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見える

 またろくでもない事が始まった。

 窓の外の喧騒を聞きながら、私は今日もそんな事を思う。昨日も、その前も、一か月前もずっとずっと、私をめぐる世界はどうかしている。
 私には人には話せないある秘密があった。それは「妖怪が見える」というものだった。

 隠しているのは心苦しいのだが、頭がおかしい奴だと思われたくなくて初めに言いそびれた結果、今になっても両親にすらそれを打ち明けられずにいる。
 私が住むアパートのすぐ傍の通りでは、人間程の大きさもある猫が二足歩行で歩き回る。出会い頭で何らかのトラブルが起こってしまったのか、二匹の猫は取っ組み合いの喧嘩をしている。猫の喧嘩というよりは人間の喧嘩に近い。腕を使って取っ組み合ったり、ボクシングのように殴り合ったりしている。にゃあにゃあと大きな叫び声を上げながら。たいへん五月蠅い。

 春になってからというものの、彼等が出現する機会はぐんぐん増え始めて、今では人間と変わらないくらい見掛ける。もしかしたら人間よりも多いかもしれない。
 妖怪といっても、私がそう呼んでいるだけで実際に妖怪なのか何なのかは全く定かでは無い。「妖怪」は、私が就職により田舎から東京へ越してきた頃から私の前に姿を現し始めた。一年前であるから、私が二十歳になってすぐの頃だ。

 初めてそれを目撃した時の事はよく覚えている。東京へ向かう夜行バスの車中、私はカーテンの隙間から高速道路をぼんやり眺めていた。これから始まる新生活に対する不安からか、それとも夜行バスの座席が余りにも睡眠に適さなかったのか、私は上手く眠れなかった。眠れなかったので、座席の上で丸くなってカーテンの隙間から高速道路を眺める事しか出来なかった。夜の高速道路は同じような形をした車が前へ出たり後ろへ戻ったりするだけで、なんとも退屈な景色だった。

 しかしぼんやりとした頭が一気に弾け飛ぶような事件が起こる。

 それはいつの間にか目の前に居て、気付いた私は目を疑った。
 隣を走るワゴン車の車内。運転をしている人間も、助手席に座る人間も、後部座席に座る人間も。いや、訂正したい。とにかく隣のワゴン車の中に乗っていたのは、人間では無かった。真っ白な体躯に赤い目をしていて、大きな白い耳はワゴン車の天井で突っかかって曲がっている。服を着て、運転をしていて、シートベルトを装着して座席に座っている部分を除けば、それはどうみてもウサギだった。

 そのワゴン車はすぐに私の横を通り過ぎて行ってしまい、再度確認する機会は無かった。その時は夢でも見ているか、被り物でも着けた集団なのだろうと自分を納得させる事にした。

 しかし東京へ到着し、早朝の新宿駅へ降り立った私はまた驚かされた。

 駅へ向かうサラリーマン、地べたに座り込む若者、謎の台車を引いて歩くホームレスのおじさん。そんな東京の景色に紛れ込み何十人かに一人、当たり前の顔をして歩くウサギ人間が混じっていた。

 新生活が始まってからも尚、そういった現象は続く。何であれば私のアパートから一番近いコンビニで働いている店員さんの一人は、ネコ人間である。何故ウサギだったりネコだったりするのかは、今のところ全く解明できていない。ネコ人間の店員さんは、ネコの姿をしているところ以外は真面目に働く若者にしか見えなかった。若者と判断した理由は、着ている服のセンスからなので厳密には定かでは無い。彼はだぼついたジーンズを良く履いていた。

 とにかくそんな事が私の周りでは続き、私はいよいよ頭がおかしくなってしまったのだと思った。すぐに精神科の先生に診てもらったが、非情な事に先生は「何の問題も無いから働け」と言うのだった。実際に先生がそのように言った訳では無い。その時の先生の長い話を要約するとこうなるという事である。不思議な事に、病院を変えて幾度となく診察して貰った結果、どこでも「何の問題も無いから働け」と先生は言うのだった。問題だらけだと思うのだけれど、先生がそう言うのだから仕方無かった。

 春になると私は内定が決まっていた会社で新入社員として働き始める。

 驚くべき事にウサギ人間とネコ人間は、私が就職した社員の中にも存在していた。間接的な上司の一人にウサギ人間が居た。普段はあまり顔を合わせないが、一ヶ月に一回程、連絡の伝達等で顔を合わせる事もあった。

 近くから見るとそれはそれは不気味なものだった。ウサギ人間の上司は、私が声を掛けると人間の様に返事をしこちらを振り向く。鼻がぴくぴくと動いていて私の匂いを嗅いでいるみたいに見えた。これはいかにもウサギのような仕草で、こんなに大きなウサギに戦いを挑まれたら、私はきっと勝てないなどと意味の分からない事を考えたりした。連絡事項を伝えるとウサギ上司は、「はいよ」とつまらなそうに返事をし再び机に向かう。机に向かってからも、鼻はぴくぴくと動いていて生々しかった。

 しかし不思議な事にこれに気付いているのは私だけのようで、周りの人間は全く何の反応も示さず、ウサギ上司に対して普通の人間の様に接しているのである。やはりもう一度病院で診て貰おうかと悩むが、また「何の問題も無いから働け」と言われたら心が痛みそうだ。それに診察料が無駄になってしまう。彼等から申し訳程度に処方された謎の薬は、効果が見られなかった為に結局あまり飲んでいない。


著/がるあん
挿絵/ヨツベ

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