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クエーカーの価値観 (Values)を浸透させていく方法 (知識編その3)

前の投稿で、クエーカースクールの価値観(Values)について記載しましたが、今回はどのようにそれを浸透させていくかについて書きたいと思います。

質問する、疑問に思う (Query)

クエーカーは一般的に経験から知識を得ることを大切にしています。クエーカーが自分個人に対して、また、集団内で行う“Query (問い、質問)”は、トピックに関連する質問をし、それについての答えを探るということですが、これは自分の考えや行動を繰り返し振り返るのにとても役立ちます。クエーカー教育ではこのやりとり重視して、授業の場や職員会議の場などで、お互いに質問しあい、考えを共有したり原点に立ち返ったりします。禅問答と違うところは、一方通行ではなく、お互いが質問しあい、ともに考えるという点です。

クエーカースクールでは探究型学習という教育学的アプローチがよく用いられます。これは、教師が指示する講義形式のアプローチではなく、子ども中心の探究型アプローチを活用することです。教師の責任は答えを教えるのではなく、子供が自ら探求し、発見していく過程で、順を追って適切な質問を投げかけることにあります。教師は正しい答えがひとつもないような質問や問いかけをすることで、子供は論理的・批判的問題解決方法を身につけていきます。これにより、偏見や不合理な判断、ステレオタイプの習慣を否定する態度を養い、生徒が多様性の価値を経験し、自分と同じではない価値観に対してオープンになっていくことができます。

振り返り・内省 (Reflection)

クエーカースクールにおける教育の重要な点は、生徒に内省(リフレクション)のプロセスを教えることです。クエーカースクールの教師は、生徒が自ら考え、成長していく過程を意識させ、授業で何を学んだのか自分に正直にリフレクトさせることに時間とエネルギーを割いています。

このプロセスにおいて特徴的、かつ重要なのはmeeting for warshipです。これはクエーカー教徒の会合にも使われる呼び名ですが、礼拝というよりもリフレクションをする集い(ミーティング)といったほうがいいでしょう。クエーカー教には宗教的な教義や教えがないため、人々が互いに接する態度に最も重きを置いていますが、このミーティングはいろいろな宗教的伝統を持つ(あるいは持たない)生徒が、クエーカースクールの集会の静寂の中で心地よく、一体感を感じることを可能にしています。会合(ミーティング)は、参加者が静かに考え、日常生活について新鮮な視点を得る機会にもなります。

クエーカースクールでは学校またはクラス主催で毎週一回きまった日の朝にmeeting for worshipが開かれます。時にはクラスで行われますが、学校全体のミーティングも月一くらいで開催されています。小さいころ(4,5歳)からこのミーティングに参加するのですが、それによって、我慢強くじっと座っていることや、無言のセルフリフレクション時において自分自身を内省する習慣が養われます。

研究によると、立ち止まって考える時間、リフレクションの時間を作ることは、人に活力を与え、生産性を高めることがわかっています。世の中では瞑想(メディテーション)が大人から強い支持を受けていますが、クエーカースクールでは小さいうちからその習慣がつきます。ちなみに一番小さな学年(Pre-Kindergarten, 4-5歳)では、入ったばかりの時は短い時間からはじめますが、学年の終わりにはだいたい20分くらい何も話さずじっとしていることができるようになります。

また、朝授業が始まる前、校長先生の話を聞く前、お昼ごはんの前などには、毎回静かになる時間(moment of silence. 黙とうのようなもの)があり、10秒くらい黙とうをしてから授業等がはじまります。これは頭にあるいろいろな考えや不安などをいったん遮断する時間を持つということで重要です。保護者の会の前にもこれが行われます。

保護者もMeeting for Worshipに参加できるので、私も参加したことがあります。具体的になにをするかなど、また機会があったら書こうと思います。

協働による学び (Collaboration)

クエーカースクールでは、競争よりも協働(コラボレーション)が重要視されます。学力的にも高い学校が多いので学年が上がっていくにつれ変化はあると思いますが、基本的にクエーカースクールではお互いのコネクションや関係性が強調されます。そのため、子供の成績表もAとか1とか比較につながりやすい数字的なものはなくて、記述式文章で伝えられます。

クエーカーの教えでは、それぞれがその人のままで価値があり、尊重されるべきというのが根底にあり、一人一人の人が小さな真実のかけら(ピース)を持ち寄れば、単にテキストや実験から一つのことを学ぶよりも復元的に物事を学べるはず、という考え方です。協働的な学びのやり方としては、他人の意見やアイデアに対して健全に批判する力を養うこと、自分の意見に反対されることに慣れ、それを心地よく思うことができること、厳しい意見をあえて言ってあげる労力を惜しまないこと、自分とは違う考えや新しい考え方にオープンになること、などがあげられます。確かに、集団の中にいると流されて、他人のアイデアに対して批判的な意見を言うのは大変勇気がいることです。人とは違う意見を述べるのは、安全な環境の中で練習しないとなかなか養えないと思います。私は日本での教育の中で、あまりそういった機会がなかったように記憶しているので、現在職場で自分の意見を言うのにかなり勇気を出す必要があります。若いころに訓練を積むのは重要ですよね。

協働学習でお互いに学ぶことと教えることを通じて、相手を聴く力、問題について話す力、相手の視点に立って見る力、意見の相違を調整する方法を学び、それにより、多様な視点を理解し、相手をリスペクトしながら対話する能力、また多様性がもたらすかもしれない対立に対処する能力が高まります。

パートナーとしての教師 

クエーカースクールでは教師は学びのパートナーという役割です。アカデミックな指導ももちろん大事ですが、個人個人の違いを尊重し、要所要所で内省(リフレクション)を促すような言葉がけをするのが、とても重要な役割です。クラス内のルールを決めて、お互いを尊重するよう、親切にするようふるまうことを促すのも教師です。声を荒げて注意するということはクエーカーの価値観に反します。

こういった指導方法に共感できる教師の採用に学校側も大きな注意を払っています。通常の教師の資格、学歴や経験に加えて、教師を採用する際には以下のような判断基準も使われます。

  • 協働学習を指導できるか

  • ダイバーシティや平等に対しての受容性はあるか

  • 聴く力、忍耐力があり、オープンマインドであるかどうか

息子の学校では先生のお給料もかなり高く、先生のクオリティを確保することは重要視されていることがわかります。いままでの先生は個人的にも尊敬できる素晴らしい先生ばかりです。やはり生徒を尊重する先生を雇うには、先生が尊重され、尊敬される環境をつくること、きちんとした待遇をすることはとても重要だと思います。

以上で知識編は終了ですが、次回以降はクエーカー教育に関係するかどうかはおいておいて、実際に息子や親が体験したことなどを発信していきたいと思います。


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