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十八世紀作曲家たちの創意工夫: 小ト短調交響曲

三十六年弱の短い生涯に数百曲の作品を遺した、ヴォルフガング・モーツァルトの作品の名前はややこしい。

作品数をあげてみても、遺作のレクイエムはいわゆるケッヒェル(ケッヘル)番号で626なので、全部で626曲なのかといえば、そうではない。

ケッヒェル番号は最初に編纂されたときには確かに626曲だったけれども、その後間違えて含まれていた他人の曲が判明したり、含まれていなかった曲なども見つかり、総数は七百曲以上。でもモーツァルトが最も得意としたジャンルの上演したら数時間にも及ぶオペラもただの一曲に数えているので、モーツァルトの遺した作品の総数は単純には計りきれない。

曲の名前は、ハ長調のピアノソナタだとか調性付きで呼ばれることが多いけれども、調性というものは24しかないので、数百曲もあれば、何度も同じ調性の音楽が作曲されてしまうのは当然のことで、調性だけではどの曲のことなのか、区別できないわけです。

ピアノソナタ一つをとっても、モーツァルトのハ長調ソナタは複数存在するので、ハ長調といわれても、どのハ長調なのか、それだけではわからない。

一般的には「モーツァルトのハ長調ピアノソナタ」といえば、自作カタログにわざわざ「初心者のための」と銘打たれた、1789年に作曲されたケッヒェル番号545のソナタをさすことが多い(以下K.545として表記)。

このソナタ、作曲番号では15番と呼ばれたり、16番と呼ばれたりとまことにややこしい(K533のソナタのフィナーレが旧作のロンドK.494を付け足して作られたため、最初はこの曲はピアノソナタとはみなされなかったために、は番号が振られなかった)。

ハ長調ピアノソナタには他にも、ソナタ第一番(k.279)やソナタ第七番(K.309) がある。第十番 (K.330) も、K.545に匹敵するハ長調の大傑作。

ニ長調も二曲。K.284とK.576。

ヘ長調は三曲。K.280とK.332とK.533/494。偽作のK.547aも含めると四曲。

変ロ長調も二曲。K.281とK.333。

このようにモーツァルト学者ヴォルフガング・ケッヒェルの頭文字をとったKという整理番号で作品を呼ぶのが便利だけれども、記号でしかない、こんな番号で曲を呼び合うのはなんともマニアック。

今回はどうしてモーツァルトの音楽には同じような調性の音楽しかないのかというのがテーマです。

先輩ハイドンの場合

交響曲の父ハイドンは106曲を数える交響曲を書きました(初期の遺作二曲は正規全集の番号には含まれていません)。

調性は24通りしかないので、調性で交響曲を呼び合うと、あまりにたくさんの同じ調性の交響曲が存在していて、まったくわかりづらい。

一般的には出版順の番号で呼ばれますが、ハイドンの場合は「ロンドン」や「奇跡」「時計」など、ニックネームをつけることで区別される習慣が生まれました。

これはとても便利ですが、「校長先生(第55番)」や「ラウドン将軍(第69番)」や「水星(第43番)」など、意味不明なものが多いのも事実です。

ただ区別するためのこじつけですね。

ハイドンの交響曲には、

  • 嬰へ短調(調性記号のシャープが三つ:第45番「告別」)

  • へ短調(シャープが四つ:第49番「受難」)

  • ハ短調(フラットが三つ:第52番、第78番、第95番)

  • ホ短調(シャープが一つ:第44番「哀しみ」)

  • ロ長調(シャープが五つ:第46番)

など、モーツァルトが選ばなかったキー(調性)の音楽も多々あります。

結論を述べてしまうと、ハイドンは二十年以上も宮廷楽長として自前のオーケストラを自由自在に使いこなせたので、変わった調性の交響曲を書いて実験したうえで公開演奏をすることも可能でした。

モーツァルトはフリーランスの作曲家だったので、音楽を書いて誰かに演奏してもらうには、演奏しやすくてわかりやすい調性の音楽を書かないといけないのでした。

だからモーツァルトの音楽はわかりやすい調性(ハ長調、ト長調、ニ長調、イ長調、ヘ長調、変ロ長調、変ホ長調)、楽譜の上の最初の臨時記号のシャープやフラットは三つまでの音楽ばかり。

この傾向は公共の場の音楽の交響曲に限ったことでもありません。

短調作品は全作品の一割にも満たないのですが、それらもイ短調(e.g. K.310, K.511)やニ短調(e.g. K. 173, K.421, K.466, K626) やハ短調(e.g. K.457, K475, K491)、ト短調(e.g. K.478, K.516, K.550) といった調性ばかり。

十九世紀のショパンが偏愛したヘ短調や変イ長調もほとんどないのです。

次の記事にはモーツァルトの変わった調性の作品が網羅されていて面白いです。ぜひお読みになってください。

この記事にインスパイアされて、本投稿を書いています(笑)。

18世紀の管楽器事情

モーツァルトの調性選択は次のような諸事情によるものだと、わたしは考察しています。

  • フリーランスとして売れる楽譜を書く必要があった。アマチュアに購入してもらえるような作品の出版のためには、わかりやすい調性の音楽でないといけなかった。

  • フランス革命前のロココ時代には分かりやすい、親しまれていた響きの音楽が好まれた。

  • 現代でもシャープやフラットのたくさんついた楽譜はアマチュアに敬遠される。

  • オーケストラ音楽の場合、自前のオーケストラを持たないフリーランス作曲家のモーツァルトにはオーケストラには演奏困難な調性の音楽を書くことはできなかった。リハーサルももちろん何度もできない。

  • 18世紀の楽器自体に制約があった。当時の楽器は発展途上で難しい調性に必要とされる音は、ナチュラルホルンや旧式トランペットでは鳴らせないことも多かった。

特にわたしが注目するのは、最後の楽器問題。

管楽器の問題

管楽器はすべての音を半音階的に演奏可能だとしても、楽器の物理的な構造上、鳴りの良い音と悪い音(ピッチがずれる、音量や倍音に乏しい)が存在しました。

フルートならば、すべてのキーを開放するド♯ なんてものすごく鳴りが悪くて不安定。

高音域の音で弱音を吹くのは超絶技巧だし、物理的に不可能な場合もあるし、低音域の音は太くて豊かな音にはなるけれども、オーケストラ曲中で響き渡るには音量が足りません。他の楽器が鳴ると、低音のドは客席まで音は届きません。

私はフルートを長年吹いていたので実体験からそう断言できます。

フルートよりも音量調節が難しいピッコロになると、この傾向に拍車がかかります。

だから音程不安定なフルートという楽器は大嫌いだとモーツァルトは語っているくらいでした。

作曲家なのに楽器の悪口を公言!

19世紀半ばにはキーのついた金属製のフルートが発明されますが
それでもド♯は鳴りにくい
それ以前のフルートは指で穴を押さえるタイプのフルートが主流
音程を作るのは非常に難しい

まったくモーツァルトらしい!

近代音楽に革命をもたらしたフランスのドビュッシーは、わざとフルートで最も鳴りの悪い音がド♯であることをフルート奏者から聞き出したうえで、あえてド♯が中心となる嬰ハ短調で傑作「牧神の午後への前奏曲」を書き上げたくらいです。

吹きにくい音だと演奏者は必死になって演奏してくれるだろうと、あえてド♯を選んだのだとか。

これもまた、まったくドビュッシーらしい!

近代的な楽器が未完成だった18世紀後半に生きたモーツァルトの音楽の調性が、ハ長調、ト長調、ニ長調、イ長調といった色調のものがほとんどとなったのは、楽器事情を考慮したモーツァルトの作曲職人感覚のなせる業でしょうか。

モーツァルトの色彩感覚(調性選択感覚)は、曲中の数多くの華麗な転調からわかるように素晴らしいものでしたが、作曲の基調となる調性が単純なものになるのは、楽器の制約のためだったのだと結論付けるにいろいろ考えてみました。

当時の金管楽器は合奏で使用するにはあまりに不完全。

ホルンは狩りをするときに獣を追い立てるための原始的な構造の楽器で、トランペットやトロンボーンは粗野な軍楽隊の楽器でした。

金管楽器は要するに、大きな音が出れば十分だったのです。

トロンボーンはオーケストラで最も大きな音量を誇る楽器です。

低くて野太い音色は教会音楽で最後の審判の響きとして重宝されましたが、大音量過ぎて、当時の小編成の交響曲には向きませんでした。

金管楽器は、機能としては打楽器扱いなのでしたから。

つまり、発展途上だった金管楽器が半音階の音階を奏でられないことはごく当たり前のことだったのです。

物理的に不可能なのは、当初は必要とはされてはいなかったから。

鳴る音は自然倍音ばかり。ド~ミ~ド~ド~ソ~。

ぐるぐると巻かれた管には指で押さえるキーがついていない
音を切り替えるヴァルブもついていない
ナチュラルホルンはラッパの開いた部分に
手を入れて音程を変えるというあまりに単純な構造

音域や楽器の種類にもよりますが、基本的に「ドミソ」ばかり。

高いドミソや低いドミソ。

ファやラといった音階の途中の音は、まともに吹けなかったりもしました。

音の数が少な過ぎるという欠陥を補うために、楽器のサイズや管の長さがいろいろと工夫されて、ヘ長調のドミソのホルン、二長調のドミソのトランペットといった具合に、ドミソを吹くと音が移調される楽器として、色んな違う高さの音が出るホルンが開発されました。

後に半音階演奏が可能となるのは、ヴァルブ(弁)や、音を細かく分けるためのキーが取り付けられたり、ストップ奏法という楽器全体の音をずらす技法が生み出されてからでした。

だから18世紀の作曲家は苦労しました。

ホルンは狩りに使われる庶民的なラッパの仲間なので、合奏の楽器としては不完全。

作曲家が交響曲のクライマックスで派手な金管楽器を鳴らしたくても、演奏不可の音が存在する場合、楽器使用法を独自に工夫する必要がありました。

そんな工夫が出来た数少ない作曲家がハイドンとモーツァルトでした。

ハイドンとモーツァルトのト短調交響曲への工夫

例えば、ト短調の交響曲。

モーツァルト17歳の時の作曲。

AIのSDXLが描いた青年モーツァルト
鼻の形などにモーツァルトらしさが表現されています。
なかなか良く感じが出ていますよね。

映画「アマデウス」の冒頭で鳴り響いた、強烈なシンコペーションで開始される「小ト短調」交響曲(1773) では、四本のホルンが大活躍します。

当時の交響曲ではホルンは二本が普通で、倍の四本はあまり普通ではありませんでした。

つまり、作曲において、それほどにホルンの音響効果が期待されたのです。

当時のホルン一本ではト短調の和音(ソ、シ♭、レ)は演奏不可能。半音は演奏できないのがホルンでした。

でも当時のホルンには何種類あり、曲の調性に応じて、ホルン奏者は楽器を変えました。

ドミソを吹くと「ソシレ」が鳴るGゲー菅と、「シ♭レファ」が鳴るBべー菅が利用できたので、モーツァルトは二種類のホルンを同時に使い分けて、基本のG菅では演奏不可能な「シ♭」をB菅に吹かせたのでした。

移調楽器のホルンのG菅では、楽譜上の「ドレミファソラシド」の音階は実音では四度下の「ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯」と響くのです。

B菅では音階は二度下の「シ♭・ド・レ・ミ♭・ファ・ソ・ラ」と聞こえます。

だからB菅ではG菅では鳴らせない、ト短調の音階のシ♭やミ♭が演奏できるけれども、ト短調に必要なファ♯は鳴らせない。

だから、どちらも必要だったのです。

こうして二本の基調の違うホルンを巧妙に組み合わせてト短調のメロディを歌わせたのでした。

第一楽章コーダの一番終わりのクライマックス部分、楽章を締め括る大迫力の四本のホルンの絶叫は何度聞いても唸ってしまうほど凄い。

これは二種類のホルンを組み合わせて、一つのメロディを二つの楽器で奏でさせて得られた成果でした。

のですが、
二種類のホルン(B菅ホルンとG菅ホルン)に交互に音を鳴らさせて
♪ レーシ♭ソ・レソシ♭レソ ♪
と歌わせているのです。
B菅の第一ホルンは「レーシ♭・レ・シ♭」だけ
四本のホルンが豪快に鳴り響くこの部分
全曲でも最もかっこよくて印象深い!

19世紀以降のホルンならば
半音階を一人で奏でられるので
こんなに面倒なことはしなくてもよかったのですが
18世紀の楽器ではこのような工夫が必要でした
フライブルクバロック管弦楽団のホルン奏者たち
ホルン奏者は二人ずつ両翼配置されていて
この画面には全員入りきりません
バロックオーケストラでの
ナチュラルホルンの響きの豪快さは比類ない。
ちなみにモーツァルトの嫌いなフルートは
この曲には含まれてはいません

疾風怒濤期の傑作「ト短調」交響曲

実は「小ト短調」交響曲にはモデルとなった作品があります。

交響曲の父ハイドンの交響曲第39番ト短調(1767/1768)がそれです。

ハイドンの楽器編成もホルン四本。

17歳のモーツァルトがあのような疾風怒濤の短調の交響曲を書き上げられたのも、ハイドン作品の先例があってこそなのでした。

ですが、ハイドンの楽譜を読んで、換骨奪胎して、これほどにドラマティックな音楽を書き上げた17歳のモーツァルトの努力には脱帽です。

ケルン放送交響楽団 (現ケルンWDR交響楽団) は
古楽器の楽団ではありませんが、
四人のホルン奏者たちはいずれも
キーの付いていないハイドン・モーツァルト時代の
ナチュラルホルンで演奏
濁りのない完璧な響きの超名演

ト短調交響曲ではホルンに注目!

なので、この二つの名作を聴くならば、ナチュラルホルンの使用されている演奏に限ります。

指で音を変えることを可能にしたキーのついたフレンチホルンでは、モーツァルトやハイドンの創意工夫の凄さがあまり伝わらないのです。

現代のフレンチホルン
ナチュラルホルンよりもずっと構造は複雑
ウィキペディアより

こうした工夫が18世紀のオーケストラには必要とされたので、モーツァルトの管弦楽曲では、当時の金管楽器でも普通に演奏可能だったハ長調やニ長調やト長調ばかりが選ばれていたのではないでしょうか。

モーツァルト作品にはホ長調やホ短調はほとんどなく、バッハが大好きだったロ短調も選ばれず、フラット四つの変イ長調が基調の曲もないのです。

ハイドン作品は調性の点では、モーツァルトよりも選択肢の幅が広かったのですが、それでも交響曲の調性は当時の楽器の性能のために制約されたのでした。

演奏者を集めることにもハイドンは苦労していました。オーケストラ団員を探してくるのも、人事権を与えられていた宮廷楽長の大事な仕事でした。

有名な「告別(おわかれ)」交響曲第45番は、18世紀には決して交響曲には使われることのなかった嬰へ短調という色調、唯一の交響曲です。でも一度しか、この調性は使われなかったのでした。

「スウェーデンのモーツァルト」として知られる、知られざる天才ヨーゼフ・マルティン・クラウスはスウェーデン王宮の宮廷作曲家だったので、嬰ハ短調という、やはり特異な音色の交響曲を作曲したりもしました。

以上、モーツァルト音楽の調性の種類が乏しいのは、宮廷楽団を持たないフリーランスの作曲家だったからなのでは、というのがわたしの考察です。

より自由に作曲できそうな器楽曲にしても、ハイドンのように高い演奏技術を持つ特定の貴族に献呈するために書かれたのではなく、ほとんどは不特定多数の音楽愛好家に購入してもらうことを目論んで書かれていたのですから。

まとめ

楽器の性能の違いは、調性を選択する上で決定的な要素だったと思います。

モダンピアノは平均律に音が調整されているので、ハ長調を演奏しようが、変ホ短調だろうが、どれも似たような音で色彩の変化なんて感じられないのかもしれませんが、演奏者次第では音には色があるのだなと感じるときもあります。

スタインウェイのモダンピアノでも、演奏者の癖や力量次第で同じ楽器から全く別の音が引き出されるのです。

古楽器の演奏者の音は楽器の性能問題のためか、楽器ごとに音も違うためなのか、音色はどれも独特で個性的です。

録音でも十八世紀の復元楽器で演奏された古楽器演奏は、オーケストラごとに異なった音色が魅力的です。

音の音色のことはまた次の投稿にて考察したいと思いますが、やはりそれぞれの音には個性的な色があるのだと思います。

特に発展途上な管楽器には。

モーツァルトの転調の魅力は、聴きなれた単純な調性から別の調性へと、場面転換するように跳躍するところにあるとわたしは思いますが、古楽器で演奏されるほど、そういう場面の違いが明瞭に聞き取れるように思えます。

先輩の技法を完璧に学びとった、若い作曲家の偉大なる創意工夫のおかげで、青春の心の嵐を体現したであろう小「ト短調」交響曲は偉大なのです。

ちなみに大「ト短調」交響曲は最後の三大交響曲のK.550です。

同じ調性なので、どちらが先かで大小が決められたのでした。

二つあるシューベルトのハ長調交響曲も同じですね。


蛇足: 過去の名録音

小ト短調交響曲は人気曲なので、古くからたくさんの名録音に恵まれてきましたが、現在聴くならば、わたしは必ず古楽器の演奏を選びます。

ですが、せっかくですので、私が過去三十年のクラシック音楽音源収集遍歴の中でこれまでに聞いてきた私の好きな録音、古楽器演奏一つ、モダン楽器演奏二つ、紹介したいと思います。

Nikolaus Harnoncourt & Concentus Musicus Wien (2006)

ピノックやホグウッド、ガーディナーなど、古楽器演奏の大家の演奏ならば、どれでもよいのかもしれませんが、何十回とこの曲を聴いてきた自分には、モーツァルト演奏に革命的な衝撃を与えたニコラウス・アーノンクール(1929-2016)の新録音が最高です。

アーノンクールは、クラシック音楽とは全人類に普遍的な絶対的な音楽ではなく、われわれが演奏しているモーツァルトの音楽は、ユーラシア大陸の西の果てのヨーロッパの、18世紀という特定の時代の地方音楽なのだと喝破して、それまでの誰もが思いもつかなかった特異な演奏で、当時の主流だった伝統的なロココ的モーツァルト演奏に一石を投じたのでした。

1970ー80年代にモーツァルト音楽演奏の権威といわれていた指揮者カール・ベーム (1894-1981) は、アーノンクールの斬新な演奏を聴いて激怒したほど。

アーノンクールの新録音ではフレーズの切り方や歌い方、フォルテとピアノの強烈な対比、裏拍アクセント強調など、どれをとっても独特なのですが、歴史検証学的にこれが正しいとアーノンクールは自説を主張。

わたしのようにこの曲をよく知る人間には非常に刺激的。

ぜひご一聴ください。

もちろんナチュラルホルンの響きも、野蛮なほどに桁外れの豪快さ。

このような古楽器演奏をわたしは支持しますが、長年親しんできた、二十世紀の巨匠たちの名録音も忘れ去られてゆきそうなのは寂しい限りです。

音楽鑑賞がもはやCDやレコードではなく、オンライン配信で聴かれる時代となった今、同曲異版の聴き比べをしたくても、過去に愛された名盤がAIによるレコメンドで見つかる可能性は薄く、昔ならばこれが一番だと教えてくれた個性的な音楽評論家たちも現在では姿を消しました。

だから私のような人間が過去の名録音を紹介することにも意義があることでしょう。

ですので、今回の私の推薦する、皆さんに是非聴いていただきたい録音は次の二点です。

伝統的なモダンオーケストラの演奏で聴くべきは、

Bruno Walter & VPO (1956)

二十世紀のクラシック愛好家に「絶対の名盤」として愛されてきた、ナチに楽壇を追われたユダヤ人指揮者ブルーノ・ワルター (1876-1962) のヨーロッパ帰還後の伝説のライヴ録音。

戦後11年たった1956年の録音ですが、戦前ウィーンフィルの弦楽器奏者たちが得意とした流麗なレガート奏法は健在。妖気を漂わせるかのような独特の甘い音色の弦楽合奏は、もはや現代では再現不可能。

ワルターの指揮も興奮気味でひたすら前のめり。

楽器の縦の線が少々ずれても気にも留めないで、ひたすら夢破れた青年の狂気を歌い上げてゆくといった趣の演奏。

あまりに悲痛なオーボエの歌にも胸を締め付けられる。

あまりにもロマンティック!

前述のアーノンクールとは全く別世界の音楽。

アーノンクールの演奏が、十八世紀のロココ宮廷を嫌った反抗期の十七歳のモーツァルトだとすれば、ワルター・ウィーンフィルの演奏は、十九世紀に流行した悲劇的なロマンティック・ヒーローに仕立て上げられたモーツァルトでしょうか。

Benjamin Britten & English Chamber Orchestra (1978)

「ならば20世紀的なモーツァルト演奏は?」と問われると、いろんな選択肢があるのでしょうが、私が好きなのは二十世紀で最も優れたオペラ作曲家だったベンジャミン・ブリテン (1913-1976) の指揮した演奏。

英国人作曲家のブリテンは、指揮者としても歌曲伴奏ピアニストとしても、超一流でした。

小ト短調交響曲の録音は、ワルターの描き出した「若者の狂気」や、アーノンクールの「バロック音楽的な解釈」とは全然違った、まるで英国紳士が声を荒げることなく、音楽とは調和なのだと諭しているような大人の演奏

溢れんばかりの情熱や狂気よりも、曲の純音楽さを強調。

端正にインテンポで、強弱強弱の拍子のリズムをしっかりと四つに整えて、弦楽合奏も美しいアンサンブルを保つことが何よりも大切であるという美学を信じて、ある特定の個所を特別に強調したりもせずに、まったく自然体のまま、奏でてゆくのです。

第一楽章第二主題の装飾音はアクセントをつけた短い音符としてではなく、八分音符として演奏しているのはユニーク。

モーツァルトのオリジナルの音符

録音の1:34から。

ブリテンの解釈では音符の長さはこんなふう
演奏は二拍目はスラーではなく、セミスタッカートなようですが.。
音のアクセントが強調される装飾音とスタッカートをなくしてしまって
抑制された演奏を演出するために
あえて音符を変えたのかもしれません

小ト短調交響曲は古典音楽として本当に美しい!ということを実感させてくれる名演です。

カール・ベームなど、モーツァルト演奏を得意とした指揮者たちもこのような演奏を目指していたのかもしれませんが、ブリテンは楽譜に描かれた音符にアクセントを付け加えてドラマを強調したりせずに、すべてを理路整然と余裕ある大人の音楽として奏でてみせたのです(17歳の作曲家の音楽なのに)。

おかげで「十七歳の青春の嵐」はすっかり鳴りを潜めてしまうのですが。

モーツァルトが苦労して四人のホルン奏者に吹かせたクライマックスのメロディも、特に強調されることもなく(ここは残念!)、最後まで抑制された美学の演奏として締めくくられます。

非常に英国的な演奏でしょうか。

情熱的なバーンスタイン&VPO(1988)や、澄んだ音が非常に美しいムーティ&VPO(1996)など、他にもいろいろな名演があるのですが、もう名盤聴き比べという娯楽からは距離を置こうと、わたしはずっと前に決めたので、どれが一番だとかは論じたいとは思いません。

どれが一番いいのかは人それぞれ。

過去の音楽経験が豊かな人、特に演奏経験の豊富な人は、ブリテンの純音楽性に惹かれることだろうし、音楽は鑑賞専門で聴き比べがいまもなお大好きな人は、とろけるようなウィーンフィルの音色とワルターのロマンティックな解釈に心揺さぶられることでしょう。

いまモーツァルトの交響曲を聴くならば、わたしは実演の方が好きだし、絶対に古楽器演奏で聴きたい。

そして作曲家の書いた楽譜を読んで、自分自身で演奏したい。

ピアノ編曲版もIMSLPより無償でダウンロードもできるので、自分なりの小ト短調交響曲を自分自身の解釈を通じて探してゆきたいなと思っている次第です。

IMSLPの著作権切れの
ピアノ版編曲楽譜
ピアノを弾けると独りオーケストラが楽しめます

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。