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博士論文の目次、日記(12月24日)

「近現代日本における天皇と競馬」目次

第1章 問題意識と研究意義
第1節 研究についての問題意識
1.1 研究背景
1.2 研究目的
第2節 先行研究
2.1 競馬に関する研究・・・従来の競馬の概念を変える
2.2 天皇像形成に関する研究・・・従来の天皇論を一掃する
2.3 近代スポーツに関する研究・・・従来のスポーツの意味を変える
第3節 分析の枠組み・・・新しい方法論を自力で開発
第4節 論文の構成

第2章 競馬の歴史(1860年以前)
第1節 人と馬の営み・・・地球の誕生と人類の出現
1.1 動物の進化
1.2 馬への眼差し
第2節 競馬とは何か
 2.1 「古式競馬」と「近代競馬」
 2.2 ヨーロッパの古式競馬
2.2.1 競馬の誕生とギリシア競馬
2.2.2 ローマの競馬
2.2.3 古式競馬の終わり
第3節 スポーツ概念と近代競馬の誕生
3.1 近代スポーツの誕生と競馬
3.2 ジェントルマンとは何か
3.3 英国社会と近代競馬

第3章 本邦における競馬の受容(1900年まで)
第1節 日本の古式競馬
第2節 明治天皇と競馬
2.1 日本近代競馬の幕開け
2.2 政治外交と競馬:「社交」から「軍事」へ
2.3 明治天皇と近代競馬
2.3.1 明治天皇の競馬行幸
2.3.2 明治天皇と根岸競馬
第3節 明治新政府・居留外国人・民衆
 3.1 競馬推進者と主催官庁
 3.2 居留外国人がみた日本近代競馬創成期
3.2.1 ジェントルマンたちの課題
3.3 民衆からみた日本近代競馬創成期
 3.3.1 明治博徒と競馬社会

第4章 「帝室御賞典」と「帝国の賭博者」(1905-1923)
第1節 明治期から補助金競馬時代にかけての競馬(概要)
1.1 馬券黙許時代
1.2 日本近代競馬の「ジレンマ」
1.2.1 日本の競馬観
1.2.2 「ジェントルマン精神」の受容
1.2.3 日本人の競馬参加
第2節 「帝室御賞典」の誕生と拡大
2.1 「帝室御賞典」の誕生と馬券黙許時代
2.2 馬券の禁止と競馬法制定
2.2.1 馬券禁止の過程
2.2.2 補助金競馬時代
2.2.3 競馬法の内容
2.3 補助金競馬時代の「帝室御賞典」
第3節 「帝国の賭博者」の形成史(競馬法の完成=誕生)

第5章 皇室と近代スポーツ(1920、30年代)
第1節 大日本帝国と近代スポーツ
1.1 新しい天皇杯の登場
1.2 皇室によるスポーツ振興
1.3 スポーツの熱狂時代と競馬
第2節 「帝国の賭博者」の様相
2.1「みる、かける」スポーツとして
2.2 競馬ファンの登場
第3節 競馬とデモクラシー(民主主義)
第4節 各競馬倶楽部の成長と「帝室御賞典」
4.1 「天皇の馬、競走馬」と「帝国の賭博者」(競馬ファン)
4.2 競馬(ギャンブル)の二重性
4.3 競馬倶楽部の成長
4.3.1 馬政局と控除率の変遷
4.3.2 競馬法の改正
第5節 「前期的」日本大衆競馬形成期(まとめ、次章に向けて)

第6章 大日本帝国の大衆競馬(1936-1945)
第1節 大日本帝国下における競馬事業:前田長吉を事例に
1.1 一人の帝国臣民(前田長吉)
1.2 戦時期競馬の思想的問題点
1.3 前田長吉の生涯
1.4 1930、40年代における日本競馬の動向
 1.4.1 大日本帝国の競馬事業
 1.4.2 日本競馬会と「帝室御賞典」(天皇賞)
 1.4.3 天皇(「ギャンブルを振興するミカド(帝)」)と「帝国の賭博者」
第2節 「大日本帝国」の競馬とは何か
2.1 外地の競馬
2.2 地方競馬
第3節 競馬事業の思想空間
3.1 国体・天皇・競馬
3.2 「帝国の賭博者」の<主体>
第4節 戦前競馬の終わりとその意味

第7章 戦後競馬と天皇(1945-現在)
第1節 国営競馬、そして日本中央競馬会(JRA)創立へ
1.1 競馬のレゾンデートル(存在理由)
1.2 有馬頼寧の「ひとりごと」
第2節 現人神から人間天皇、象徴天皇へ
2.1 小泉信三の<主体>と天皇の象徴天皇化プロジェクト
2.2 松下圭一の「大衆天皇制論」
2.3 天皇のスポーツ行幸:国民体育大会
第3節 戦後競馬と「天皇賞」:日本型競馬事業の「これまで」と「今」
3.1 象徴天皇制下における「天皇賞」
3.2 競馬の国際化時代の「天皇賞」(1981年から現在)
・レース制度の変更(1980年、「勝抜制」の廃止)
・グローバル化の反動、主催者による意味付け(馬文化、歴史、競馬史)
①記念入場券、②2回の天覧競馬と伝統馬事芸能、③「近代競馬150周年記念事業」(2012年)
第4節 今後に向けた展望

あとがき


という感じで普段の生活のライバルは丸山眞男、福沢諭吉、小泉信三、三島由紀夫、松下圭一、ハラリ、マクニール、梅棹忠夫、孔子、九鬼周造、ニーチェなどを想定している。

分野の先駆者は多々いるが、それも全て網羅している(はずである)。

このような人が「ウマ娘」を結構真面目にやっている。

ウマ娘・スペシャルウィークの「なりきり」をしている。

「ウマ娘」の原稿が半分くらい終わったら、こちらをメインにやっていく予定である。

格物致知、良知、知行合一、万物一体の仁、鬼神といった話もするかもしれない。

以前は朱子学的<主体>、多重主体主義、あいだの<いのち>、第3の生命等について24時間考えていた時期もあった。

ジェイムズのプラグマティズム、ドゥルーズ、パースなどに傾倒している人が少し羨ましい。

井筒俊彦『意識と本質』、ニーチェの「永劫回帰」は少なからず私の研究に影響をもたらした。

特に「近代」に対する疑いに対して・・・

かといって、京都学派みたいな分野に私は向かわなかった。

東大のときは古代社会の碑文を読んでいた。

碑文をラテン語、イタリア語、英語、日本語にする作業を友達がしていた。

今は同大学の教授になっているが、初対面で私に右頁がラテン語、左頁にイタリア語が書かれた辞書を嬉しそうに紹介してくれたことがあった。

懐かしい・・・

私はラテン語もイタリア語も読めなかった。

逆に

彼は朱子学的<主体>(subject)についてはよく分からなかったであろう。

福沢諭吉や丸山眞男もその点は読み間違えていた。

東洋的な<主体>には多様な側面がある。

韓国人は(伝統的な)東洋的な<主体>からやや逸脱して欧化してしまった(ことが、海外旅行を通してすぐに分かった)。

ひょっとしたら古典的な儒学思想とキリスト教の結合によるハイブリッド化なのかもしれない。

儒学思想はまだ日本以上に強く残っているような感じもした。

だが、チェサの文化を若者世代が続けていけるかどうか不安も残る。

旅行の時は、

ピーチ航空の飛行機に乗った瞬間、空港に降りた瞬間、韓国人そのものが日本人とはまるで異質な存在であることが分かった。

それを言葉で説明することはなかなか難しい。

日本に留学してきた留学生たちも「それ」を持ち合わせていた。

だから私の心は少し疲れてしまった(時期もある、笑)

日本では「世間」や「空気」の研究が絶えない。

それが「壁」、「品格」、「辺境」、「習合」とか別の言葉に変わってきただけだ。

これらは、伝統的に「日本の思想」という言葉で表されてきた。

そう言えば、「攘夷」という言葉は我が国ではよく知られているが、

この言葉は(もともと)あまり有名ではなかった。

少なくとも文献上には少ししか登場しなかった。

それなのに大きなスローガンとなった。

尊皇攘夷から尊皇開国になったとき、日本は近代化(欧化)への道に移行した。

私はこの近代化=善という考え方に少し違和感を覚えている。

だから最近は仏教にハマっているのかもしれない。

また、感覚的に<主体>の問題と多重主体は「無我」の仏教に隣接していると思われる。

突き詰めれば西洋的な個人は日本の世間ではなかなか生じづらいということだ。

脚色(権威、地位、名声、お金)を取り除いたときに私たちに一体何が残るのであろうか。

それは孤独と求愛に他ならないであろう。

神にすがることは難しい。

(海外の友人に聞かれる。日本人は絶望した時に居場所はあるのか、と)

今年を総括する上で忘れていたことがあった。

母方の祖母と父方の祖父が亡くなったということだ。

彼らの生命は私の中で生き続けているので葬式には行かなかった。

(コロナになったことも要因だけど、まだ治っていなかった)

<いのち>は決して死なない・・・

それを研究(探求)しているから仕方がない。

恩師は人間を「知覚像の束」にすぎないと述べた。

ヒュームは「知覚の束」といった。

私の「知覚像の束」に祖父母は埋まっているので、まだ亡くなった感覚はないし、これからもそう思うことはないであろう。

・肉体の生命(死)・・・一般的に

・霊性(魂)の生命(死)・・・為政者によく使われる、魂は死なない

・第3の生命はあいだの<いのち> 知覚像

・第4もあったかもしれないけど、(忘れちゃった、笑)

アニミズム的な話


とにもかくにも私は変わった人間なのである(笑)


(2022.12.24)










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