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アドバイスに対して食らいついていく強さ

鳥山明先生が亡くなってから、私は呆然としながらいろんなものを見ていました。ドラゴンボールやドクタースランプアラレちゃん、ドラゴンクエストなどの仕事がどんなに素晴らしく、後世に影響を及ぼしたか――その偉大さを思い知らされるものがほとんどでした。それだけの偉人であったということを私はあらためて実感し、何度も何度も頷きながら見ていました。

すると、ある動画を見つけました。それは鳥山先生の初代担当であった鳥嶋和彦さんがインタビューに答えているものでした。その名前にぴんと来るものがあったためです。ONE PIECEやNARUTO、HUNTER×HUNTERやBLEACHなど私の世代に思いっきり刺さる時代にジャンプの編集長だったのが、その鳥嶋さんだったからです。

鳥嶋さんはジャンプの編集者になってからどういうことがあったか、鳥山先生をどうやって見出したか。そしてどう大ヒットする漫画家へと育てていったのかということを語っていました。


鳥山先生は元々デザインをやっていた人であり、イラストレーターとして活動していて漫画を一切書けなかったようです。そして鳥嶋さん自身も読書はよくしていたものの漫画をほとんど読んだことがなく、集英社に入社してから勉強を始めたそう。徹底したのはとにかく「少年漫画を読む読者の目線」ということで、見やすい漫画やキャラクター像を作ることを第一に考えていたようです。

週刊少年ジャンプはまず初心者としての作家を募集し、そこから編集者が担当することで漫画家を育成していくというシステムの雑誌です。こうして「漫画を描いたことのない漫画家」×「漫画を読んだことのない編集者」のタッグが生まれました。この結果どんどん作られていったのが冒頭にも記載した大ヒット作品であるドクタースランプアラレちゃんにドラゴンボール、キャラクターデザインであるドラゴンクエストなどの作品です。

鳥嶋さんもいろんなぶつかり合いをしながら鳥山先生を育てていきました。書き直しをさせては没にするという繰り返しです。しかも本人に気付かせたいという理由でどこが悪かったということも指摘しなかったらしいのです。それでも鳥山先生は書き続けました。その数は500枚を超えていたそうです。


この間、どういう作品の傾向が本人にとって向いているのかを考えていることもあるといいます。鳥山先生と同時期に担当していた桂正和先生(有名作品/電影少女など)に対し「あなたが書きたいSFものの作品ではなく、恋愛ものの作品を書いた方がいい」と言い、結果的にその漫画を大ヒットさせました。

また、なかなか新しい作品を思いつかない鳥山先生に関しては「あなたの好きなカンフーものの作品にしてみたら?」と言い、それがドラゴンボールのもとになっているとのこと。このことを聞いて、私は編集者の力はすごいと思いました。

そして最後までその動画を見たところ、こんな文字がまとめとして表示されていました。「書きたいものと書けるものは違う」と――。


この言葉が私の心のものすごく深いところに突き刺さりました。これこそが私にとって一番聞きたくてたまらなかった言葉だったからです。私は半分泣きそうになりながら呟きました。

「やっぱりそうだったじゃないか!」


詳しくは割愛しますが、私はnoteにおいて言わないほうがいいような方向性のことも書いてしまうのか、たくさん失敗してきました。そして悩んでいるとよく言われたのが「好きなものを書けばいいんですよ」というアドバイスです。この言葉は私のことを逆に苦しめました。

好きなことを書いたときにこそ、私の場合は失敗することが多かったからです。その結果いくつもの記事を下げなくてはならなくなったり、記事を投稿することが怖くなってしまいました。今もリハビリ中です。

実は最初から他の人の目線を意識した文章では少し傾向が違ったりします。けれども、これはこれで自分のことを書きたいというバランスに頭を悩ませることになりました。それでもここで、私はアドバイス通りにしないほうがいいのです。

そのことに気付きつつも「好きなことを書けばいいんですよ」のほうが多数派だったためにずっと自信がありませんでした。けれども、それで良かったのです。一流の編集者の方が同じことを言っていると知って私は救われました。


もちろん、自分の好きなものを好きなだけ書くことにnoteを使っている人も多いことでしょう。そういった人たちのことを否定するつもりは毛頭ありません。私自身が反対意見で苦しい思いをしてきたということもありますが、何よりどんな気持ちで書きたいかは人によると思うからです。

実際にあったことを書きたい人や、創作などで自分の世界を表現したい人、私のようにある程度形を決めた文章を書きたいという人もいます。他にもたくさん、いろんな文章がこのnoteには溢れています。

先程の「好きなことを書けばいいんですよ」の人たちだって「自分のやり方と同じようにやってみれば?」と提案してくれただけできっと悪意はなかったのです。私自身が何度も何度も同じことを言われたことで辛くなっただけです。


けれども、ここで鳥山先生だったら諦めたりはしなかったのだろうと感じます。500枚以上の没原稿の中にきっと当時の悔しさややるせなさ、そして苦悩が詰まっていたのではないかと思うのです。おそらく何度鳥嶋さんに没だと言われても食いついていく強さがあったのでしょう。理不尽に思うアドバイスも自分のものにしていったのだと思います。

私は鳥山先生の背景について全く知りませんでした。最初からすごく才能があったというのは知っていましたが、まさか漫画という形になるまでこんなに大変な思いをしていたとは思いませんでした。担当の編集者という形で鳥嶋さんがいて、二人三脚のように根気よく付き合ってくれていたからこそのあの成功だったのです。

そこにはきっと毎回魂のぶつかり合いのようなものがあって、結果的に歴史に残る作品たちを世に生み出すことになったのでしょう。



鳥山明先生
たくさんの感動をありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。


ここまで読んで下さってありがとうございました。




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