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スタジアム・アリーナ建設がもたらす「ジェントリフィケーション」の理解

前回ご紹介したアレジアント・スタジアムは、2020年にレイダースがオークランドからラスベガスに本拠地を移転したことに合わせて建設され、今年はスーパーボウルの開催地に選ばれた事で、ラスベガスに7億ドル以上の経済効果をもたらしました。毎年スーパーボウルの開催地には多くの観光客が訪れ、ホテルやレストラン、バー、娯楽施設の需要、また、コンサート、展示会、観光ツアーなどの関連イベントが開催されることで、経済効果は絶大なものとなります。

このようにスタジアム・アリーナは、その都市に大きな経済効果をもたらしますが、一方で、経済効果以外でも大きな影響が生じる場合もあります。そのひとつが「ジェントリフィケーション(gentrification)」という現象です。 

今回は、今後、国内で進むスタジアム・アリーナ建設を意識しながら、いくつかの海外事例を紹介します。


ジェントリフィケーションとは

ジェントリフィケーションとは「都市の富裕化現象」や「都市の高級化」とも言われ、一般的に低所得層やそれまで荒廃していた地域が、再開発や新しい産業の発展などがきっかけとなり、そこに比較的裕福な人々が移住し、地域に住む人々の階層が上がると同時に地域全体の質が向上することを意味します。一般的には居住者の階層という概念ではなく、所得の向上に比例して、地域の建物が新しくなったり不動産の価値が上がったりする過程を示す言葉として使われます。

ジェントリフィケーションの主な特徴としては、次のようなことが挙げられます。

  1. 地域の再開発
    古くて荒廃した地域を再開発し、新しい住宅や商業施設、公共施設を誘致することで、地域全体の外観と資産価値が向上します。

  2. 新しい住民の移住
    地域が魅力的になることで比較的裕福な層や新しい住民が移住してくる傾向があります。また、人口が減りつつある地方では、再び居住者が増え、地域の活性化が期待されます。

  3. 物価上昇
    新しい住民の流入は地域の需要が高まり、住居や生活費が上昇する可能性があります。これは古くから住んでいる住民や、低所得層にとっては負担となる場合があります。

  4. 社会構造の変化
    古い住民や低所得層が追い出され、裕福な人々や新しい住民が増えることで、地域の文化や社会の特性が変わることがあります。見方を変えれば、地域の歴史や文化の消滅が起こりうることとなります。

ジェントリフィケーションは経済的な再活性化や地域の美化などの利点も見られますが、同時に低所得層の追放や社会的不平等の増大などの問題も引き起こすことがあります。

2012年ロンドンオリンピック開催に伴う都市開発

2012年のロンドンオリンピックは、2005年に開催が決定され、準備が進められました。主要な開催地のひとつに、かつて工業地帯であったロンドン東部のストラトフォード地区が選ばれ、再開発の必要性から、その過程でジェントリフィケーションが生まれています。

新しい鉄道路線や道路の改良、バスルートの拡張など、主要な交通インフラの拡充が行われ、公共施設や公園等が整備されるなど、地域全体の生活環境が改善されました。再開発では多くの雇用が生まれ、また、オリンピック開催に伴う観光客の増加により、地域経済に活性化をもたらしています。さらに、ロンドンオリンピックはロンドンを世界に向けてプロモーションする機会となり、観光地としてのイメージを高めた結果、その後の観光客の増加も促し、都市全体の継続した経済的発展が生まれました。

一方で、都市開発が持続可能な形で行われなかった結果、地域の社会的・経済的な格差の拡大や低所得者の生活環境が悪化する事態となりました。再開発エリアに高所得者が注目して流入したことにより、地価や家賃、生活費が上昇。以前から住んでいた低所得層は追い出され、その結果、地域の多様性や伝統・文化、コミュニティが失われ、地域の社会的な不均衡が深刻化しました。また、再開発には地域の歴史的な建造物や文化的な景観が犠牲になることもあり、地域住民のアイデンティティを失う要因ともなっています。

このような事態に対し、政府や自治体は住宅政策の改革や低所得者向けの公営住宅の建設や保護、賃料の制限など、住民の生活を支援する様々な施策を実施しました。また、再開発プロジェクトの計画や実施において、地域コミュニティとの対話や協議を通じた住民の声を反映する取り組みを行っています。さらに文化的な施設や公共スペースの整備、地元企業の支援、地域コミュニティの活動やイベントへの支援や資金提供など、地域のアイデンティティの維持にも取り組んでいます。

このように、地域経済の活性化や観光振興を期待して取り組んでいた施策は時間の経過とともに、知らず知らずのうちに地域の景観や文化、住民の生活にも大きな影響を及ぼす可能性があることが、このような事例からわかります。

スポーツを核とした街づくりを進めるワシントンD.C.

ワシントンD.C.は、アメリカで13都市しかない、NFL、NBA、MLB、NHLのアメリカ4大プロスポーツリーグのチームがすべて揃っている都市であり、MLSを加えると8都市しかないうちの1都市です。過去には犯罪率が高い地域として知られ、特に南東部に位置するアナコスティア地区とその周辺地域は全米の中でも有数の危険地帯となっています。

MLB所属ワシントン・ナショナルズは、モントリオールに拠点を置いていたモントリオール・エクスポズが2005年にワシントンD.C.に移転して生まれたチームです。2008年にはアナコスティア地区に隣接する地域に野球専用球場であるナショナルズ・パークが誕生しました。

新しい球場や周辺の再開発は地域の魅力を高め、不動産への需要を増加させました。同時に商業活動も活発化し、レストラン、バー、カフェ、小売店などが増え、新たな消費者が集まると同時に移住者も増えており、地域経済が盛り上がりを与えています。

また、ナショナルズ・パークの建設は周辺地域のインフラ改善にも貢献しました。交通機関や道路、公共施設などの整備が進み、地域の利便性が向上し、さらに地域の魅力が高まることで、ジェントリフィケーションを促進しています。

2009年(上)と、2022年(下)の街の様子(奥に見えるのがナショナルズパーク)

一般的にジェントリフィケーションが進行する地域では、犯罪率が低下する傾向があります。一概には言えませんが、スタジアムやアリーナの建設に伴い、その周辺地域には警察やセキュリティが増加することがあります。また、地域インフラや公共サービスを改善させ、新たな住民やビジネスの進出を促し、地域全体の生活水準や満足度を向上させることで、治安が回復することが期待できます。

ワシントンD.C.のスポーツを核とした街づくりはこれだけでは終わりません。2018年には、ナショナルズ・パークから徒歩5分の場所に、MLS所属のDCユナイテッドの本拠地でありサッカー/アメリカンフットボールの専用スタジアムである、アウディフィールドが建設されました。

この2つのスタジアムでは同日にイベントが開催されることもあります。通常、開始時間をずらしてイベントを開催しており、スポーツファンが同じ日に両会場を訪れることができるようにしています。また、今もなお近隣ではマンションや駐車場の建設が進んでおり、今後のさらなる地域経済や観光産業の発展が期待できるとともに、街が抱える課題解決に取り組もうとする良いジェントリフィケーションの事例のひとつと考えられます。

ナショナルズ・パークからみるアウディフィールド(筆者撮影)


新スタジアム建設を進めるフィラデルフィア・セブンティシクサーズ

ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠地を置くNBA所属のフィラデルフィア・セブンティシクサーズは、新しいスタジアムを建設する準備を進めていますが、地元住民やコミュニティのなかでジェントリフィケーションへの懸念が高まっています。

2022年7月、セブンティシクサーズは、現在の本拠地であるウェルズ・ファーゴ・センターとの契約が2031年に終了することを受け、チャイナタウン地区の入口であるファッション地区に新たなアリーナを建設する計画を発表しました。しかし、この計画に対してフィラデルフィアに住むアジア系の人々を中心としたコミュニティから大きな反発が起きています。

フィラデルフィアのチャイナタウンは、アメリカ国内で最大かつ最も古いチャイナタウンのひとつで、1970年代以来、中国系移民を中心に拡大してきました。過去に近隣で高速道路、連邦刑務所、野球場、カジノなどの開発プロジェクトが提案された際にも、同様の反対運動が起きてきました。

チームは「アリーナに対する私たちの目標は、周辺コミュニティと協力し、近隣の特徴、文化、価格などを効果的に保存し、プロジェクトがすべての人に利益をもたらすようにする事」と述べ、また、この新しいプロジェクトは「チャイナタウンの住民を追い出すものではない」と主張しています。
しかしながら、上記の計画は発表されてから1年以上が経過していますが、現在までにスケジュールが2度延期されるなど、計画は進んでおりません。76プレイスと名付けられた15億5000万ドルのこのプロジェクトは、建設を開始する前に市議会での承認が必要とありますが、現在もチャイナタウンからの強い反対に直面しています。地元の住民や企業は、アリーナが建設されることで、150年の歴史がある文化拠点が破壊されるのではないかと懸念しており、計画の進展はもう少し先となりそうです。

最後に

国内においても今後、スタジアム・アリーナ建設が進みますが、その多くが市民からの税金が投入される「公共施設」です。一方で「コストセンター」から「プロフィットセンター」へ経営の変革が求められる中で、主たる使用者が今までは「住民」だけだったところから「プロスポーツチーム」の使用が多くなり、「する」スポーツ施設だけではなく「見る」スポーツ施設が求められるようになりました。
このように、公共スポーツ施設のあり方に変化が起きている今だからこそ、よりスタジアム・アリーナから生まれる直接的な収益や、分かりやすい経済効果だけでなく、建設後の「ジェントリフィケーション」を理解しなければいけないと考えます。

今回は、いくつかの海外事例を元にジェントリフィケーションについて紹介しました。
日本のスタジアム・アリーナの建設においても、ジェントリフィケーションの影響は重要な要素であり、建設や運営にあたっては、構想段階から住民の声に耳を傾け、地域住民や文化の保護という面も考慮することも時に重要になります。また、建設後もジェントリフィケーションが進行する中で、より地域性を尊重しつつ、持続可能な発展を目指すことが求められています。

今後、国内外で多くのスタジアム・アリーナが建設されます。その際は是非、設立されたスタジアム・アリーナだけでなく、その周辺環境にどのような影響を及ぼすかについても興味を持っていただけると幸いです。


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