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#13 部活を考える

日本特有の文化、部活動。とりわけ運動部はその存在が大きく、プロスポーツにも多大な影響をあたえる競技がほとんどです。
日本のスポーツ文化をつくる、大きな要素となっている部活動。その部活動について、今一度考えることで、日本でスポーツを文化にするために必要なこと、または問題点が見えてくるかもしれません。というわけで、第13回は、部活動がテーマです。


非科学的で根性論

部活動。とりわけ運動部。そう聞いて、いい思い出がある人、嫌な思い出がある人と、思い出は人それぞれでしょう。しかし、運動部で共通するワードは、「きつかった」「辛かった」といったものではないでしょうか。わたしもそうです。
練習前に4キロを走り、シャトランを数本終えてはじめて練習が開始される。しかも、この間の水分補給は無し。今思い返しても正気の沙汰とは思えないような練習メニューを毎日繰り返していたわけです。水分補給をしないと集中力が持たず怪我をしやすかったり、まるで効率的とは思えない練習。そこで徹底的に叩き込まれるのは根性。それが昔の部活のイメージでしょうし、実際そうでした。
また、上下関係というものも強烈に存在するのが部活で、たった1、2年早く生まれただけで、その間には恐ろしいくらいの差がある。もちろん、実力世界というスポーツがもつ本質をわかっている部であれば、たとえ1年生であっても、先輩を差し置いて試合に出れたりはするのです。でも、たとえ試合に出ても、1年であればボール磨きは必ずやらされる。
もちろん細かな違いはあるにせよ、ほとんどの部活はそういったシステムです。


街クラブの存在

一方で、街に存在するスポーツクラブが、部活にかわりユース世代の実力をあげる要素として台頭してきたのは、もう数十年前の話。
いまでは部活ではなく、そうしたクラブチームを選ぶユース世代も増えてきています。サッカーでいうと高円宮杯のように、部活とクラブチームが一同にかいして、真の世代最強を決める大会も開催されています。クラブはプロに直結してるし、部活のような、いわゆるシゴキや、縦の関係も緩く、自由で、純粋に競技に集中できる、というイメージ。お金が多少かかっても、プロを夢見る子供をクラブに入れたいと思う親も増えているでしょう。


部活とクラブの人間教育

では部活は悪いとこだらけか、というともちろんそうではなくて、部活は教育の一環として存在する以上、人間教育というものにも焦点を当てている部が多く、文武両道をモットーにしている部で、テストで赤点をとると試合に出れない、など学校教育とリンクしている場合もあります。また、選手権など、高校に所属していないと出れない大会もあり、今でも高校の部活を選ぶ選手も確実に存在します。
一方、クラブチームもそうした部活がもつ機能を兼ね備え、中学や高校と連携し、スポーツだけではない、人としての成長を目指して活動するクラブも随分増えました。
人間教育はどちらもあたりまえ。あとは子供がどちらを選ぶか、という選択になっています。


部活動がなくなる日

そんな肩身の狭い印象の部活動にたいし、ここに少しショッキングな情報があります。

スポーツ庁の有識者会議 ガイドライン骨子が大筋了承

内容は簡単に言うと以下です。

●休養日は週2日以上で、平日は1日以上、土日で1日以上
●夏休みなど長期休業中は部活動も長期の休養日を設ける
●1日の活動時間は平日2時間、休日3時間程度
●科学的トレーニングを導入し、短期間で効果が得られる活動にする
●スポーツクラブなどと連携し、地域のスポーツ環境整備を進める
●大会の統廃合を進め、学校が参加する大会数の上限を定める

ということ。
よくなる部分もあるにせよ、やはり気になるのは1番上の●休養日は週2日以上で、平日は1日以上、土日で1日以上という事項と、その下の●夏休みなど長期休業中は部活動も長期の休養日を設けるという事項。つまり、部活の活動日数が大幅に減るという事です。
さらに、1日の活動時間を平日2時間、休日3時間程度までとする指針の骨子が大筋で了承されたらしく、ちょっとわたしの頃には想像もつかない状況になってきました。
ガイドラインでは教員の長期労働、いわゆるブラック部活の問題や、先にもあげたような非科学的、非効率的な練習の回避など、さまざまなな理由をもってして作られたものみたいですが、これを一概に「いいじゃん!」といえないわたしもいるのです。
今後はクラブチームがさまざまなな個性を出し、学校が終わればクラブにいく、という図式が更に強まるでしょう。
そうなると、部活動のあり方そのものにも疑問がわいてきて、最悪、廃止なんてことにもなりかねません。


部活動のあり方

わたしは何もシゴキを正当化するつもりは毛頭無いのです。先日のアメフト事件のような状況はあってはならない。それ以外にも部活動を舞台とした事件はあとをたちません。
それでもやはり、部活動は日本に必要だと思うし、スタイルを変えるべきでもないと思うのです。日本には素晴らしい部活動が沢山あります。その中、事件を起こす部ばかり注目されて、部活動は悪、というイメージがどんどん刷り込まれていく。日本のよくない部分です。
「部活をやってなければ、今の自分は無い」と思っている人だって確実に存在しています。
先生たちもそうです。手当もないのに、バスを運転し、子供たちを試合につれていったり、何より平日の練習も手当などなくても、毎日見にくるような先生たちも日本に沢山います。
ブラックだと感じるのは、おそらくは先生とのミスマッチが原因だと思います。そりゃ、そこまでやる気のない先生にとってはブラックでしょう。しかしそれだって先生の自由なわけで、何も悪くない。そうではなくて、悪いのはミスマッチを生んでしまう制度や組織です。

スタイルに関しても変えないほうがいい、と書いたのは、部活には部活の、クラブにはクラブの、それぞれの色があっていいじゃない、と思っているからです。
部活は厳しい、つらそう、というイメージでいいじゃん、と。
なんでもかんでもが、まるで似たようなメソッド、教育方針なんて、逆に気持ちが悪い気がするんです。


改善点すべきは、ミスマッチ

先にあげた記事の中でも元プロ野球選手の小宮山氏も言っていますが、本気でやりたいと思っている子にとっては、弊害でしかない改善点でしょう。実際、つらくても、キツくても、好きだからやりたい、と思う子供たちはいるわけで。そう考えると、改善点って本当に時間短縮する事なのかな、と疑問です。
これは「選択の問題」だと思います。やりたい!という子供たちと同じようにやりたくない!という子供たちもいる。
ブラックだ!という先生もいれば、全然平気!という先生もいる。
それぞれが、それぞれの選択を間違わなければ、なんの文句もないんじゃないかと。
そうなると、やはり選択肢の多いクラブチームに人は流れるんだろうな、と思います。
ウェブなどにも情報が流れ、うちのクラブはこんな理念でやってます、と紹介したり、色々なところで、評判が流れているわけです。
子供や親はそこで選ぶ事が出来るし、コーチだって専任のいわばプロが教えている。何より、人が来ないと潰れてしまうクラブチームは、よりサービスを充実し、評判をあげる努力をする。
と、書いていると、やはり部活動に勝ち目はないか、、と思ってしまいます。


選択肢と評価制度

いや!そんなことはない!本当にうまく言えなくて悔しいんですが、部活動出身者としては、部活は絶対必要だと思うのです。もちろんクラブチームも素晴らしいです。だからそこは選択でいいと思う。ただし、こうやってスポーツ庁が改善に乗り出すほど、部活動をとりまく環境は悪化している、という事実もあるのでしょう。だから、改善は必要だし、するべきで、トレーニング方法の見直しなんかは是非やるべきです(これはもっと早くやってほしかったぞ、、)。だけど、本当にそこなのかな、という改善は逆に子供たちから何かを奪っているかもしれないことに気づくべきです。
時間短縮はまさにそれです。確かに部活動=不当な労働ととる先生もいるだろうし。
だから、選択肢を広げることが出来れば、ミスマッチなくいけるんじゃないかと。

例えば、スポーツ庁でもいいんですけど、全国の部活動を第三者目線で評価する組織があって(もしかして、既にあるかな?)そこが毎年の評価を公表する。厳しさ5、実力3、親の関心度5、みたいな5段階くらいでさまざまな項目を数値化。

とにかく、そうやって生徒にも先生にも、そして親にも選択できる要素をなるべく公表することで、なるべくミスマッチをなくす。
そして、学校以外の誰かが常に評価することで、事件や事故を防止し、部が努力するきっかけをつくる。
さらに、三年間、何かの項目で5点をとり続けると、表彰されたりするのもいいかもしれないですね。たとえ実力的に全国区な部ではなくても、ちゃんとスポーツ庁とかで表彰されれば学校のアピールやブランドアップにも繋がります。学校にもメリットがないと頑張れませんからね。
例えば、「埼玉県〇〇高校バスケ部が三年連続で、「部員の満足度」で5点をとり、スポーツ庁から表彰されました」とか全国ニュースで流れたり。ここに強豪か、そうでないかは関係ないですね。


情熱が結集してこそ部活動

と、今回は完全なる自論を展開してしまいました。 なんだかんだいってネガティブなイメージが多い最近の部活動ですが、そもそも部活動なんてものは、さまざまな人たちの情熱なくしては成立しないものです。
先生たちの情熱もそうだし、それを支える学校の情熱、そして、それを理解できる親の情熱。そういう、数々の情熱が結集するからこそ、あの厳しさの中でも子供たちは成長し、何かを得るんだと思います。厳しすぎる、とか、労働時間とかばかりではなく、そういった情熱を絶やさないようにする事が部活動再編の最重要ポイントだと思います。
先生に隠れて飲んだ水、鬼のように怒られた日々、試合に勝ってみんなで食べた焼肉、卒業式で泣いている監督を見て、あ、こいつも良いとこあんな、と思ったこと。
部活がくれたもの。わたしの宝物です。

日本のスポーツ文化の悪しき産物ではない。
むしろ、部活動がいまの日本のスポーツ文化を作ってきた、と思います。だからこそ、そこで今もなお闘っている人たちが報われる再編が行われるといいな、と思っています。

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