急に怒りだす。スイッチがわからない。

・旅行中、車を道路わきに止めていた。ハエがドアにとまっているのに気づいて急いでドアを開けた瞬間、後ろから車が僕らの車を追い越していった。
父に「アホ!ぶつかってたら腕がちぎれてたぞ!」と怒られた。
(これは当たり前ですね。そりゃ怒るわって話ですが、小学生の僕はただハエが怖くて確認とかしてられなかっただけなのに、理由も聞かずにただ怒られたと思ってた。)

・僕が実家に帰省中、夫婦で車で神社に行くと言ったら「高速に乗っていかなあかん!下道を使うと人が飛び出して危ない」みたいなことを急にまくし立ててきた。
やっぱり怒りスイッチがわからん。怖い。

・実家での妻の態度が父の理想の嫁像とかなり違うため、妻が認められず、「悪いこと言わん。離婚しろ」と言ってきた。

…って、細かいことは他にもあるのだろうけど、今思いだしたのはそれぐらい。

こうしてみると、あの中学受験失敗時のこと以外は大したことがないように思える。

今だからそう思えるのかな。

きっと僕の心には、その時その瞬間、幼すぎたりビックリしたりして言えなかった思いがある。

それをちゃんと吐きだせればそれでいいんだと思う。

◆中学受験失敗で罵倒されたことについて

中学受験の時の事は、10年以上前、父に面と向かってその時の僕の思いや怒りを伝えたことがある。

伝える前に、その時の怒りを発散するワークをし、少しすっきりして、この怒りや悲しみを父に伝えられれば、父への恨みや憎しみも晴れるかなと考えていた。

実際に伝えたとき、僕は冷静にたんたんとあの時の話を父にしたと思う。怒りをぶちまけるようなことは、やっぱり怖くてできなかったと思う。でもあまりきちんと覚えていない。

僕の話をきいて、父は無言だったように思う。
でも何年か後お母さんから、「お父さんが『あいつは俺のこと嫌ってるからな』って言ってたよ」って聞いた。

それでも父は僕に謝ったり、そのことについて何か言うことはなかった。

相変わらずの命令口調で態度も変わらない。

だからか、ワークをして伝えることはできたけど、それで気持ちが晴れることはなく、僕は父を憎んだままだった。

今、自分の気持ちにちゃんと寄り添うことを実践していく中で、

僕は父に、自分の怒りや悲しみは伝えることができたけれど、自分自身があの最悪の日に頑張った自分に対して、寄り添って声掛けするようなことはしていなかったと思う。

自分が自分に寄り添えていなかったから、きっとまだあの時の自分は怒り悲しんだままなのかもしれない。

●良い記憶も思いだしてきた。

ここまで記憶を探っていく中で、

逆に良い思い出というか、怖さや嫌悪も交じりあいながらも、なんかちゃんと親子してたなっていう記憶が浮かんでくる。

・小学生の時、押入れでサックスを見つけた。父が学生時代に吹いていたサックス。ちょうど近くにいた父が、それでジャズの曲を演奏してくれた。壊れていたのか鳴らない音があったりしたけど、すごく上手くてかっこよかった。

・校則で坊主頭と決まっていた中学だったが、バリカンと掃除機をうまく使って髪を切ってくれた。
バリカンで切りながら瞬時に掃除機で髪の毛を吸う。とてもうまくて中学時代はずっとやってもらった。

・ビリヤードやボウリング、卓球、ゴルフの打ちっぱなしに連れて行ってくれた。
運動神経抜群の父は、運動神経最低の僕に、根気よくやり方を教えてくれた。

・覚えていないが僕が小さいころ、夜中に高熱を出したときに最寄りの医者を叩き起こして診察させた。

・U字溝をまたぐのも怖がるぐらい臆病で、水が怖くてプールにも入れなかった僕を、スイミングスクールに通わせた。
(当時は泣きまくってすごく嫌だったが、ちゃんと泳げるようになって小学校でかく恥が少なくなったので良かったのかな?)

・隣に住んでる友達に殴られ顔がはれ上がった時、隣家にどなりこもうとしてくれた(僕が悪かったので止めた)

・世界一周の旅行に行きたいのでお金を貸してくれと言ったとき、「まぁやりたいのなら」と貸してくれた。
(まだほとんど返してない(>_<))

・ヒーリングを習う時も「まぁやりたいのなら」と貸してくれた。

・僕らがお金に困って、なくなく父に頼んだ時、怒りながらもお金を振り込んでくれた。しかも二回も!
(お金の面では助かったけど、ものすごく怒られるし離婚しろとか実家に帰って来いとか、ここぞとばかりに言われるので、感謝より否定されコントロールしてくる怒りのほうが強かった。)
お金のことは感謝しかないのに…。

・さらに去年も娘の口座に、僕らへ文句を言いながらもお金を振り込んでくれた。
僕らが困ってると考えてか、こっちが何も言う前に振り込んでくれた。

…などなど、今思いだした。

思いだしてみると、こちらの良い記憶のほうが多い。

あんなに恨んでいたのに、怒っていたのに、不思議。

嫌だったことも、結局良い思い出に繋がってるものも多いんだなぁ。

●掘り下げて考えると、本質的に何が嫌だと感じたの?

・僕の意見を聞かないで、あるいは無視して一方的に良い悪いを判断して怒ってくること。

・反論をゆるさず議論する気も失せるような言いかたをすること。

・僕のためを思ってやっていたとしても、何の相談もなく一方的で僕の気持ちを無視していること。

・あいつはダメだとか、他の人をよくバカにして話していて、僕もそう思われてると思う。

・僕の未来を勝手に決めて、そっちに向かうように支配しコントロールしてきた。

・自分がしたことの結果をちゃんと分かってほしい。

●自分に寄り添って嫌だった想いをかみしめてみて。

一方的に話されるの、嫌だったよね。もっと僕の話も聞いてほしかったよね。
もっとやりたかったことあったよね。全部決められちゃったもんね。
受験のことから、お父さんに逆らえなくなったよね。大学で解放されてホント良かったね。
離婚しろとかひどいよね。
すぐぐわーって言ってくるの、怖かったよね。固まっちゃうよね。なにも言い返せないよね。そりゃ委縮しちゃうよね。
あの「泥を塗りやがって」って言葉は本当に絶望したよね。ショックだったね。知らんやんね。そっちが勝手に決めて勝手に裏で手まわして、勝手に恥かいただけやんね。しらんやんね。受験勉強なんかなんにもしてないのに受かるわけないやん、傷ついたね。怖かったね。ふざけんなよな。ただ公立の学校で成績がいいだけの小学生にいきなり受験とかおかしいやろ。やるならちゃんと準備しろよ。

うん。ショックやったよね。ごめんな。もっと守ってあげたかったけど、無理やったね。あれからいっぱい勉強したよね。ちゃんと受験用の塾にも入ってすごいやったよね。よく頑張ったよね。偉かった。大学も偶然やったけど受かって良かったね。第一志望以外全部落ちてた時はイヤな空気やったね。でも受かったもんね。偶然かも知らんけど、高校受験で燃え尽きてたのによくやったよね。うん、本当によくやってきたよ。えらかった。すごいね。

●その時あなたがしてほしかった「本当の望み」とは何ですか?

ちゃんと僕をケアしてほしかった。僕の気持ちをわかってほしかった。僕を慰めてほしかった。

僕の行動や言動の意味を聞いてほしかった。わかってほしかった。

自分の憂さ晴らしとか自分の勝手な想いの押し付けじゃなくて、ちゃんと関わってほしかった。

自分が負けることや謝ることもしてほしかった。

●受験失敗のとき、父に本当に言いたかったことは何ですか?

なんでそんなこと言うの?
お父さんが大丈夫って言ったんやん。
怖い。捨てられる。
僕の言い分も聞いてよ。
なんでそんなひどいこと言えるん?
ちゃんと見て。怒らないで。僕の気持ちを考えて。
僕の存在を否定しないで。


やっぱここで、父がこの家の絶対的な支配者であること。逆らったら見捨てられること。父の望むように動かなくては生きていけないって思いこんだのかも。

●もし「相手が自分の鏡」だとしたら、どう思いますか?

父と笑い方が似てるときがあって、「あー親子なんやな」って思うことがある。

父への嫌な思いが鏡だとしたら、僕も自分が否定されるのを怖がっている。

自分のプライドを守ろうとしたり、間違いを素直に認めたり謝れないところがある。

一方的に「これはこうだ」と決めつけることがある。

妻を頭ごなしに否定してしまう時がある。

損得勘定で動いたり人を選ぶことがある。

逆に自分が何かを決定するのが嫌。決定し失敗するのが怖いのかな。
決断して突き進むような気力がもてない。人を支配したくない。

その人の気持ちになるべく沿いたいと思って、逆に自分の意見がなくなってしまうこともある。

ばりばり稼ぐとか妻子を養うとかいう男性的な考え方が苦手。男性的な考え方やエネルギーから離れたくなる。

鏡としては「父のように自分を押し通してやってもいいんだよっ」てことなのかも。

●もしあなたが相手の立場だったらどう思いますか?

まず僕が父の立場でも、裏口入学とかさせようと思わない。いろんな父が怒った場面でも、そんな風に怒ろうとは思わない。

だけどもしかしたら、知人の繋がりに僕の受験先の校長がいるとわかったら、息子のためになにかしてあげれるかもとは思うかも。

疲れて家に帰ってきて、お茶飲もうと思って氷いれたらそれがジュースやったら、まぁ文句の一つぐらいはいいたいかもね。あんな怒らんけど…。笑い話にできたらいいのに。

ドアにハエのこととかは完全に僕を心配してガーって言ってしまったんやろうね。家族サービスとしての旅行中やったし。
いろいろ普段忙しい分、家族ですごす時間をとりたいって思ってたのかな。

習い事の多さも僕の将来を考えての事やけど、多すぎるしやりたいかどうかちゃんと聞いてよ!

●「本当の望み」が、「心」があなたにして欲しいことだとしたら、心はあなたにどうして欲しい?

もっと自分の気持ちに正直になっていいよ。

自分の気持ち、相手の気持ちを考えて感じて、そこにちゃんと寄り添っていこう。

ちゃんと相手の気持ちも聞いて、自分の気持ちも言って、お互いに良い関係を気付いていけるようにしよう。

自分を否定したり人を馬鹿にしたスタンスで話すのはやめよう。

自分を否定しないでいいんだよ。

●この出来事から逆に「素晴らしい」「良いことだ」と思えることを無理やりにでもあげてください。

・スピリチュアルな事に目を向ける一つのきっかけになった

・娘の育て方に対して反面教師になってる。

・この経験をこれからもっと活かしていける。人の気持ちにもっと寄り添っていきたい。

・父やその世代の親の、子どもへの愛し方を知れた。

・比較的裕福な家庭で育つことができた。

・世界一周や東京にでてきたことなど、たくさんの援助も受けられた。

●良かったことも、しっかり実感しておこう

そうだね。おかげで好きなことができたことも確かだね。
お金の面では沢山助けられたね。良かったね。
今でも最後の最後で安心しているのはお父さんがいるからかもしれないね。ありがたいことだね。
恵まれたことだね。

もっと気持ちで寄り添ってほしかったけど、それはお母さんの役目にしてたのかもしれないね。父は経済面で支えて愛情を見せてくれてたんだね。

うん。あの世代の人やしそうやって生きないと社長なんてやってられないもんね。

こうやっていろいろな角度から物事を見られるようになったのも良かったね。

●次からはどんなことを大事にしようと思いますか?

今の気持ちを父にメールで伝えようと思う。まだ面と向かってとか電話は抵抗あり(>_<)

自分の男性性の面、リーダーシップや責任感などの面にもしっかり目を向けて発揮していきたい。

●大事にするために、日常でどんなことをすればいい?

仕事のことやお金のことをもう一度ちゃんと見直して責任感をもってやる。

妻がやらないから僕もやらないとかじゃなくて自分が男性性をだして発信していく。

●大事にしたいことを、しっかりやっていく決意をしてください。

自分の男性性なんて、ほとんど意識したことなかった。なんでだろ?

責任をもって行動していくって決断したけど、まだ怖い感がある。

自分がどんな風に変わるのかが怖いのかな。失敗が怖いとかじゃなくて父みたいになるのが怖いのかな。

本当に出来るのか、誰かに従って生きることばっかりしてきたから、初めてやるってことで怖いだけかも。慣れやな。

ここは頑張りポイント!自分の可能性を広げてあげよう!

自分の人生、自分で創っていくぞ!!
宇宙も、心の僕も、僕を味方してくれる!

まずはお父さんに誕生日祝いのメールを贈ろう♪

☆☆.。.:・゚:.。.☆☆☆.。.:・゚:.。.☆
 

●そして、誕生日メールを書き出したら…

ここまで自己対話して、かなりスッキリしてポジティブな思考にもなった。

…で、誕生日メールを書いてたら、すごい癒しが起こりました(^^)

詳細は後編で書きますね♪

↑の自己対話は、約1年前に記録したもの。中学の裏口入学失敗については、最近その記憶だけをピックアップして自己対話した記録がある。

1年前の自己対話と最近のそれとでは、同じようなことを感じてる部分もあるけど、全体的にとても落ち着いてきたように思う。

きっと後編で書く父へのメールで癒された部分が大きいんだと思う。

また自己対話によって、心がかなり良い状態にいつもいるようになったからだと思う。

すごいなー自己対話!
すごいなー俺 (^^)

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