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東京ブレンバスター9 風に吹かれて~戦争の本質

反イスラエルという名の反ユダヤ

 反ユダヤなどと公言すれば、たちまち差別主義者か陰謀論者のレッテルを貼られてしまいかねないが、反イスラエルといえば、今や「正義の声」だ。誤解を承知で表現するならば、トレンドの観さえある。それほどに、中東で放たれた反イスラエルのムーブはほむらのように世界中に広がっているのだ。「戦争反対」、「フリー・パレスチナ」を叫ぶ、あのデモの群衆の中にもかなりの数の反ユダヤ主義者や反米主義者が紛れ込み、あるいはデモ自体を主導していることだろう。
実際、イスラエルの報復攻撃が始まって以来、世界各地でユダヤ系市民に対するヘイトクライム(憎悪事件)が急増している。米ロサンゼルスでは「ユダヤ人を殺せ」と叫ぶ男が一般家庭に押し入り、NYの地下鉄ではユダヤ人の女性が黒人女性に罵倒の上、暴行を受けた。フランスでもユダヤ学校襲撃未遂事件が何度かあり、パリではユダヤ人青年が路上リンチで負傷している。ユダヤ問題では歴史的にトラウマを抱えるドイツも例外ではなく、ユダヤ人の家のドアや墓石に、六芒星の落書きがあいついだ。まるでナチス時代の再来だ。そして、10月23日には、米デトロイトでシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)の理事長を務める40代の女性が何者かに刺殺されるという事件まで起こってしまった。SNS上でのヘイト投稿に関してもほぼ野放し状態だ。
一般市民を巻き込んだ無差別ともいえるイスラエルの報復攻撃を非難することには一定の理解もできようが、ここぞとばかりに無関係のユダヤ人を標的に暴力を振るうことはやはり許されていいものではないだろう。
 日本の地上波では、これらはほとんど報道されることはない。日本の左翼は基本的に反米であるから、必然的に反イスラエル=親パレスチナになる。TBSなどBS報道番組に、重信房子の代弁者の娘メイを解説者として呼んで、イスラエル大使館の怒りを買ったはいい例だ。

フランス・ストラスブール。鉤十字の落書きがされたユダヤ人墓地を視察するカスタネ―ル内務大臣と首席ラビのヴァイル氏。

ハマスも日本赤軍も根は同じ

勘違いしては困るのは、ハマスはイスラム系テロ組織であってパレスチナそのものではないことだ。ハマスに肩入れするのは、日本赤軍に肩入れするのと本質的には変わらない。世界に散らばった、日本赤軍の老テロリストたちは、この国際情勢をほくそ笑んで観ているかもしれぬ。俺たちも死ぬまでにもう一度花を咲かせようと、重信同志の指令をまっているのではないか。
パレスチナの住民を天井のない牢獄に閉じ込めているという点では、イスラエル政府もハマスも同罪だ。無差別殺戮もしかり。しかもハマスは、イスラエルの事前警告も無視し住民を逃がさず人間の盾にしているのである。
当のハマスのリーダー、ハーリド・マシャアルはUAEドバイの国際放送局アル・アラビーヤのインタビューに応えて「イスラエルの反撃は想定内だ。『解放』を勝ち取るためにはパレスチナ人の命を犠牲にする必要がある」と誇らしげに語ったという。目的のためなら無辜の犠牲は厭わないというのは、まさに日本の新左翼過激派の発想そのものではないか。このマシャアル、弾丸の飛んでこないカタールのドーハで王侯貴族のような暮らしをしながら、この戦争を高みの見物としゃれこんでいるのだ。彼もパレスチナの敵でしかない。

イスラエルとアラブの近親憎悪

 そういう但馬は、イスラエル支持者なのかと問われれば、答えは否である。
 イスラエル建国のいきさつとその後の圧政を振り返れば、紛争の根本の原因を彼らに問うべきなのは明白だ。しかし、あくまでそれは現代的な視点で見れば、であるが。
 モーセの跡を継いだヨシュアとその一団が約束の地カナンについて真っ先に行ったのは、カナン人の大虐殺である。パレスチナ問題なんて実は何前年も前から続いているのである。
 ついでにいえば、ユダヤ人もアラブ人も同根である。聖書には、愚兄賢弟のパターンがなぜか多い。有名なのは、カインと彼のねたみによって殺される弟アベルの物語である。モーセの兄で司祭のアロンは偶像を作り神の怒りを買うような人物だった。アブラハムの二人の息子のうち正妻サラとの間に生まれたイサクはユダヤ人の始祖といわれる。イサクの異母兄であるイシュマエルは、愚兄とはいえないが、奴隷の腹から生まれた子ということもあり、サラに疎まれ母とともに出奔、アブラハムの後継になれず、彼はアラブ人の始祖となった。兄弟は他人の始まりともいわれるが、ユダヤとアラブの反目の種はこのときに撒かれたようなものである。

聖書に描かれるジェノサイドとレイプ

 それにしても、旧約聖書には、異教徒への侵略とジェノサイドがこれでもかと登場する。すべて神が預言者の口を通してイスラエルの民に命じているのだ。
「行って男と男を知った女を一人残らず殺せ」(民数記)
「容赦してはならない。男も女も、子供も、乳飲み子も、牛も、羊も、ラクダもロバも殺せ」(申命記)
「女、子供もろもろ剣で打て。男と男を知った女はことごとく滅ぼさなくてはいけない」(士師記)

 これが一神教の神なのである。生まれたら神社にお宮参りをし、結婚式は教会で挙げ、死んだら坊主の世話になればいいという、お気楽な宗教観の日本人には信じられまい。
「男を知った女は殺せ」というなら、処女はどうするのか。「あなたたちのために残しておけ」、つまり手籠めにしろと言っているのである。これは左翼のいうところの「戦時性暴力」に他ならない。何度もいうが、神がこれを命じているのだ。殺すな、犯すな、の十戒は、イスラエルの民の間の掟であり、異教徒はこの限りではない。
 以前、国際女性戦犯法廷という裁判ごっこを開いたキリスト教系の団体があった。彼らは、先の大戦で日本軍に戦時性暴力を命令したとして、昭和天皇を強姦罪(!)で「有罪」としたが、いうまでもなく昭和天皇がそんな命令を出すわけがないし、出す立場でもない。彼らが真っ先に裁くべきは、日本の天皇ではなく、彼らの神ではないか。
「男も女も子供も乳飲み子も殺せ」
 この神の声を聞き、それを信じて殺し合ってきたのだ。イスラエルもパレスチナも、そしてハマスもヒズボラも。今度の戦(いくさ)でも、イスラエル、ガザ双方で子供や乳飲み子が死んだ。拉致により「男を知らぬ娘」も少なからずレイプされただろう。
 何前年も続く殺し合い。おそらくパレスチナ問題の解決、完全和解なんて、あと千年はかかるだろう。日本の過激派ごときが首を突っ込んでも話をややこしくするだけで、何の解決にもならないし、おこがましい限りだ。
 日本は今回の紛争に関し、イスラエル、パレスチナ双方に過度に肩入れすることなく、上手く立ち回るべきだろう。イスラム系移民の流入に何ら打つ手をもたぬ今、彼らに蜂起でもされたら目も当てられない。彼らはアラーが法律なのだ。

答えは風に舞っている?

 最後に――。僕がパレスチナ問題に最初に興味をもったきっかけ、それはボブ・ディランである。
 1974年、「偉大なる復活」と呼ばれた全米ツアーでの収益金のほとんどを彼はイスラエルに献金したというニュースを『ミュージックライフ』という雑誌で知った。僕は中学生だった。具体的な金額は雑誌に書いていなかったが、ファンの間で、「イスラエルが国号をディランド(Dyland)に変えるのではないか」といううわさ話がまことしやかに流れているとあったから、われわれには気の遠くなるような額であるのは間違いないだろう。ボブ・ディラン、生誕名はロバート・アレン・ジンマーマン。両親はウクライナ生まれのユダヤ人である。
 前年の第4次中東戦争でイスラエルは疲弊していた。ディランの献金はありがたかったことだろう。ディランはその後も献金を続けているという。
「どれだけ弾丸が飛び交えば、兵器は永遠に禁止されるのだろうか」と歌った男の金が、アラブ人を殺す弾丸になるのか、と思うと複雑な気分になったが、逆にいえば、世界情勢はきれいごとではどうにもいかないということをおぼろげなりにも理解した瞬間でもあった。
 パレスチナ問題。悪いのはイスラエルかパレスチナか。いや、一番悪いのは、神様だ。

▲キリスト教に改宗し世間を驚かせたディランが、ユダヤ教に再改宗した直後に出したアルバムのタイトルは『インフィデル(異教徒)』。この中の一曲、『近所の嫌われ者』は、イスラエルのレバノン侵攻を露骨に擁護する内容と、一部から批判された。

(初出)
『表現者クライテリオン』2024年1月号


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