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社会のマナーとかルールとか常識ってどう学ぶんだろう

これも前回に引き続き、子供の学校で行われているFlexible Thinking (柔軟な思考)というクラスで実際に教えられていたソーシャルシンキングというトピックです。

このソーシャルシンキングは、社会の中の他者とのかかわりの中で自分がどのように考えて行動を選択していくかということなのですが、自分の人生を振り返ってみても、そういったことを授業で学んだ覚えがない人がほとんどだと思います。それでも、たとえば、「道にごみを捨ててはいけない」とか、「トイレでは一列に並ぶ」とかは人生のどこかでなんとなく習得してきたのではないでしょうか。そういうこと以外でも、「自慢すると嫌われる」とか「自分が言ってほしくないことは人にも言わない」とか、教科書には載ってないけれどなんとなく周りの人がみなもっていそうだなという暗黙のルールが社会の中には存在しています。

そのような暗黙のルールをどのように身に着けたかを考えてみると、友達や親きょうだいとの関わりなどろいろな状況のなかで、(大量の)試行錯誤をしつつ身に着けてきたという感じではないでしょうか。失敗すると相手はともかくとして、自分が嫌な気持ちになりますよね。嫌な気持ちにはもうなりたくない、という切実な思いから、今後はなるべく気を付けようとか、相手の状態に想像力を働かせようと学び、徐々に嫌な思いをする機会が少なくなっていく、という感じで人は成長していくのではないかと思います。

ではなぜ私たちはそういった社会性が必要なのでしょうか。一番の目的は、「相手が気持ちよく暮らせることにより、自分も気持ちよく暮らせる。」ということだと思います。

これはクエーカースクールだからというわけではないのですが、子供の学校ではコミュニティの一員としてどのように行動を選択していくべきかというところに注目します。

このソーシャルシンキングのクラスでうちの子供はどのようなことを学んだかというと、まず最初は
「ルール探偵になろう」(Rule Detective)
ということでした。
例えば、その先生が自分の経験を話します。
「先生が子供の頃、スーパーマーケットにスケートボードで行ったんだよ。」
「アイスクリームの試食を30回したんだよ。」
という感じで面白可笑しく話をし、そして子供たちに、

  • その時先生はどんな気持ちだったか

  • 周りの人、お店の人はどんなだったのか

  • (親、お店の人、周りの人)に注意されてた時はどんな気持ちだったのか

と感情にフォーカスして、状況を想像させて発言してもらいます。

そして、先生はほかにどのような行動オプションがあったのか、その別のオプションを取った場合は、ほかの人はどのように感じたのか、また自分はどのように感じたのかについても話し合います。

つまり、自分の行動の選択により、相手はどのように感じるのかを想像させて、もっともよい行動オプションを選択することを学ぶ、というのが根底にあります。

別の授業では、アイスクリーム屋さんで働いているというロールプレイをし、どうすればいいお店になるかを一緒に考えるという授業もやっていました。この場合も、自分の感情、お客さんの感情について話し合うのです。

このソーシャルシンキングは、もとは発達障害などによって、ほかの人の気持ちが容易に想像できない状況のこどもに使われるために開発された方法らしいですが、発達障害がない子供たちにも有効であるということがわかり、いろいろな教育現場で使われるようになったということです。

もっとよく知りたい場合には日本語でも本が出ていますので参考にしてください。この本はティーンエイジャー向けですがマンガでわかりやすく書かれているのでお勧めです。

このような社会性は、生まれつきの能力ではなく、生涯を通じて会得しておくものです。さらにいうのであれば、その「常識」は地域や社会、仲間の種類によっても違ってきます。たとえば、学生仲間と一緒にいるときと、職場の人と一緒にいるときの常識は違いますね。新しい環境に移ったら、新しい「常識」を身に着ける必要もあります。「ルール探偵」になることは、大人になってからでも有意義ですが、新しい場所でのルールを周りの状況により学ぶのは人生を通じて必要なことだなと思いました。

日本では「空気を読む」ことを身に着けることが大人として当たり前のように思われているところがあると思いますが、たまに日本にもどると、マナーや社会常識に関するいろいろなことが、張り紙で貼ってあったり、アナウンスされていたりることに気づきます。たとえば、バスに乗っているときなどは、「大声で話すな」「窓から手を出すな」「ベビーカーはおりたため」「体の不自由な方には席をゆずれ」「携帯で話すな」「ごみを窓から外に捨てるな」などなど。割とお行儀がいいはずの日本なのになぜこんなに制約を明文化しないといけないのかわかりませんが、上記のようなことは人に命令されるようなことではなく、自分で状況判断できることなのではないかと思うので、張り紙は行きすぎだよなあなんて思って眺めています。

ソーシャルシンキングで重要なのは、社会ルールに合わせて行動することが目的ではなく、相手の反応を想像してから自分の行動オプションを理解し、そのうえで自分が一番いいと思った選択をしていくという点にあると思います。自分の判断は時にマナーに反することもあるかもしれませんが、それであっても、周りの情報を理解したうえで主体性をもって判断を下した結果ならば、その結果を受け止めれば問題ないということです。

とはいえ、空気を読む環境で育ってきた私には、新しい状況に置かれたときに周りをきょろきょろ見回してほかの人の見方を見て同じように行動してしまう時がよくあります。

最後に私がアメリカに移ってきて私の周りでのちょっとした社会常識(?)をいくつかご紹介。

  • 酒の手酌オッケー:日本って「手酌はだめ」っていうルール?があったような気がしますが、こっちでは全然問題なし。

  • スーパーでかごに入れたけどやっぱりいらないものは自分で戻さない。レジの人に返すかその辺に放置。

  • くしゃみは手ではなく腕でカバー。これは子供の時にそうしつけられてる気がする。握手をするせいかな。

  • 大皿料理は自分がとったら次の人に回す(とりわけ担当は必要なし)

  • 通勤時はスニーカーを履いて、オフィスにビジネス靴に履き替える人多し。オフィスや車にジャケット、ネクタイを常備している人も。もう通勤時にパンプスを履けない人になってしまった。

そういえば、上記で先生が子供の頃スーパーマーケットでスケートボードに乗っちゃったというエピソードがありましたが、本当にやっている人が!ザック!
私は実際にやってる人見たことないけど。やっぱ珍しいからニュースになるのかもしれませんが。


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