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<季節を知らせる花と日本人~夏~>


<季節を知らせる花と日本人~夏~>
フジの花が咲く頃、旧暦では夏を迎える。
フジはマメ科のツル性植物で樹木の幹に絡みついて、
高いところに鮮やかな青紫色の花を咲かせる。

このツルはさまざまな民具に加工されてきた。
昔からクズと同様にカゴなどに身近なモノとして
農家の女性は冬の間に編んで、利用してきた。

木や竹で組み立てたパーゴラにフジを絡ませた
ちょっとした休憩所は全国でも見られる。
夏の日差しがはじまるこの季節の畑作業の休憩時に
この日陰はとてもありがたい。

平安時代からこうやって貴族たちは藤の花を愛でていたのだろう。
万葉集にもたくさん藤の花が出てくる。

この藤から繊維も取れる。
その服は貴族にとって喪服として利用されていた。
葛(クズ)やカズラと同様にロープや橋の素材などにも利用されてきた。

藤は不治や不二につながることから、
病院の介護や葬式・供養をしてきた仏教寺院と深くつながっている。

垂れ下がっている艶やかな藤の花が女性の形に見えることから
女性を象徴する木としてもよく植樹されてきた。

藤の木に幽霊が現れるという民話も多く残っている。
日本の幽霊の話は大抵女性なのは
もしかしたらこの藤の花からきているのかもしれない。
その民話は花の形だけではなく、仏教寺院があの世とこの世のつないでいるために
真実味を帯びてくる。

ちなみに藤ととてもよく似た植物に葛(クズ)がある。
藤も葛も樹木や電信柱に巻きついて、どんどん空に向かって伸びていく。
ときには巻きついた樹木を倒してしまうほど、だ。
そんな藤と葛に巻きつかれてしまった樹木を想像して欲しい。
それはそれは苦しいに違いない。
そんな様子から生まれた熟語が「葛藤」だ。

人間は生きていく上で様々な葛藤に遭遇する。
その多くが煩悩と呼ばれる欲から生まれており、それとどう向き合うのか。
そんなことをフジの木を見ながら悟りに近づこうとしたのかもしれない。

ハス
梅雨が明けるころ、灰色と緑しかなかった沼地から見事な花が突然姿を表す。
極楽浄土の花、ハスだ。

泥のような汚いところからでも、美しい花が咲く様子から
仏教の説法の中でたびたび登場する。

私たちはこの地下茎をレンコンとして食べる。
レンコンは蓮の根と書くが実際は茎である。
地下茎を食べる他の野菜はジャガイモ、菊芋、サトイモなどがそれに当たる。
(サツマイモは根が肥大したもの)

秋になれば私たちの食卓にもレンコンが並び始める。
ぜひレンコンを買ってきたら、切った後に穴の数を確認してほしい
大きさや長さにかかわらず穴は中央に小さいのが一つ、
その周りに大小様々で形がバラバラの穴が九つに違いない。
(実際は個体差あり)

この穴は一体、何のためにあるのだろう???
こういった好奇心のおかげで、科学は発展し、理由を明らかにしてきた。

このレンコンの穴は地上の空気を、
空気が全くない泥の中に伸ばす茎や根に送るためのある。
さらには泥の中で沈んで行かないようにするための浮力を生み出すためでもある。
人間は底なし沼に沈んでいくが、レンコンは浮くことができるのだ。

どんな悪い行いをしてきた人間でも、極楽浄土の世界に行くことができる。
そのためには修行が必要だと聞いて納得する人も多いのではないだろうか。
それだけ仏教の教えは私たちに根強く浸透している。

そして、そんな汚い泥の中に空気を送る人も必要なのだ。
そんな仲介役として仏教寺院が長い間、役割を果たしてきたのだろう。
科学では教えてくれない大切なことを宗教は教えてくれる。

もし、あなたがハスを育てているとしたら、次に観察するのは葉柄だ。
葉柄と葉と茎をつなげている長い管のことである。
これを切って断面を観察してみよう。
そこにもやはり穴が空いている。
この穴が葉から吸った空気を泥の中の茎に通す穴である。

しかし不思議なことに、レンコンの穴とは形も数も違うのだ。
これは葉柄と茎の間にある節を境に変化が起きているのだ。

これは一体どうしてだろうか?
それはまだ科学にも宗教にも答えにたどり着いていない。

サルスベリ
夏が最盛期を迎える頃、多くの植物は花を咲かせない。
なぜなら、花を咲かせ、実やタネをつける行為は多くのエネルギーを必要とするため、
30度以上を超える日本の夏では自身の死の危険性があるからだ。
実際、夏野菜と呼ばれるきゅうりやトマト、ナスなどはこの時期実入りが悪くなる。
植物は子孫を残すことよりも自身が生き延びることを選ぶ。
これはサケなどの子孫を残したあとすぐに死ぬ動物とは全く正反対の性質だ。

そんな命の危険がある真夏に、サルスベリは花を咲かす。
しかも、誰もがうっとりするほど煌びやかで、豪華な花を。
サルスベリは別名「百日紅」「千日紅」と呼ばれるほど長く花を咲かす。
だいたい梅雨明けの七月下旬から秋が深まり始める十月上旬まで。

命の危険があるにも関わらず、長い期間花を咲かせるのだ。
よくよくこの花を観察してみると、ある事実に気がつく。
一つの花が長い期間咲いているわけではなく、小さな花が数日単位で切り替わってくのだ。

これは真夏に虫が少ないことが原因だと考えられている。
実は夏は虫が多いイメージがあるが、昼間は暑すぎるために活動を抑えているのだ。
そのため虫による受粉の確率は減ってしまう。
なので、小さな花を一度にたくさん咲かすわけではなく
少しずつタイミングをずらして咲くことで、虫が受粉する機会を増やしているのだ。

そんなエネルギッシュなサルスベリの花言葉に「愛嬌」「不用意」がある。
(他には「雄弁」「潔白」「あなたを信じる」)

これはサルスベリの名前の由来になった木登りが得意な猿ですら滑ってしまうほど
木肌がツルツルしていることに由来する。
そう、日本人なら誰でも知っていることわざ「猿も木から落ちる」だ。
どんな得意な分野でも失敗することがあるとか、完璧そうに見える人にも苦手なことがあるとか
そういった意味である。

これとほとんど同じ意味を持つことわざが「弘法にも筆の誤り」である。
弘法とは真言宗の開祖である空海のことで、書の達人だった。

そんな名人でもときに失敗することがある。
その多くは準備不足なのだから、事前の準備を怠らないように。
という意味も含まれる。
(自分のミスを弁護するときには適さないことわざ)

多くの仏教系寺院の庭にはサルスベリが植えられている。
沙羅の木に似ていることから、日本でも植えられるようになったと考えられている。

お寺(や神社)には今でいうカレンダー(旧暦)があり、
農民たちはときおり季節を確認するために訪れていたという。
この夏は秋冬野菜を栽培する上で重要な期間だ。

早く蒔いてしまうと、暑さにやられたり害虫に食べられてしまう。
遅く蒔いてしまうと、冬に入ってしまい生育が止まり十分な収量が得られない。
とくに種まきのタイミングが重要なのだ。

だからこそ、カレンダーを確認するわけなのだが、
そのたびに艶やかなサルスベリの花を見て、準備の大切さを思い出す。


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