【意外にも】最近見た映画の話。【大当たり】

どうも、スーパーで「クリスマスケーキのご予約を承っております」というアナウンスが流れて呆然としている私です。
時の流れは残酷。

さて、今日も今日とて最近見た映画の話をするよ。
今回はヒューマンドラマ系です。
ネタバレを含んでいますので、ネタバレが嫌な人は注意。


■漁港の肉子ちゃん ★★★★☆(星4)

まさかの西加奈子の原作を、明石家さんまが企画・プロデュースしたアニメ映画。正直全然期待してなかったんだけど、これが超面白くて大当たり。
制作陣がめちゃくちゃ豪華なのは知ってたけど、恐れ入りました。

・あらすじ

超ぽっちゃりなうえに顔もたいして美人ではない、でも純粋で真っ直ぐでとてつもなく明るい肉子こと見須子 菊子。
かたやそんな母とは似ても似つかぬ、スリムで美人な娘・キクリンこと見須子 喜久子。
男に振り回されては住む場所を転々としてきた肉子と、それに付き合わされて同じく住む場所を転々としてきたキクリン。そんな二人はある日突然蒸発した肉子の恋人を追いかけ、やがて北の漁港へ辿り着く。
やがてその町で暮らし始めた二人。穏やかに過ぎる日々の中、思春期を迎えた娘・キクリンは、友人関係や自身と母の暮らしなど、色んなことに悩んだり葛藤するようになっていく。


・まさかの声優キャスティングと、絶妙な脚本

さすが明石家さんま、まさかの肉子ちゃんに元妻・大竹しのぶをキャスティングするという奔放っぷり。娘の喜久子役は木村拓哉の娘・Cocomi
その他多くの芸人や、この映画のオーディションで声優デビューを果たした新人声優から人気声優まで、とにかくキャスティングのバリエーションがすごい。そしてこれがまたハマっているのだからすごい。

Cocomiはまだ少し不慣れな感じがあるけれども、逆にそれが思春期の少女のぎこちない感じとマッチしていて結果オーライな感じがする。
大竹しのぶ演じる肉子ちゃんは関西弁のため、明石家さんまが方言の指導をしたようだが、生まれも育ちも大阪のバリバリ大阪人である私からすると、やっぱりちょっと変な箇所はある。でも相当良いと思う。
正直ドラマとかで見れたもんじゃないような関西弁を聞くことも多いけど、今回の大竹しのぶの関西弁はかなり良い
やっぱり自分の出身地意外の方言を話すのってすごく難しいよなぁと改めて思った。私も標準語はナチュラルに話せない。

個人的にはそれぞれのキャラクターと声は合っていてよかったと思うし、まさかのマツコ・デラックスがちょい役で出ていたのは笑った。
そして大女優・大竹しのぶにあれほど台詞で「うんこ」を言わせることが出来るのは、さんましかいない


・肉子ちゃんは世界を救う

ものすごく言い方が悪いのを承知で言うけれど、肉子ちゃんはお世辞にも頭が良いとは言い難い。むしろ悪い。教養もない。
だけどもう底抜けに明るくて、純粋で、いつも何事にも全力で、他人を否定しない。どんなに頭の良い人間より、どんなに偉い人間より、肉子ちゃんの人格は素晴らしいといえる。

正直者は馬鹿を見るとはよく言ったもので、肉子ちゃんときたら損ばかりの人生なのだけれども、誰かを恨んだり妬んだりすることなく、ひたすら目の前のことに真っ直ぐに向き合っていて、そこにはまるで恐れなんてないようで、逞しくもありこれ以上ないほどに優しい。こういう人間を「強い」というのだと思う。

キクリンが体調不良になったのを我慢していた時などは、「気付いてあげられなくてごめんね」と言っておいおい泣く。
大抵の親とか、あるいは職場の人や学校の人間なんかは「どうして具合が悪いならそう言わないの!」とか言うだろうけど、肉子ちゃんはそんな事は言わない。「私が馬鹿だから、気付いてあげられなかったね、ごめんね」なんて、なかなかそんな事を言える人はいない。
若かりし頃の親友にあり得ないようなことをされても、責めない。
「きっと事情があった、あの子は不安だったんだ」と、絶対に相手を否定するようなことを言わず、ずっと寄り添っている。

もう全人類が肉子ちゃんや、以前書いた「福福荘の福ちゃん」の福ちゃんみたいならいいのにと思った。


・思春期の少女の葛藤

思春期を迎えたキクリンの気持ちが私にはわかる。
もしかすると、女性特有で男性にはピンと来ないようなこともあるかもしれないけど、10代に突入して以降の女の人間関係というのは本当にややこしい。幼稚園の頃にみんな仲良く遊んでいたのがまるで夢だったかのように、10代になると友人関係は複雑になる。色んなものの板挟みになって、自分の気持もよくわからなくなって、なんだかずっとモヤモヤグチャグチャしてしまう。
そんなキクリンは、肉子のあっけらかんとした純粋さに救われているように思う。

それ以外にも何かに悩んだりした時に、肉子だけでなく、サッサンなど自分の周りには良くしてくれる人がたくさんいるけれども、近い存在だからこそ遠慮してしまったり、言うのが怖くなって肝心なことが言えない…というようなキクリンの気持ちももの凄くわかる。
そういう気持ちの揺れ動きが、もの凄く丁寧に描かれている。


長々と書きましたが、個人的には面白い、良い映画だったので星4。

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■私をくいとめて ★★★☆☆(星3)

私の好きなドラマに「失恋めし」というのがあるのだが、キャスティングといい映像の雰囲気といい、似てるなーと思ってたら同じ監督だったわ。

・あらすじ

主人公・みつ子は、ソロ活にハマるアラサー。
彼女の脳内にはもう一人の自分である相談役・「A」がおり、Aは自分を決して傷つけることなく、常に正しい答えをみつ子に与えるべく全力で寄り添ってくれる。
そんなみつ子は少し前から、自身が勤める会社の取引先企業に務める多田くんと、ただ彼に料理をおすそ分けするだけという奇妙な交流を持っていた。
ある日自分が多田くんに恋をしていると自覚したみつ子は、どうすればいいのか戸惑いながら、気楽なお一人様生活から一歩踏み出そうとしていた。


・まるで脳内にいるAIのような存在、「A」

のんが演じる主人公・みつ子の脳内にいる「A」。
要はみつ子自身であり、子どものイマジナリーフレンドのような存在で、かなり具体性を持った存在である。
これは自分の殻に閉じ籠もっていて、精神的に未熟なみつ子を表しているのかもしれない。大人でもイマジナリーフレンドを意図的に作り出すことが出来るが、物語終盤の「A」との別れの描写的には、子どもの作り出すイマジナリーフレンドっぽい=みつ子はまだ未熟、ってことなのかなと個人的には思う。
Aの受け答えは、基本的にはAIに似たような雰囲気を感じるけど、たまに感情的になるところが、みつ子自身の感情のアップダウンだったり幼稚な部分を表していると思う。

Aの声は中村倫也が担当していて、これがまたイケボ。最高。
ちなみに具現化したAは前野朋哉が演じており、その姿をみつ子が「丁度いい」と評価したの、なんかわかるわ。笑


・色んな形の恋愛や人間関係と、その難しさ

みつ子が多田くんに恋している一方その頃、みつ子の会社の先輩・ノゾミはかなりクセがすごい男・カーターに恋しており、はたから見ると「そんな恋愛の何が楽しいのか」と思うけど、恋愛って人間関係の中でもかなり独特で、第三者目線ではわからないことが多いと私は思う。
人の価値観や幸せって人それぞれだよね…という当たり前のことを再認識した。が、それにしてもノゾミは男の趣味が悪いとは思うけどな!

あと個人的には多田くんが色々と予定通りに進まなくて車運転しながらイライラしてるシーン、引いた

また、みつ子と皐月の関係性には、上記の「漁港の肉子ちゃん」で書いたような、”女同士の複雑な友人関係" を感じる。
相手のことは好きなんだけど、妬みとか焦りとか、自分と比べてしまう気持ちとか、色んなものが絡み合って素直になれなかったり、モヤモヤしたり。
色んな人間関係の難しさや複雑さが画面から伝わる。


・君は天然色

めっちゃいいタイミングで、めっちゃいい演出とともに大滝詠一の「君は天然色」が流れるのだが、これが最高すぎて、アラサーにして大滝詠一にハマった私がいる。
断片的には聞いたことがあったんだけど、ちゃんと聴いたことなくて、この映画をきっかけに聴いてみたら何と素晴らしいことか。
映画って、こういう風に新しい音楽と出会ったりもするのでいいよねぇ。

「くちびるつんと尖らせて〜」というフレーズと「想い出はモノクローム色を点けてくれ〜」というフレーズがまさか同じ曲だとは思わなかった。
このセンスよ。天才か。
このクリスマスのような、でも真夏のような、何ともいえない世界観。すごい曲を使ったもんだなと思う。


正直、ものすごく面白い!ってわけではないんだけど、「あー、なんかわかるわ〜」ってなる映画。

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■ペンギン・ハイウェイ ★★★★☆(星4)

私は森見登美彦の小説とそれをもとにした映像作品が大好物でして、特に「夜は短し歩けよ乙女」は好きな映画トップ10に入るくらい好き。
そんな森見登美彦の小説をもとにしたアニメ映画。
そのうち「夜は短し歩けよ乙女」や「四畳半神話大系」についても書きたい。

・あらすじ

10歳の小学生・アオヤマの住む町に、突如としてペンギンの群れが現れる。
どうやらそのペンギンは、アオヤマが通っている歯科医院の "お姉さん" が出しているらしい。
お姉さんはどうしてペンギンを出せるのか、一体ペンギンはどこを目指しているのか―アオヤマはその謎を探るべく、【ペンギン・ハイウェイ研究】と名付けて調査を始める。
一方その頃、同じクラスの女子・ハマモトは、森の奥深くに浮かぶ巨大な謎の球体、通称【海】を発見。アオヤマに共同研究を持ちかける。
ハマモトと、友人・ウチダとともに【海】を研究することになったアオヤマは、次第にお姉さんと【海】の関連を疑うようになる。


・美しい作画と、対照的な "死" のにおい

とにかく作画が美しい。
【海】がぽっかり浮かんでる草原の作画ももの凄く綺麗だし、各キャラクターのデザインもいい。小学生の甘酸っぱい恋と相まって、何とも言えない味わいがある。

が、物語中盤以降、途端に "死" のにおいが作品に充満し始める
何も食べなくても生きられて、そんな自分の存在が恐ろしくなり始めるお姉さん。
そんなお姉さんを見て心配のあまり自分も何も食べないという実験を始めるアオヤマ。
夜中に突然泣き出して、人の死を怖がる妹。
正体不明の【海】に父の命が取られてしまうのではないかと焦るハマモト。

美しい作画とは対照的な暗い陰鬱な影が、物語を侵食し始める。

この作品はどこかジブリ的というか、「生きることと死ぬこと」が主なテーマとしてあって、でも物語が進むにつれてそんな生と死という概念を超える、「表裏一体」というものがあるというか。うまく説明できないのがもどかしい。
何か世界の秘密のコアに触れているような、そんな感じ。

森見登美彦は「四畳半神話大系」などでも見られるように、量子力学とか平行世界とか、そういったものに造形が深いというか、興味がありそうだなとは思っていたが、この作品のコアもそこにある気がする。


・対になる要素とお姉さんの存在

こう言ってしまうとすごく陳腐な感じがしてしまうけど、お姉さんは一種の "神" のような存在なのだろうなというのは見ればわかると思う。
そしてそんなお姉さんの周りを取り囲むのが「対になっているもの」だ。「生と死」「ペンギンとジャバウォック」「希望と絶望」など、対になる要素がお姉さんの周りを取り囲んでいる。

お姉さんはペンギンという光を生み出すが、同時にジャバウォックという闇を生み出す。
【海】から離れると途端に死んでしまいそうになるのに、【海】のそばに居るときには何も食べなくても生きられる。
自分という存在に絶望を感じながら、世界を救えるという希望を見出す。
アオヤマは、お姉さんという「女」に感情を乱されるが、父という「男」とはロジカルな会話をする。

それら「対になる要素」というものは表裏一体として切り離されること無く存在していて、それを具現化したものが "お姉さん" と【海】なのではないだろうか。
この世界とはすべて表裏一体であって、真逆に思えるようなものごとは二つで一つ。
生と死、光と闇、男と女…どちらが欠けても、どちらも存在することはできない。そんな話かなと思った。
まぁ私が「都市伝説を紐解きたければ娯楽を見ろ」シリーズでよく言ってるようなあれです。


・お姉さんはアリス

劇中の「チェス」や「ジャバウォック」というキーワードから、「鏡の国のアリス」を連想する人は多いと思う。
お姉さんは恐らくアリスをモデルとしていて、"お姉さんの世界”から、地球へと迷い込んだ(送り込まれた?)のだと思われる。
お姉さんは "神"あるいは異星人で、やはり本来は地球にいるべき存在ではないのだと思う。

そういえば、「ペンギンは金星から来たのではないか」という記事が数年前に出ていた。ペンギンの糞から、金星の大気中にある化学物質と同じものが発見されたというような内容であった。


めっちゃ長くなったので、この辺にしておきます。
「ペンギン・ハイウェイ」は自分でも何が言いたいのかわからない内容になってしまったので、また後日ちゃんと考察して改めて記事を書きたい。
とりあえず今回は「こんな映画見たよ」って話なのでご勘弁ください。

「私をくいとめて」で紹介した「失恋めし」、面白いので是非。
アマプラで見られます。

上記の映画3作品はNetflixでみられます(2022年11月現在)。


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