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音で描かれた子供たちのいるバカンスの情景

フランスのクラシック音楽は色彩豊かで非常に視覚的な音楽として知られています。

近代音楽の時代が訪れると、十九世紀の芸術音楽を牽引した、音でドラマティックな物語を描き出すベートーヴェン=ヴァーグナー流音楽の呪縛から解放されたシャブリエ、ドビュッシーやラヴェルらのフランスの作曲家が芸術音楽の世界を新しくしてゆくことになりました。

フランス的と呼ばれる色彩感豊かな音楽を独自に発展させたことが新しい時代の音楽を導き出しさえしたのでした。

絵画の印象主義に準えて、音楽の印象主義などとさえ呼ばれるようになるほど、豊かな音色の魅力の音楽を作り出しました。

フランス音楽の音のパレットの上には輝かしい色彩の絵の具がたくさん用意されているのが素晴らしい。

フランス文化は十七世紀、十八世紀のリュリ、ラモー、クープラン一族が活躍していた頃から、詩的で色彩的な、つまり官能的な音楽を愛する伝統を培ってきていました。

ルイ十四世や十五世の宮廷のハープシコード作品には、あの時代から数多くの絵画的な表題がつけられているほどでした。

フランス音楽は始まりのころから詩的だったのです。

叙事詩を理想化しているようなドイツ式の厳格な形式を重んじるよりも、色彩や光の美学を音楽に取り入れたようなことがフランスらしさ。

フランス音楽の世界で交響曲は育たず(例外はベルリオーズ)、フランツ・リストが発想した交響詩という自由な形式の音楽が十九世紀には好まれました。

ですので、印象主義を先取りした同じリストの色彩豊かなピアノ曲「エステ荘の噴水」のようなキラキラした光り輝く詩的な音楽にインスパイアされたような音楽がフランス音楽の代名詞になるのでした。

でもリストやベルリオーズの話はまた次回に。

詩的で視覚的な音楽と聞き手が理解できるほどに、音楽は論理的であるよりも絵画的なので、YouTubeなどでドビュッシーのピアノ曲を開くと、どれも美しい印象派のような絵画がイラストとして使われています。

本当にどれもお似合いなのです。

シューマンやシューベルト、ブラームスのピアノ曲がどんなにロマンティックでも、イラストや絵画はわたしには場違いなものに思えてなりません。

デオダ・ド・セヴラック (1872-1921)

そういう十九世紀フランスのヴィジュアルな音楽を作った作曲家の中にセヴラック Marie-Joseph-Alexandre Déodat de Séverac というあまり知られていない作曲家がいます。

もともとはスペイン貴族の家系なのでしたが、南フランス・ラングドックLanguedoc を出身地として生まれました。

同時代人ドビュッシー (1860-1918) にして

セヴラックの音楽には土の香りがする

と言わしめたほど、フランスの田園風景を思わせるような懐かしい音楽を書いたのでした。

パリでヴァンサン・ダンディに作曲を習ったのち、スペイン系のためなのか、セヴラックはスペインの作曲家アルベニスの助手を務めて、アルベニス遺作の名作「ナヴァラ」を完成させたりもしています。

しかしながらスペイン的な情緒はセヴラックの音世界にはほとんど感じられず、彼の音楽の情景に広がるのは、まさに印象主義絵画のような光溢れる南仏の田舎の情景。

ひまわりや小麦畑や農園や葡萄畑。

ルノワールやミレーの農民画や南仏アルルに住んでいたゴッホの情景の描いた世界を音にしたような世界なのです。

こんな印象主義な音の世界

わたしはセヴラックの音楽が大好きです。

En vacances (1912)

わたしはピアノを毎日弾くことを日課にしていますが、セヴラックの「En vacances(バカンスにて)」と題されたピアノ曲集はわたしの愛奏曲です。

技術的には中級レベルの音楽ですが、音符は単純なだけにフランス的なエスプリを表現することは難しい。

20世紀の作品なのですが、19世紀の後期ロマン派のような音楽。

古い作風で書かれた作品のためなのか、進歩することが正義だとみなす西洋音楽の歴史の中ではセヴラックは決して一流の音楽とはみなされないは来なかったのですが、だからこそ、そういう進歩史観が意味を失い始めた二十一世紀の現在、もっともっとセヴラックは復権されてゆくはず。

少しばかりセンチメンタルでロマンティックで懐かしい音楽。

この曲集を奏でることは本当に楽しいのです。

曲集は二巻ありますが、わたしが好んでいるのは第一巻。八つの小品が収められています。

バカンスの意味

「En vacances」は英語で「On Holiday」という意味で、フランス語のバカンスとはヨーロッパ人の夏の長期休暇のこと。

日本の夏休みとは違って田舎で数週間を何もしないでのんびりと過ごす休暇。

フランス人の文化と呼ばれるバカンスは英語のvacationと同じではない言葉で、人生には何もしない=空っぽ=vacant な時間が必要なのだということがフランス人の人生を体現しているといえるでしょうか。

くそ真面目で勤勉だとさえるステレオタイプなドイツ的思考とは対極の考え方。

演奏していると、本当にバカンスのひと時を過ごしているような錯覚さえもしてしまうような心休まる楽しい音楽。意味や意義を追求するドイツ音楽とは全く別の世界の音楽です。

バッハやベートーヴェン、ブラームスを演奏した後にセヴラックを弾くと、精神がよい意味で弛緩するようで素晴らしい。

ちなみに発音は無理矢理カタカナで書くと「オン・ヴァカォンス」みたいな感じ。

視覚的な音楽なので、ここからは画像付きで紹介してみたいと思います。

聴いていると音の世界から情景が目の前に浮かんでくるような音楽なのですから。

音で描いた風景画。あなたにはどのような情景が思い浮かぶのでしょうか。

以下はわたしの個人的な作品へと思い入れの込められた音の視覚的印象です。

1 シューマンへの祈り Invocation à Schumann

フランスのシューマンと呼ばれたのはやはりセヴラックの同時代人のガブリエル・フォーレ (1845-1924) でしたが、初期フォーレのようなロマンティックな作風でセヴラックはローベルト・シューマンを模しています。

ドイツロマン派音楽の巨匠シューマンがフランス音楽を作曲したら、こんな気楽な音楽になったのではという感じ。

付点のリズムでスムーズに流れてゆく様は確かにどこかしらシューマネスク(シューマン風)。

シューマンの小さなピアノ曲を思わせるこの曲は休日の午後、まだオクターヴも届かないような小さな掌の小さな女の子がピアノに向かってシューマンの子供のための曲集を弾いているようなそんな平和な情景を思い浮かべます。

またたくさんの子供達が楽しそうに遊んでいる情景。

九人の子供を愛妻クララと主に育てたローベルト・シューマンは数多くの子どものためを作曲した稀有な作曲家でもありました。

おそらく子供が喜ぶ音楽を純粋に子供が楽しめるような楽曲を書いたクラシック音楽最初の作曲家です。

おなじく子だくさんのバッハにも子供のための音楽はありますが、表題付ではないし、音楽一族の子弟の修行のためのあまりにプロフェッショナルな音楽なのですから、やはり子供のための音楽の作曲家の一番最初はシューマンでしょう。

「陽気な農夫」はシューマンが子供のために書いた曲集の中の代表作。

クラシックを知らない人でも知っている「トロイメライ=夢見心地」を含んだピアノ曲集「子供の情景」はシューマン屈指の不滅の名作ですが、セヴラックのこの曲集はフランス版「子供の情景」なのかもしれませんね。

2 お祖母様が撫でてくれる Les caresses de Grand'-maman

小さな女の子がおばあちゃんと一緒におうちに帰って、夜暖炉のそばで楽しいひと時を過ごしているとき、おばあちゃんが優しく髪をなでてくれた。

そんな感じの暖かな音楽。

とても暖かい音の詩なのですね。

3 小さなお隣さんたちが訪ねてくる Les petites voisines en visite

海外の暮らしている自分には10月終わりのハロウィンはチョコレートとキャンディーを配る忙しい日です。

夕方になると、近所からたくさんの子供たちが我が家を訪ねてきて、

Trick or Treat

ご馳走してくれなかったら、イタズラするぞ

と言ってお菓子をねだりに来るのです。

ユーモラスな曲想のこの曲のイメージはわたしには、ハロウィンの仮装した子供たちが押し寄せてくる感じ。セヴラックの時代のフランスにアメリカ由来のハロウィンの習慣があったとは思えませんが。

妖精の存在を信じていたケルト人の習慣(日本の八百万の神様みたいなものです)がアメリカ大陸に渡り、我々の知る仮装するハロウィンへと変化したのですが、きっと20世紀初めのセヴラックの想起したイメージはただ単に近所の子供たちがお隣さんの家に遊びにいってワイワイ騒いでいるのを眺めている感じなのでしょうね。

19世紀世紀末フランス田舎風

でも21世紀初めに暮らしているわたしにはお菓子を配るハロウィンがぴったりです。

現代の21世紀風
仮装は子供がするもので、日本のように若者が街中で
お祭り騒ぎをするようなものでは本来はないのです

4 教会のスイス人に扮装したトト Toto déguisé en Suisse d'église

スイス兵は傭兵として出稼ぎに出かけて、戦時以外は教会や政府のボディガードとして雇われていたので、その兵隊さんの真似をした男の子でしょうか。

ゆっくりとした抒情的な音楽なので、無理やり兵隊さんの真似しているまだ小さな男のイメージです。

下の動画の印象主義絵画の画像は題名にはあまりそぐわないものですが、題名に拘らない純粋な音楽の視覚的イメージとしては悪くないですね。

5 ミミは侯爵夫人の扮装をする Mimi se déguise en "Marquise"

お姉ちゃんが小さな妹にきれいなドレスを着せてあげるのを手伝ってあげている感じ。そして小さな妹は大人風のドレスを着て誇らしげに大人ぶっている感じ。

この武骨な三拍子、侯爵夫人になりきっている小さな女の子の感じがよく音で表現されています。

6 公園でのロンド Ronde dans le parc

こんな休日の午後のような音楽。陽だまりの音楽です。

7 古いオルゴールが聞こえるとき Où l'on entend une vieille boîte à musique

日本でもよく知られた「誰かさんと誰かさんが麦畑」によく似たメロディを古いオルゴールが奏でている。そんな情景の音楽。

「誰かさん」の原曲はよく知られた古いスコットランド民謡なので、フランスの古いオルゴールが奏でていても何の不思議もありません。

Comin thro' the rye, poor body, ライ麦畑においでよ、なあ
Comin thro' the rye, こっちだよ
She draigl't a' her petticoatie 彼女はペチコート(スカート)を引きずってる
Comin thro' the rye. こっちおいで
Jenny 's a' weet poor body Jenny 's seldom dry, ジェニーは濡れてて乾く暇なし (濡れているのは唇)
She draigl't a' her petticoatie 彼女はペチコートを引きずってる
Comin thro' the rye. ライ麦畑においでよ

スコットランド詩人のロバートバーンズのスコットランド方言
いわゆる庶民の言葉の野卑な歌
「だーれかさんとだーれかさんが麦畑、
あいびきしてたよ、いいじゃないか」
などいろんな日本語訳がありますが、
おそらくもっともオリジナルに近い名訳は
品がないと顰蹙を買ったドリフターズの歌った歌詞
「誰かさんと 誰かさんが 麦畑
チュッチュッチュッチュッしている 
いいじゃないか」
名作詞家のなかにし礼の作詞は
極めて原詩に近いのです

セヴラックの音楽は鍵盤の一番右端の音域で歌うのがとても印象的で舟歌のように絶えず揺れているメロディが右手と左手で交差する素敵な音楽です。中間部の下降してゆく音階のメロディがとてもチャーミングです。

こんなにシリンダーがたくさんだといろんな音を鳴らしてくれそう

8 ロマンティックなワルツ Valse romantique

前曲とともに最も親しまれているメロディ。

19世紀のロマン派音楽のワルツのスタイルで書かれた音楽。

中間部で並行短調に転じるわずかばかりの陰りを含ませるセンスがいいですね。

家族の団欒の場で楽しそうに三拍子の音楽を女の子が演奏している情景を思い浮かべます。

小さな恋人たちのロマンスであるとも解釈できますが

むしろ、家族のいる居間で中学生くらいの女の子がピアノを奏でているという暖かなイメージが私の眼前には’浮かぶのです。

どこまで行っても観念的な抽象イメージのドイツ音楽とは異なり、感覚的だといわれるフランス音楽は非常に視覚的で絵画的。

印象派絵画みたいな感覚的なフランス音楽が好きだといわれる方、これからもっとドイツ音楽以外のクラシック音楽を聴いてみたいといわれる方はきっとセヴラックが好きになれますよ。

カラフルな音色で彩られた情景の音楽のお話でした。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。