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クエーカー教育とは?(知識編その1)

クエーカー教育について書こうと思った動機

私がクエーカー教育について書きたい、伝えたいと思ったのは、本当にいい教育にも関わらず、日本ではあまりにも知られていないからです。日本でクエーカーっていうと、オートミールのおじさん?という感じだと思います。

私も以前は全然知りませんでした。

私がクエーカー教育について知ったのは、子供をクエーカーの学校にいれたことがきっかけです。息子はアメリカで4歳(Pre-Kindergarten)の時からクエーカーの私立学校に通っています。もちろん選んだときはクエーカースクールだから選んだわけでもなんでもなく、ただ評判のいい学校だったので興味がわいたというだけの話でした。正直言ってクエーカーのなんたるかも、クエーカー教育のことも知りませんでした。子供を学校に入れるための願書に、「なぜクエーカー教育を行っている学校に入れたいのですか」という項目があり、それを書くためにインターネットでクエーカーとはなんぞや、と検索したくらいです。怪しい宗教だったら出願はやめようと。あやしくなかったとしても、個人的には宗教色の強い学校にはちょっと抵抗があったので、宗教色が強かったらちょっと敬遠してたかもしれません。

願書に書くためにネットを検索をして、クエーカー教育についてちょっとだけ学んだ時の印象は、

「クエーカーって宗教ではないのでは?」

でした。宗教というと、神様がいて牧師?的な指導者みたいな人がいて、経典とかがあって、教会とか寺みたいなのところで日曜日には説教を聞くみたいな印象で、厳しい規律みたいなのがあるとかそういうイメージを持つ方もいるかと思います。私がそうでした。しかし、クエーカーはそういったものが全くなく、宗教というより、哲学とか「考え方」みたいな感じで、東洋的な禅っぽい感じに通じるものがある感じがしました。

実際に入学してみても、日ごろの学校生活は普通の学校とほぼ変わりがないです。とはいえ、全体的にクエーカーの価値観が組み込まれていて、しつこくないし、おしつけがましくもない。そのクエーカーの価値観は別エントリーで詳しく書きますが、現在の世の中においても妥当な内容です。

日本語でクエーカーについてネットで調べても、情報は限られています。ちなみに、日本では東京にある普連土学園が唯一のクエーカーの学校で、学校のホームページに学校の理念が紹介されています。https://www.friends.ac.jp/about/index.html

日本にいたときは意識していませんでしたが、日本人でアメリカにおけるクエーカーの学校に縁があることもなかなかないことのようで、せっかくいい教育なので子供の学校のこととか、わたしが調べたクエーカー教育のこと、また息子がリアルタイムで経験していることなどを、覚書として書こうと思っています。

クエーカーについて基本的なこと

クエーカーはイギリスで17世紀に設立されたキリスト教プロテスタントの一派という位置づけで、フレンド派と呼ばれています。クエーカーは神様を信じるというより、「神は個人一人一人に宿る」という考え方で、人は自分の中の光に導かれて正しい行動をとるという非常におしつけがましくないものです。クエーカーの価値観(Quaker Values)のコアとなる部分は、自分に誠実であること、平和主義、平等、シンプルな生活など、現在でも基本的で大事なものばかりです。

アメリカでクエーカーといえば、その昔奴隷制があった時にそれに反対し、奴隷の解放を手助けしていたというエピソードが有名で、平和と平等を愛する人たちということで尊敬されています。1947年にはノーベル平和賞も受賞しています。信者自体はフレンズと呼ばれ、現在でもフレンズは、ほかの人が日曜に教会に行くような感じで、定期的に集まっています。この会合はMeeting for Worshipと呼ばれています。このクエーカーの会合で珍しいのは、参加者がほかの宗教を持っていても全く構わないという点です。キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒あらゆる宗教を持っている人もフレンズの会合に参加でき、それを変える必要はありません。色々な宗教と共存できるということで、ほかの宗教ではあまり考えられないですね。そのせいもあるのでしょうが、アメリカでクエーカーの信者の数はそう多くはなく、クエーカーといえば学校教育、つまりクエーカー教育の方が有名です。

クエーカー教育について

アメリカ内にはいろいろなクエーカースクールがあるので、多少の違いはありますが、基本的なクエーカー教育は下記の二つのクエーカーの考えに影響をうけています。

1.人間ひとりひとりには内なる光が宿り、それを通してより大きな叡智にアクセスできる
2.真理の探究とは人々の集団の中で多角的な視点で発見を繰り返していくことである

つまり、人には一人一人に光(心理の種)が宿っているということ、また、いろいろな考えをもった違った人間の集団の中で掘り下げてこそ、真実に近くなれるということです。

クエーカー教育のゴールは、真実の追求 “Truth seeking”にあるといわれています。

ではクエーカーの学校は集団で話ばかりしているかというともちろんそうではなく、日常的にはごく普通の算数とか理科とかそういった授業が行われます。クエーカースクールらしさはどこにあるかといえば、クエーカー教育の理念と価値観(Quaker Values)が根底に埋め込まれている点にあります。

長くなったので、次のエントリーで教育のコアとなるクエーカーの価値観(Quaker Values)をご紹介します。



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