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【INSIDE-SPARKLE LEGAL】齊藤真琴 弁護士

 本インタビューシリーズは、スパークル法律事務所に所属する弁護士の「ありのままの姿」を紹介する企画となります。「真面目2割・遊び8割」というインタビュー方針のもと、各弁護士が普段何を考えているのか、どのようなキャラクターなのか、そして事務所の雰囲気をお伝えします。

 今回、登場するのは、齊藤真琴弁護士(X:@Makotost_legal)です。齊藤弁護士は、京都大学法学部を卒業後、2001年に弁護士登録を行いました。国内法律事務所での勤務後、コロンビア大学ロースクールへの留学や、外資系金融機関で法務部長やコンプライアンス部長を務めた経験を持ち、2023年4月にスパークル法律事務所に入所しました。2023年6月には、法務コンプライアンス・リスク管理についてのコンサルティング・サービスを提供するファースト・コンパスを起業しました。



試行錯誤と冒険-日々仕組みづくり

Q1:お仕事以外は普段どんなことをされているのでしょうか?

 基本的には、普段は子育てに忙しくしています(笑)自分の趣味なら、テニススキーも好きだし、旅行も好きです。学生の時から数えて、海外には人生で30か国以上行きました。

 アジアなら、日本、韓国、中国、台湾、香港、ベトナム、タイ、インドネシア、シンガポール、ベトナム。それに、オーストラリア、ニュージーランド。ヨーロッパの方に行って、トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス、ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、アイルランド、イギリス。 アメリカ大陸に行くと、カナダ、アメリカ、メキシコ、ペルー、アルゼンチン……長くなりましたね(笑)

Q2:海外生活も長いそうですが、どこに住んでいたのですか?

 海外生活は全部合わせると10年近くになります。幼稚園の時に父親がアメリカに留学したのに付いていって住んだのが最初で、こう見えて帰国子女です。

 その後、大学時代に数か月放浪の旅をし、自分と妻のそれぞれのアメリカ留学でニューヨークに住みました。それに加えて、仕事で香港に3年間という感じです。数週間単位の貧乏旅行も多数しました。でも日英のバイリンガルというよりは、小中高と過ごして身につけた関西弁と社会人になってからの関東弁のバイリンガルのつもりです(笑)

 香港はとても気に入っていました。香港は、アジアのハブだったし、ニューヨークよりも外から来た人をそのまま受け入れる雰囲気がありました。誤解を恐れずに言うとアメリカだと英語を話せて現地になじめた人はみんな受け入れるという感じです。香港の場合は、エクスパット層が厚く、かつ、現地の広東語を話せない人が多いからなのか、現地語の有無にかかわらずそのままで受け入れる雰囲気があります。それぞれ暮らすたびに好きになったアメリカや香港での永住も考えたりもしたのですが、色々な事情が重なり日本に帰国し、今に至ります。

香港当時の自宅からの景色

Q3:東京での生活はどうですか?

 家族で楽しく暮らしています。コロナ中には、自宅のリフォームDIYを頑張りました。なるべく、家事の時間短縮生活動線の効率化を図りつつ、将来のライフスタイルの変化にも合わせられるようにしようと考えて、徹底的に調べ、デザイナーの助力を得て、中古住宅を暮らしやすく変えて住んでいます。

 仕事でよく考えていた効率性や、冗長性というのはそのままこういった検討に生かしています。皆さんにおすすめできるかなと思うのは、洗濯機や冷蔵庫、オーブン、PCなどよく使う家電を複数台設置することです。1個調子が悪くなっても困らないし、そもそも、やりくりを考えずに同時に別作業をできるのがとても大きいと思っています。

 例えば、私は業者のように一日4-6回程度、洗濯機を回すんですよ。ドラム式は乾燥時間が長い。なのでドラム式の洗濯機以外にも乾燥機を持つようにしています。ぱっとみて、洗濯機と乾燥機の両方が動いていない状態だと洗濯物を洗濯機から乾燥機に移動するなど何か手を入れるようにしています。洗濯機を回していないのはもったいないので、最後の方は家の中を「洗う服はないか?」って探しています(笑)

 冷蔵庫2台体制も、妻に提案・プレゼンして勝ち取りました。田舎のおばあちゃん家みたいに、料理用と飲み物・お酒用に分けることができて便利なんです。ただ、業務用の食洗器を導入しようとも思ったのですが、ステンレスのキッチンにしなくてはいけず、その部分のプレゼンは通りませんでした(涙)

弁護士になるまで、なった後

Q4:いつ頃から弁護士を志されたのでしょうか?

 学部生の頃から起業やプログラミングに興味があったのですけど、失敗したときのために資格があった方がいいと思って、司法試験を受けました。大学在学中に何回か受験しているうちに、本格的に弁護士を志したという感じです。

 私が学生の頃は、インターネットが弱く、今とは状況が全然違いました。新幹線に乗っている間は暇だったので、DVDとプレーヤーを乗車駅で貸し出して、降車駅で回収するサービスって面白いよなとか考えていました。TSUTAYAとかネットフリックスのようなサービスですね。

 結局、東京の企業法務系事務所に就職して、英語での仕事も求められたため英語も勉強しました。

Q5:弁護士になってからは、どのようなことをされていたのでしょうか?

 弁護士になった頃は、インターネット環境が普及し始めたタイミングだったので、何も情報がない中で、英語の本を買ってきて情報収集して、Wordでマクロを組んだり、自分で試行錯誤するのが好きでした。光回線を引きたかったから、弁護士になって東京に出てきた時も一軒家の2階をわざわざ借りました。多分その当時の事務所よりも回線速度は速かったはずです(笑)

 一番働くアソシエイトのビラブル(※実際に働いた時間)500時間/月という都市伝説的な噂(私では全くないのですが)が流れていた時代で、弁護士として一生懸命働きながらも、効率よく働く方法とか、仕組みづくりを模索していたと思います。その後、企業への出向などを経て、留学をするに至りました。

コロンビア大学留学時代~

Q6:コロンビア大学で、三谷革司弁護士と出会われたということですか?

 そうです。コロンビア・ロースクールへの留学のタイミングが、三谷弁護士と同時期でした。ただ、自分は、金融畑だったので、三谷弁護士とは別の講義を履修していました。

 そこで取っていた会社法の講義を他の弁護士らとともに日本語でまとめたのが、カーティス・J・ミルハウプト編『米国会社法』(有斐閣, 2009)(※2023年12月現在絶版)です。編集や執筆を取り仕切る役回りをさせてもらいました。

 三谷弁護士とは、講義で仲良くなったのではなくて、実は、「ファンタジーベースボール」という野球のシミュレーションゲーム仲間として仲良くなりました(笑)仮想チームを作って競うのですが、実際のMLBの選手の活躍が反映されるという現実と仮想が入り混じった面白さがあり、アメリカでは、大人気ゲームなんです。

Q7:スパークル法律事務所への参画の経緯・今後の目標を教えてください。

 まず、信頼している三谷弁護士が独立したというのには、注目していました。自分の近い友人の中で事務所を立ち上げた企業法務系の弁護士というのはあまりおらず、信頼している弁護士が事務所を作る挑戦をしたというのは自分の中では大きいことでした。

 また、小規模な事務所であることは、実は強みでもあります。コンフリクトも少なく、起業のような新しいことに挑戦することができるからです。

 私は、事務所所属弁護士と企業内弁護士(インハウス)もどちらも経験があるため、今後、事務所所属弁護士と企業内弁護士をつなげていきたいと考えています。依然として、企業内弁護士が外に出て働く機会は少ないと考えており、スパークル法律事務所ファースト・コンパスをその受け皿にしていきたいというのが、今後の目標ということになるかと思います。(了)



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