見出し画像

誰かに思いを届けたいときに

プレゼントは価値観の交換のようなものかもしれないと思います。

こちらが渡したものを心から喜んでもらってくれる人がいるとき、それはお互いに幸せになれるパターンです。渡す側はプレゼントで喜んで欲しいという気持ちでいっぱいですし、相手もこんな素敵なものをもらうことができて嬉しいという気持ちになります。いわゆるwin-winの関係というもので、こういう人たちは気が合うことが多いですし、そのあとも仲良くいられる確率が高いのではないかと思っています。私の経験上でもそんなことが多いです。

その逆で、こちらがプレゼントしたいというものを相手がいらないと思う場合もあります。それはいろいろとお互いの事情もありますし、仕方のないことです。こういったことが続いてしまうとニーズを満たしあうことも難しくなる場合があります。このケースは思っているよりも多く、趣味に合わないプレゼントをもらった人たちがメルカリなどフリマアプリでよく出品しています。またお互いが合わないと感じ、表面的な付き合いのみになることもあるのでしょう。


例えば、うちの母もプレゼントのセレクトには厳しいです。こういうものをくれるよりは商品券などをもらって、好きに選ばせてもらえる方が嬉しいと言っているくらいです。そうでないなら自分の好きなものを買ってきて欲しいそうです。といっても、そんな風になってしまったのは父がかつて見当違いのものばかりお土産に買ってきたりしていたせいです。ただ安いだけの謎のおもちゃ、現地の人にしか合わないと思われる難度の高い食品など……。

そのため、渡したいものは好みを選ぶような、お返しに困るようなものではない方がいいと思っています。もちろんプレゼントにと気合を入れて選ぶこともときには必要ですが、何でもない日常にぽんと差し出されるようなことがこちらもあんまり気負わずにやりやすいです。

それは旅行先のちょっとしたお菓子をプレゼントしたり、喜びそうなタイミングでぱっと言葉を掛けたりというようなことです。無理矢理押し付けたりということは極力したくありません。それは自分自身がかつて他人の価値観を押し付けられて嫌な気持ちになっていたということが原因です。


私の場合、誰かに何かできたらと思いつく理由はいくつかあります。

1、何かしてあげたいと自分が純粋に思ったとき。
2、親切にしてもらって本人にお返しをしたいと思ったとき。
3、誰かから親切にしてもらい、自分も他の誰かにしたくなったとき。
4、誰かにしてもらいたかったことをしてもらえなかったとき。

1と2はよくあると思います。3は「恩送り」とも呼ばれる行為であり、ある意味ではおすそ分けに近いのかもしれません。動機や実際に取る行動は数あれど、共通するのは自分が気持ちに余裕があるときにする行動であるということです。4は自分は親に厳しく育てられて辛かったので、自分の子供は褒めて伸ばして育てたいと願う親御さんの感覚に近いかもしれません。


プレゼントとひとことで言ってもいろんな種類があります。下心があって誰かにするという人も多いでしょう。下心があって何かしてあげようとすると、うまくいかなかったときに「損をした」と思って辛くなったりしてしまうので、私はあまり好きではありません。その一方で、喜んでいるなら相手に対して何か返したほうがよかったのではないか、と感じる人がたまにいます。家族関係の場合はよくあることではないでしょうか。もらえることが当たり前になっているのもそんなによくないのではないかと思います。

誰かに何かを与えようとすること、誰かから何かを受け取ろうとすること――そこには思っているよりも気遣いや、守らなくてはならないルールがあるのかもしれません。私のしていることだって、誰かにとってはお節介なだけのこともあるでしょう。だから難しいのです。だからこそ喜んでもらえたときはより嬉しいと感じるのかもしれません。


ここまで読んで下さってありがとうございました。




サポートして頂けるととても励みになります🙌頂いたサポートは元気をチャージしていくことに使っています🔥