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「わたしは、私」と笑えるようになるまで -ドラマ『恋のツキ』-

 ドラマ化をずっと楽しみにしていたのに、テレ東での放送当時は関西でオンエアされておらず、Netflixで公開されるのをさらに待っていた(このドラマはテレ東とNetflixの共同制作である)。どうせなら一気に観ようと、長期休暇を狙って年始に観はじめ、3が日中に観終えた。私はこの作品に勇気をもらった。主人公は平ワコ(徳永えり)、31歳。大きく回り道をしたように見えたかもしれない。けれど、自分の人生を自らの足で歩む第一歩に、遅いも早いもないのだ。
※ 観てほしいので、完全なネタバレはしていないつもり!


選ばれることが、自分の価値になる?

 このドラマの中では、ワコがガチャガチャ(あなたの地域では、ガチャポンって呼びますか?)を回すシーンがたくさん出てくる。彼女は不安になると、狂ったようにツマミを何度も回す。「レア」を引き当てる“ツキ”が自分に巡ってきているかを確認するために。けれど本当は、ガチャガチャと自分を重ね合わせて自問している。「ガチャガチャをした人が私を引き当てた時、『レア』だと喜んでくれるだろうか?」と。

 ワコは「選ばれる」ことに固執する。同棲して3年の恋人・ふうくん(渡辺大知)は、彼女を選んでくれたひとりだ。その前の彼氏には手酷く振られていたこともあり(帰宅したら、彼氏が他の女を連れ込んでいる現場に居合わせるという最悪のやつだ)、ふうくんが「選んでくれた」ことは、彼女にとって心の支えになっている。最近、家賃はワコが全額支払っているけれど。仕事から帰ってきたふうくんは、何度注意してもその辺に靴下を脱ぎっぱなしにするけれど。テレビのチャンネル権はワコには絶対ないけれど。自分の実家に挨拶に行こうと言っても、彼は全然乗り気じゃないけれど。「でも、この人は私を選んでくれたから。こんな人、もうふたりとして現れないから。なんかちょっとモヤモヤしてるけれど、順当にいけば私はたぶん、この人と結婚して、家庭を築くんだよね?」。

 なんて思っていたら、出会ってしまうものだ。アルバイト先の映画館に、顔が超タイプのイコくん(神尾楓珠)が現れる。しかもワコと同じ映画好きと、価値観も合う。ただ、落としていった生徒手帳から、彼が15歳の高校1年生だと知る。自分の歳の約半分だ。戸惑いは隠せないが、久しぶりに感じるときめきに舞い上がっているのも事実。正攻法ではないが距離を詰めてみたら……彼もなんとワコを選んでくれたのである。「ワコさん、僕と付き合いませんか?」。「彼氏はいない」ととっさについた嘘を、彼は無邪気に信じていた。ふうくん以外に自分を選んでくれる人はいないと思っていたのに。ワコは揺らぎはじめる。


自分のしあわせはだれが決めるもの?

 結果として浮気はバレる。ワコはさらに揺らぎ、模索しはじめる。だれが自分をしあわせにしてくれるのかと。だれが自分を安心させてくれるのかと。そして、一度はふうくんとやり直そうとする。やはり彼と別れる自分は想像ができない。長年一緒にいたんだもの。マンネリだけど、もう一度お互いを思いやれたら……。でも、また少し慣れてきた頃にふうくんから出た言葉は、そんな気持ちをさっと冷やした。フリーターをやめるため、就活をしていた時期でもあった。ワコはこの日、別れを決意する。

「正直俺だって、気楽にバイトしてたかったけど、ワコと同棲する時に腹くくって就職したじゃん。毎日毎日早起きして、俺じゃなくてもできる仕事しに行ってさ。これがジジイになるまで続くと思うと、逃げ出したくなる時もあるよ? ワコにだけ趣味に走られたら、俺やってられないよ」
「(中略)私、昔会社勤めしてたからその気持ち分かるよ。これから先、子ども産んだとしてもすぐ働かなきゃだろうし」
「ワコはパートでコロコロ転職できるだけマシでしょ」

 また、偶然に再会を果たした元彼・土屋(安藤政信/女を連れ込んでいたあの元彼)から受けたプロポーズを逡巡していた時に、彼からかけられた言葉。これもワコにとってはしあわせとは程遠いものだった。

「子どもつくって、子育てしてくれたらいいから。家に帰ってワコちゃんいてくれたら、俺ほっとすると思う」
「私がやりたいことあるって言ったら?」
「やりたいことがあるなら、応援するよ。--今、32※だよね? 相当がんばらないといけないんじゃない?」
(※ワコはドラマの中で歳を重ねている)

 そしておそらくこの辺りでワコは気づきはじめるのだ。「だれかにしあわせにしてもらうのではない」と。「自分のやりたいことは、だれかに許可を取ってやらせてもらうものではない」と。


ワコを後押ししてくれる、かっこいい存在

 苦戦した就活だったが、無事に事務職への就職が決まった。ただ、ワコはそこでもあまり馴染むことができない。その上、高校生のイコくんとの交際が周囲に気づかれ、ますます孤立していく。そんな中でも、周りの噂話に振り回されず、ワコを気にかけてくれる女性がいた。同僚の照井(江口のりこ)だ。男性営業職たちとの結婚に躍起になっている女性事務職たちとの折り合いが悪く、彼女も会社で孤立していた。しかし、淡々と仕事をこなし日々をやり過ごしているように見えていた照井は、実は充実したプライベートを送っていた。年下の男性と付き合っていたことにも驚いたが、もっともワコが惹かれたのは、彼女が趣味のアンティーク家具づくりで、少しばかりではあるが、お金を稼いでいたこと。彼氏はプロの家具職人だったが、照井は「あくまで趣味」と割り切っていた。でも、そんな姿もワコにはまぶしい。


自ら踏み出して再生していく

 人生に迷いに迷っていたワコだったが、照井にも勇気付けられ、自分に責任を持ちはじめる。ふうくんと別れ、同棲を解消した時よりもさらに、地に足をつけて。仕事を辞めて、イコくんとの関係も見つめなおして、東京から出て、自分の夢に手を伸ばす。ドラマは、ワコが自分の夢をまさに叶えようとするところでラストを迎える。「今、32だよね? 相当がんばらないといけないんじゃない?」なんて言っていた土屋の言葉を跳ね返す勢いだ。


「わたしは、私」の時代?

 年始にSNSで大炎上していた某百貨店の広告。あそこで語られていた「わたしは、私」。なんてしゃらくさい広告だろうと私は思った。そんなこと、いちいち言われなくたって私たちはとっくにわかっているし、私たちは「女としての」ではなく「自分の」しあわせを掴もうと日々を生きている。
 それでは「自分の」しあわせを阻むものはなにか? ワコの場合のそれは、自分を大切にできない自分。「ふつうのしあわせ(結婚して出産して、家庭を築いていくこと)」という呪い。それに伴って世間から浴びせられる、「いい歳なんだから結婚しろ」、「タイムリミットが近づいているんだから出産も視野に入れろ」、「30歳をすぎて採用したって、どうせ結婚だの出産だのでやめるんだろ」という言葉。そして男と女が「ふつうのしあわせ」を手に入れようとした時、男性(ふうくんや土屋)は女性(ワコ)の自由を歓迎してくれないことだったのではないか。彼女は必死にもがいてそれらから離れていった。現状、「女としての」なんていう枷をつけてくるのは社会の方だ。その枷を外して自分自身を受け入れることで、ワコはようやく「わたしは、私」と笑うことができたのだ。

最後に

 年齢も近いことから、だいぶワコに肩入れした文章になってしまった。本当は、イコくんとの恋愛を中心にもっとたくさんのエピソードがあるのだが、ぜひ観てほしいので、これで止めておく。ワコが自立していくというストーリーも良いが(ただし、だいぶ痛みが伴う)、そもそも映像自体がとてもうつくしい。色彩がとてもきれいなのだ。そして、音楽も良い。目で耳で心で、受け止めてほしい作品である。

ここでは言及しきれなかったのだけれど、31歳の女性と15歳の少年が恋愛することについては、またいつか、別で書けたらと思う。


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