マット・デイモンの Good Will Hunting
有名なので見たいと思っていたけれどもなぜか見れないでいた、有名な映画をようやく見る機会に恵まれました。
売れるようになる前のマット・デイモンが脚本を書いてアカデミー脚本賞、1990年代最高の名優ロビン・ウィリアムズが素晴らしいメンター役でアカデミー助演男優賞を受賞した1997年の作品。
F○CKな人生を描いた映画
わたしはあまりアメリカ映画を好みませんが、それは英語が美しくないからです。
Rhotacismと呼ばれる大袈裟なRや、米語独特のアクセントやリエゾン、そして婉曲表現を重んじるイギリス英語で暮らすわたしがあまりにダイレクトで無礼だと思う言葉遣いは、文化の違いだと許容しますが、耐えられないのは汚らしい強調語の頻発。
なんのことだかお分かりでしょうか?
F○CK、F○CK、F○CK、F○CK、F○CK、F○CK、F○CK、F○CK、F○CK、F○CK、
もうこればっか。
特にこの映画の主人公と周りの若者たちは一言毎にこのF言葉を混ぜて喋る。
途中で何度見るのをやめようと停止ボタンを押しかけたことか。
この映画の中の俳優たちの口にするF○CKの数、数えていませんが、二時間強のこの映画、特に前半部では数分ごとにひたすら聞くことになるので、おそらく総数五十くらいはあるのでは。つまり平均三分に一度はF○CKが出てくることになる。
こういう映画もなかなか珍しい。ギャング映画でもここまで徹底していない。そしてそれでもこの映画は名作と呼ばれている。
映画の視聴年齢制限は15歳以上とあり、
と確かに書かれていますが、ここまでOffensiveなのは久しぶりに見ました。
さて、放送禁止用語であるFの言葉、この言葉をたくさん使うとカッコいいなんて勘違いされている誤解されている日本人にネットや実生活で時々会いますが、考え方を改めるべきですよ。
語彙力に乏しい人ほど、この言葉を多用します。
語彙力豊かな教養ある人が使う場合は、本当に絶対的罵倒か、文字通り「犯してやる」とかそういう意味。
まあ自分の喋り言葉の英語語彙が豊かでないのに、この言葉を使い始めると、口から出てくるのはこればかりになって、そういう人だと思われますよ。そしてそういう人だとして扱われます。
美しい言葉を使えば美しい言葉が相手から返ってくる。
汚い言葉には汚い言葉。そういうことです。Faulな言葉は忌避されるべき。日本語に置き換えてみるといい。絶対に普通の場面では許されるものではありません。
Fair is foul, and foul is fair なんて後述のシェイクスピア的非現実です。
本題に戻ると、こういう言葉を普段から息をするように口にしている若者が主人公。
この映画の耳障りな言葉の汚さは、本作品がアカデミー脚本賞を与えられていることから理解されるように、映画の汚点ではなく、意図的なのでしょう。そして主人公の人生を一言で言い表すならば、この一言なのかも。
耳が汚れるように思うので、わたしはもう二度と見たくは(聞きたく)ありませんが、映画の内容そのものは素晴らしく、感動しました。
日本語サイトでこの映画を絶賛されているコメントをいくつか読んだのですが、日本語字幕や吹き替えでは、きっとずっと受け入れやすい日本語に表現が改められているのでしょう。
言語の言葉の汚さそのままで表現を和らげずに日本語上映すると嫌になって席を途中で立つ人が続出するのでは。
わたしはシェイクスピア作品の原作を英語で現在乱読中ですが (今は史劇を読んでいます)、シェイクスピア時代の英語は差別的な罵倒語が多く、性的な言葉は婉曲表現にされています。婉曲だから知的で面白いと思えます。
「ヘンリー四世」の臆病で卑怯者だが憎めないフォルスタッフと王位継承者だけど放蕩息子のハル王子の会話なんてひどい単語ばかり。でもひどい表現だらけでも性的罵倒語はほとんどない。
わたしはShajespeare Insults(シェイクスピア悪口単語帳) というものを愛読していますが(笑)、悪口は面白い。
シェイクスピアの詩的な悪口はあまりに下品なF○CKとは相当違います。
王族なのにあまりに口の悪い、あのハムレットでも、この手の言葉は使わない。まあかつての罵倒語は宗教的な言葉がほとんどで、文字通り「罰当たり」が最低でした。
神様の不在な世界では性的罵倒語が最悪の言語表現なのですね。
Good Will Huntingとは
もう25年も前の映画なのですが、これから見られる方のために詳細をボヤかして解説すると、邦題がカタカナの「グッド・ウィル・ハンティング」と共に副題として「旅立ち」という言葉が添えられています。
この映画は社会生活に支障をきたすほどに知能指数の高い二十歳ほどの青年ウィル・ハンティングが自分自身の人生を受け入れて、そして新しい人生へと旅立つ物語。言葉の汚さを除けば、本当に良い映画で、全ての若者に視聴をお勧めしたいくらい。
ウィルは良い家庭に育っていれば、ギフテッドとして特別な道を歩んでいたであろう若者。
独学でカントやニーチェの哲学書やフロイドやシェイクスピアを読み、有機化学や数学も趣味として、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞したバーヴァード大学の数学科の教授からインドの伝説の数学者ラマヌジャンの再来と見做されるほど。
ウィルは、しかしながら、映画冒頭でハーヴァード大学の清掃係をしていて、その仕事も暴力沙汰を起こして社会的更生のための罰として行っているものなのです。
やがて孤児である素性がすぐに語られ、彼は肉体労働などに日々従事していて、知的労働とは無縁な世界の人間であることが分かります。つまり、ウィルはアメリカ社会の底辺に暮らす青年。
暴力事件常習犯のウィルは、再び暴力事件を起こして捕まり、収監される直前に彼の数学的才能に驚嘆している教授に数学を自分と一緒に研究して、心理セラピーを受けるという条件で、仮釈放されます。
ここから新しい自分を探す物語が始まり、ロビン・ウィリアムズ扮するカウンセラーのショーン・マグワイアが登場。
ショーンもまた心に傷を抱えているのです。
映画名言集
二度目のカウンセリングで、ショーンが描いた嵐の海に船を浮かべる人の絵からショーンの心の傷を言い当てるほどのウィルの問題は、他人に平気で暴力を振るうほどに他人を思いやる心がないのは、彼が誰も愛していないということを言い当てます。
そういう自分を守るために独学で理論武装しているが、他人の言葉ではなく、自分の言葉で体験から世界と人生を理解できるようになるべきだと諭します。
この大学の中庭での長い対話は本当に素晴らしい名言。暗記したいくらい。
そして戦争についてこう語ります。
次は別の日のミィーティングから。
まだ本当の恋をしたことがないウィルは出会った女の子のことを語ります。
そして最後のミィーティングで、ドクターショーンはウィルが最も必要としている言葉を語ります。
天才的頭脳を持つウィルは理屈では親に虐待されて家を飛び出して孤児となって生きてきたことは彼の責任ではないことを知っている、でも彼のそれまでの人生で、この言葉を彼に対してかけてくれた人はただの一人もいなかった。
彼の孤独を初めて分かってくれたドクター・ショーン。
弱い心の自分を強く見せようと本を読み漁り、知的武装して理屈を語る相手には知識の弾丸を浴びせて、難しい言葉の通じない相手には腕力で立ち向かう。でもその鎧の向こう側には本当に繊細で小さな子供のように弱い本当のウィルがいた。
こういうウィルに共感します。
数々の名言がF○CKの海の中に漂うグッド・ウィル・ハンティング。
一度は見てみると良い映画です。
本当の生活の中の英語に親しんでいる人ほど、F○CKが耳障りでしょうが、そう言うことを気にされない人には、本当に素晴らしい映画、人生を変えてくれる映画になるかもしれませんよ。
面白かった英熟語
Do you like apples?
さて映画開始後20分ほどで、ウィルたちは女子大生をナンパしようとするのですが、それを見たハーヴァード大の学生は難解な議論でウィルの友達をケムに巻こうとしますが、ウィルはハーヴァード大の議論好きらしい学生の言葉は、ある歴史家の本の受け売りでしかない剽窃であると言い負かします。
ナンパされていた彼女は感心して電話番号をウィルに渡してゆきます。そしてウィルは帰り道で言い合いをしてナンパを邪魔した学生たちにこういう言葉を窓越しに残してゆきます。
Do you like apples?は嫌な相手を揶揄う表現。相手に嫌なものを押し付けるときに、りんごはどうだい?というのです。皮肉をいうのに使える表現。
また喧嘩で相手に「これでも喰らえ」とパンチを浴びせたりするときにも。
第一次大戦で歩兵が戦車に近づき、林檎に似た形の手榴弾をDo you like apples?と言いながら放り投げたのが由来だとか。
A shot in the dark
Damon vs. Demon
あと、名優マット・デイモンの名字のデイモンという名前ですが、「悪魔」であるデーモン木暮閣下の「デーモン」とは違います。
悪魔を意味するデーモンは、英語ではDemonで、発音はディーモン!
マット・デイモンはMatt Damonで、Aがエイと発音され、DemonのEは「イー」と読まれます。ちょっと気になるカタカナ語でした。
あと、舞台がなぜアメリカ一の大学と呼ばれるボストンのハーヴァード大学が舞台かというと、脚本を書いたマット・デイモンが通っていた大学がハーヴァード大学だったからです。
この作品が自伝的なものだとすれば、頭脳明晰なマットもまた、ウィルのような孤独を抱えた青年だったのでしょうか。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。