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世界文学の消滅について

月刊雑誌「中央公論」を久しぶりに手にして、2022年8月号をざっと斜め読みをしながら、思いもかけずに面白い記事を目にしました。

比較文学を専攻される日本大学の秋草准教授の寄稿された記事。

とても興味深く読みました。

なぜ日本人はあれほどに世界文学全集が好きだったのか。かつては「3000万人」の読者がいたそうです(全集の売り上げから推定された読者数です)。

「好きだった」や「いた」という言葉は過去形です。もはや世界文学全集を誰もが読む時代ではなくなったのです。

昭和の昔には大手出版社がこぞって世界文学全集を立ち上げて、ドストエフスキーやゲーテやスタンダールなどを含んだ文学全集がベストセラーにさえなった時代があったのです。

しかしながら、栄枯盛衰。

もはや若い人は世界文学全集を読もうなんて思いもよらないのでは。図書館の暗い書架に並べられた立派な世界文学全集は埃をかぶって手に取る人もまばら。

ドイツ語のレクラム文庫。これが日本語の岩波文庫のモデルとなったのです。

「岩波文庫」の前身となった戦前のドイツ語の「レクラム文庫」など、教養人の必須の読書として世界文学は重宝されました。

やがて、戦後の豊かになった昭和日本では、日本語で書かれた岩波文庫のみならず、数々の世界文学全集なるものが編まれて、誰もがこぞって読んだのです。

わたしも世界文学全集に憧れて、全巻読破を目指した、おそらく最後の方の世代に属する人間です。

いまでも昭和の中学生や高校生の頃に読んだトーマス・マンやトルストイが懐かしい。まだ読み切れていない名著(たとえば、ドストエフスキーの「未成年」)、死ぬまでに読んでみたいなあ。

そういう読書体験や教養を重んじる文化が、かつての日本にはあったのです。

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