僕はどう死ぬのか

「親父が死んだ」
病院の小部屋、兄の言葉で目が覚めた。寝ぼけていたこともあり、一瞬なんのことか理解できなかったが、周りを見渡し思い出した。末期がんの父が危篤状態になり、深夜、病院に駆け込んだのだった。状況は理解できたが、受け入れるのには少し時間がかかった。当時10歳、頭もよくない僕は危篤状態の父を見たときでも父が死ぬことを想定できなった。幸せな家族との時間は永遠に続いていく。そんな風に思っていたのかもしれない。

霊安室に案内され、お焼香をした。その時だった、ずっと堪えていた母の目から涙がこぼれた。それを見たとき父の死を受け入れなければいけないと悟った。母が感情を表に出して悲しんでいる姿を見て、この受け入れがたい現状は現実で目の前で寝ている父は一生目を覚まさない。そう感じざるを得えなくなり、泣きたくないのに大きなを声をあげて泣いてしまっていた。

父の死を受け入れ、母親も兄妹も学校の友達もみんないずれは死ぬんだということを考えた。当時の僕にはかなり重かった。

父の死から10年以上経ち、僕も大人になった。父がいないのが当たり前の日常になっているが、いまだに人生の節目節目で父が生きていたら、僕にどういう言葉をかけてくれるんだろうと思うことがある。

人生100年時代といったものだが、正直そこまで長生きしたいとは思わない、死にたいわけでもないのたが、自分が人生をささげたい人のために生きれればそれでいいと思える。
どんな人と結婚するかも、どんな子供が育つかもわからない。ただ一つ言えるのは自分の愛する人の心に残って死にたい。父のように。

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