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美しい夏の日の読書:「大いなる遺産」

久しぶりに読書を堪能しました。

速読しないで、文章を味わいながら、のんびりと読みました。

楽しい読書でした。

長編小説です。

南半球に暮らしているわたしには1月は夏休みなのですが、海辺での素晴らしい夏の読書になりました。

誰もいない超遠浅の海
エメラルドグリーンにきらめく海でカヤックしてきました
写真の人物はプライヴァシー保護のためにAI加工しています

読んだのは、19世紀ヴィクトリア英国の大作家チャールズ・ディケンズの古典名作「大いなる遺産」

ディケンズの最高傑作の一冊として、必ず上げられるこの作品を生涯初めて読んだのですが、心底から読書する醍醐味を味わえました。

Noteではこの名作への読書感想文、またはタグもほとんど見つからないので、ほとんど読まれていない隠れた名作なのかもしれません。

いまでは日本ではディケンズなど読まれないのでしょうか。

確かに原作は19世紀の個性的な英文で書かれているので、英語学習者の教材には選ばれないのですが、こんなに楽しい読書はなかなかないものです。

独特の文体になれると、作者の表現の面白さに笑みが浮かびます。

例えば、物語冒頭で逃亡犯と主人公は出会いますが、満身創痍の逃亡犯の風貌はこんなふうに表現される。

A man who had been soaked in water, and smothered in mud, and lamed by stones, and cut by flints, and stung by nettles, and torn by briars; who limped, and shivered, and glared and growled; and whose teeth chattered in his head as he seized me by the chin.

たくさんの修飾節が主語と動詞の間に挟まれて慣れるまで読みにくいのですが、
こんなふうな修飾語の濃さがディケンズの魅力
音読するとリズムの心地よさにディケンズ節を味わえます
この長い文、A manという一単語を修飾しただけの動詞がない文
主語+動詞の文ではなく、
名詞+形容詞節+形容詞節+形容詞節+…関係代名詞にAsの修飾節でフルストップ!
直訳すると

「ずぶ濡れで泥まみれ、
石で足を痛めて、切り傷を負い、イラクサに刺されていて、
イバラに引き裂かれている、足を引きずり
震えていて目を光らせて唸っている
歯をガチガチならして、わたしの顎を掴み上げた男」

こういう濃厚な修飾語だらけの文章が
ディケンズ的な文章
日本語でいうところの体言止めが何度も出てきます

自称読書家のわたしはディケンズの名作をどちらかというとこれまで敬遠してきたのでしたが、これまで読んでこなかったことを後悔するよりも、まだこんな素晴らしい大作家を自分はまだ読んでいなかったのだ、これから当分読んで楽しめるのだ、というワクワクする思いでわたしは幸せです。

社会派ディケンズ

読んでこなかったのは、トルストイやドストエフスキーとは違って、ディケンズは思索的な小説を書く作家だとは伝えられてはいなかったため。

トルストイやドストエフスキー、さらにはモームなどの文豪らに愛読されて世界文学の大傑作として挙げられてきたディケンズの作品群なのですが、いま改めて読んでみると、英文学はドイツ文学やロシア文学のように、思索を綴るよりも、社会の中でいかに行動するかを書き綴る文学なのだなと納得。

英文学は階級社会をめぐる社会派文学であることが多いのです。

恐怖文学と呼ばれる、英文学の「ドラキュラ」や「フランケンシュタイン」や「ジキルとハイド」にしても。

頭でっかちだった若いころのわたしが、社会派のディケンズを読むには人生経験が全く足りなかったので面白くなかったのだなと今ではわかるのでした。

社会の中の自分を鑑みる、それが英文学的。

ロシアやドイツは個人主義的、社会に対する自分よりも自分自身の存在がいかに生きるかを考える。

観念的なゲーテやトーマス・マンやトルストイやドストエフスキーを若い自分が読めても、いまの言葉でいえば自分から他人との距離を置いていた「ぼっち」だった自分には、実際に「誰かと一緒に生きた」という経験が絶対的に足りなかったので、社会的実践的な人生哲学溢れるディケンズは理解できなかったのでした。

いまは半世紀ほどの人生をようやく生きて、人並みの社会経験と人生体験を得た自分は、ディケンズを心から面白いと思えるのです。自分自身の大きな成長です。

ディケンズの英語、前述のように十九世紀の英語なので、独特の長ったらしい修飾語たっぷりのナラティヴ語りはなかなか読みにくいのですが、馴れると本当に面白い。

大げさ極まりない誇張表現も愉快。

As pale as a ghost

幽霊のように蒼白

なんて表現がいたるところに発見できます。 

「幽霊のように」なんて部分、普通はなくても文章は立派に書けますが、わざわざこんな余分な形容詞を付け足すことでディケンズ文体独特の面白みが生まれるのです。

日本語翻訳と英語原文を読み比べながら、読み進めたのでしたが、良い翻訳では日本語版でも物語の面白さや、ディケンズ節は100%堪能できるので、ぜひともディケンズを本で手に取って読んで見てください。

そのうえで何度も映画や舞台化されているディケンズの名作の二次作品に親しまれると二倍に楽しい。

ディケンズの魅力にひとつは、十九世紀ヴィクトリア英国の下層社会と上流社会の両面を我が目で見ているかのように、読書を通じてリアルに体験できることです。

映像化されると「ああこの場面はこうだったのか、こうにもなるのか」などと映画監督などの解釈をも楽しめます。

「大いなる遺産」の映画やドラマはたくさんあります。

2013年版では名女優ヘレナ・ボナム=カーターが原作とは大分違うハヴィシャム夫人(結婚していないのでミス・ハヴィシャムと訳されることが多いかもしれません)の姿を披露してくれます。

こういう二次解釈は賛否両論ですが、ほんとに面白い。

ヒューマニスト・ディケンズ

私が思うディケンズ最大の魅力とは、社会底辺にいる弱者への思いやりや友愛のような温かさ。

貧困階級出身のディケンズは、英国独特の階級差ある社会において、社会的地位や貧富において人間を判断することなく、富によって傲慢になる上流階級や、貧乏でも他人を思いやる心を持った人、また成りあがって誠実さを忘れる俗物などをしっかりと描き出しているのです。

人間を立派にするのは、富や名声や社会的地位や決闘ではなく、人間の心の在り方というヒューマニズムがディケンズ文学を際立たせる素晴らしさ。

超有名な中編小説「クリスマス・キャロル」(1843年出版)では、ケチで成金の卑しい心のスクルージがクリスマスの夜に三人の幽霊に出会って、自分のこれまでの人生を反省して改心する物語でした。

おとぎ話のような寓話的物語なのですが、どんな悪人さえも変わることができて、人は誰でも内に美しい心を持っている、とディケンズはいつだって語り続けていた。

社会の底辺を誰よりも知っていた下流社会出身のディケンズは、極悪人もまたきっかけがあれば善人になれると信じていたのです。

経済的に満たされていて人生に退屈している上流社会人たちの偽善と欺瞞についてもまた、徹底的に糾弾しています。

大衆作家ディケンズ

ディケンズは物語を面白くすることに精力を尽くした作家でした。

凝ったプロットを書くことに苦心したロシアの後輩ドストエフスキーが愛読したことも頷けるわけです。

英語圏では、大衆文学的だとされるディケンズは、二十世紀のモダニズム文学などを過大評価する英文学の大先生には軽視されますが、20世紀や21世紀の英語読者たちは一様にディケンズを「大好きな」作家としてあげてきたのでした。

でも芥川賞に対する直木賞みたいな区分は世界文学にはないのです。

ディケンズ文学の持つ大衆性の素晴らしさは150年を経てもなお、我々をいまもなお、魅了しているのです。

大衆的な人気は、深みがないという意味ではありません。

読み方次第なのです。純文学には乏しい社会的分析もまた魅力です。

ディケンズ晩年の大傑作

さて、ディケンズの「大いなる遺産」。

原題の英名は「Great Expectations」。

日本語の「遺産」とは、文字通り「された財」。

将来受け継ぐべき財産は日本語では遺産としか表現できないので、この翻訳語にわたしは不満です。

Expectationsは、将来受け取ることのできるであろう幸運や大金という意味。

そこに日本語でいうところの「遺産」も無理やり含まれるわけです。

「残されるであろう財産」が Expectations。

普通の意味の「期待する、期待されるもの to be expected」というのが「Expectations」の原義。

将来受け取ることのできるであろう「大いなる幸運=巨額の富」がこの小説の題名。

だから事情により都合が悪くなれば、もらえないかもしれない。

遺産は寄贈者が他界して財産が遺ってから分配されるので、まずもらえると思うのです。だからこの翻訳語にわたしは不満なのです。

主人公ピップの精神的成長物語

主人公の名前はピップ。

Pip=Philipの短縮形。

十二使徒フェリペの名前の英語版。

英語圏で子供の名前を短くして呼ぶのは、日本語で「ちゃん付け」するのと似ています。

つまりピップは、「フィリップちゃん」または「ピプちゃん」という意味。

Phil フィルとも短縮されますが、ピップの方が子供っぽい名前ですね。

物語の終わりまで、子供の頃の彼を知る人たちは彼を「ピプちゃん」と呼ぶのですが、この呼び名は後半、非常に意味深くなる。

だれもが紳士の卵の彼を「ピプちゃん」とは呼べないからです。

ピップの親友は、ピップは呼び名としては軽すぎるので、彼のことを綽名で英国最大の作曲家にちなんで、ハンデル(ドイツ式ではヘンデル)と呼んだりする。

クラシック音楽大好きのわたしには楽しいエピソード!

わたしは与えられた名前は意味深いと思います。

さて、物語ですが、中学生くらいの鍛冶見習のピップはある時、思いがけずに、名前を告げない謎の後援者から、将来自分の遺産を受け継がせたいという申し出を法律家を通じて受けるのです。

その条件は、成人するまでに英国紳士にふさわしい教養を身に着けること、というのなのでした。

一夜にして孤児のピップは大金持ちになることになり、狭い田舎町の中では知らぬ者のいない時の人となります。

やがて貧しい村を離れて、上流階級のロンドンへと教養を付けるために向かうのですが、ここから二つの世界を行き来するピップの心の葛藤が始まります。

ミステリー仕立てのこの物語の後半、前半に張られていた伏線は驚くほどに見事に回収されて、何も知らないで読んだわたしはその物語展開の巧みさに舌を巻きました(ネタバレしません。是非ご自身で読んでみて、驚愕の展開を楽しまれてください。ウィキペディアであらすじを学んでから読んだりすると、もったいないですよ)。

まだこんな面白い物語をいままで知らないでいたわたしは幸福でした。

ピップを取り巻く個性的な登場人物たちの造形も独特で素晴らしい。

たくさんの「語り」がありますが、後半引用するように、それぞれの人物の言葉遣いは誰もが絶妙に特徴的なのです。

ディケンズの社会経験の深さと人間観察の深さには端倪すべからざるものがあります。

特に育ての親の未婚のハヴィシャム夫人に復讐の道具として育てられてたピップの初恋エステラ Estella の生き方には深く考えさせられました。

彼女は前回語った「モンスター」の少年少女のように、正しく人を愛することを意図的に学ばされることなく、育った少女です。

Stable Diffusionに描かせた美しいエステラ(アニメ風)
誰も心から愛せない哀しい女性

でも「モンスター」の養護施設の孤児とは異なり、自分には誰かを愛する心がないということを深く自覚しているのです。

「愛する」ことを全く知らないのではなく、自分は正しく愛されなかったので「愛することができない」ことを知っている

でも「愛する」ことの素晴らしさは見聞きして知っている。

二人の子供の親であるわたしは、子供への情緒教育の重要さを心から痛感します。

具体的にどういうことなのかは作品を読んでご自身で理解されてください。

ピップの苦悩

他人を愛せない幸薄い少女を愛したピップは、努力もなしに、唐突に上流階級人として成り上がったがゆえに、心の深いところにある種の罪悪感を抱えているのです。

成り上がったがゆえに、かつていた庶民の世界の愛していた人たちとの間に生まれてしまった心の壁。

彼らから離れてゆく苦悩。

お金持ちになったにもかかわらず、過去を捨てて傍若無人にふるまわずに、彼らとの距離感に後ろめたさと寂しさを感じずにはいられないピップの誠実さは本当に愛すべきものです。

そして物語の最後、大団円とはならずに、深い余韻を漂わせたビター・スウィートな幕切れ(ネタバレしないので詳細はなしです)。

ディケンズは1861年にこんな物語を書いていたのでした。クリスマスキャロルから18年後の円熟した作品なのです。

ちなみに1860年代には

  • ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」が1862年に

  • ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」が1965年に

  • レオ・トルストイの「戦争と平和」が1863年から1869年、

  • ドストエフスキーの「罪と罰」が1866年に

書かれるなど、19世紀の黄金時代なのでした。

それらの名作群の中でも、ディケンズの「大いなる遺産」は燦然と輝く大傑作なのだと、わたしは思います。

ここからは長編小説「大いなる遺産」の中の興味深かった文章の一部を引用してみます。わたしが個人的に感心して赤線を引いておいた部分です。

これらの言葉は小説の中の文脈の中でこそ、本当に輝くのですが、抜き出された言葉だけでも、ディケンズのヒューマニズムを味わうことができるはずです。

ぜひともディケンズを楽しんでいただきたいです。

エステラはどんなに経済的に恵まれていても
決して心から笑わない
本当は好きなはずのピップにも心を開かない

「大いなる遺産」引用

My sister’s bringing up had made me sensitive. In the little world in which children have their existence whosoever brings them up, there is nothing so finely perceived and so finely felt, as injustice.

第8章より
「姉に育てられたために
わたしは神経質な子供に育った。
子供の小さな世界では、誰に育てられようと、
不正ほどに敏感に知覚されて、
感じられるものはなかったのだ」
『so finely perceived and so finely felt, as injustice』

この同じ言葉を繰り返す文体のリズム感
とてもディケンズらしい
大事な言葉 (Injustice) は
文章の一番終わりに置かれて
強調されるのが英文らしさ
日本語に訳すと順序が変わって
英文の味わいが死んでしまいます
名詞構文が効果的に使われた名文ですね

‘On the Rampage,
Pip, and off the Rampage, Pip - such is Life!’

第15章より徒弟と喧嘩した後の鍛冶屋ジョーの言葉
「暴れまわってめちゃくちゃなことをする、
ピップ、それでだ、
ハチャメチャをやめる。
人生ってそんなもんで出来上がっているのさ」


これも語呂がいい
庶民らしいブロークンな英語!

‘Would you mind Handel for a familiar name?
There’s a charming piece of music by Handel, called the Harmonious
Blacksmith.’  

第22章よりハーバートの言葉
「ハンデルって名前はどうだい?
ハンデルの作曲した『愉快な鍛冶屋=
調子のよい鍛冶屋』
っていうチャーミングな曲がある」

バッハと並び称される
ドイツ人大作曲家ヘンデル Händel は
英国に帰化して、
ドイツ語ウムラウトAがただの英語のAになって
ハンデル Handelと呼ばれるようになりました
ピップは鍛冶屋見習いだったからです
ヘンデルの代表曲チェンバロ組曲第5番中の変奏曲はわたしの愛奏曲です

He says, no varnish can hide the grain of the wood; and that the more varnish you put on, the more the grain will express itself.

第22章よりハーバートの言葉
「父が言うには、どんなニスも木目は隠せない、
そしてニスを塗れば塗るほど、
木目は目立つようになる」

外面だけをよくしても中身は隠せないという事実を素敵に表現した言葉
ディケンズ文学の本質のような言葉
ピップはお金持ちになっても、
ピップと呼ばれていた頃のままの
誠実さを失いませんでした
(ニスを塗られても
誠実すぎる彼の性質は
そのままなのでした)

Be that as it may, he had directed Mrs. Pocket to be brought up from her cradle as one who in the nature of things must marry a title, and who was to be guarded from the acquisition of plebeian domestic knowledge.

第23章より
「何はともあれ、ポケット夫人を赤ん坊のころから爵位を持つ
生まれながらの貴族に嫁がせようと
庶民的な家事の知識から
無縁になるように育てるように
夫人の父親は命じたのでした」

召使いにかしずかれることに慣れている人は
貴族的な装いを自然と身につけます
他人に何かをしてもらうことに慣れているのです
家事が出来ると庶民的なのが
ヴィクトリア英国なのでした
メイド発祥の国ですからね
メイドを雇ってこき使えることが
上流階級女性の証!

‘Pip, dear old chap, life is made of ever so many partings
welded together, as I may say, and one man’s a blacksmith,
and one’s a whitesmith, and one’s a goldsmith, and one’s a
coppersmith.…

第28章よりジョーの言葉
ロンドンから久しぶりに故郷に帰ったピップは
懐かしいジョーと再会します
そして二人は別の世界にいることを
ジョーは語ります
ジョーの素晴らしい言葉なのですが、
長いのでここでは冒頭だけ

ピップ、なあ、人生ってのは
大変な数の部品が溶接されてできてる、
鍛冶屋もいれば、銀メッキ職人もいるし、
金細工職人もいるし、銅細工職人もいる


人と人のつながりの大切さ、世の中の仕組みを
教育を受けなかった鍛冶屋職人ジョーが頑張って説くのです
Blacksmith,
whitesmith,
goldsmith,
coppersmith
といろんなSmith(製作人)のタイプを並べる部分
日本語に訳すと面白くなるなる典型的な翻訳の欠点
これは原文で読まないと面白みがわからない

it seems to me that in the despondency of the tender passion, we are looking into our gift-horse’s mouth with a magnifying-glass. Likewise, it seems to me that, concentrating our attention on the examination, we altogether overlook one of the best points of the animal.

第30章よりハーバートの言葉
「君は愛する情熱が満たされないことで
贈り物の馬の口の中を虫眼鏡で
覗いているみたいにおもえるよ
(あら捜しをして良いことを台無しにすること)
同じように検査するのに夢中で
馬の一番いいところを見逃しているよ」

For you were not brought up in that strange house from a mere baby. - I was.
You had not your little wits sharpened by their intriguing against you, suppressed and defenceless, under the mask of sympathy and
pity and what not that is soft and soothing. - I had.
You did not gradually open your round childish eyes wider and
wider to the discovery of that impostor of a woman who calculates
her stores of peace of mind for when she wakes up
in the night. - I did.

第33章よりエステラの言葉
太字にした部分、
終わりの部分が統一されていて、
リズムもまた素晴らしい、
まるで詩のような一文
ヒロインのエステラの口調には
こういう独特の語りが与えられているのです

「あなた(=ピップ)は赤ん坊だった頃から
あの奇妙な家で育てられていない、
わたしはそうだった
あなたは同情をしている振りをしている人たち、
あの人たちの優しさや慰めが本当はないのに、
そんなひとたちがが自分に対して
陰謀をたくらんでいるから、
子供の自分の小さな感覚を研ぎ澄まされることもなかった、
わたしはそうだった
あなたは子供の頃の丸い目を少しずつ見開いて
夜中に目を覚ましたときに
平和な心を保っていられるように
母親の役割を果たしている(ふりをしている)
偽善者のことを知ることもなかった
わたしはそうだった」

’Mother by adoption, I have said that I owe everything to you. All I possess is freely yours. All that you have given me, is at your command to have again. Beyond that, I have nothing. And if you ask me to give you what you never gave me, my gratitude and duty cannot do impossibilities.’
‘Did I never give her love!’ cried Miss Havisham

第38章よりエステラの言葉
『「お義母さま、
わたしが持っているものは
全てあなたが与えてくれたものですと言いました
わたしの持ち物は全てあなたのもの。
与えてくれたもの全て、
命じられてばお返しします。
それ以上のものは何も持ってはいません
そしてあなたが与えてくれなかったものを
返せと言われるならば、
わたしの感謝や義務をもってしても
無理なことなのです」
「わたしはあなたに愛情
与えなかったというの?」
とハヴィシャム夫人は叫んだ』

ここは初めてエステラが育ての親に
あなたはわたしに愛情を与えてはくれなかった
と語るクライマックス
Mother by Adoptionという呼び名にも毒がありますね
養い母親という嫌な意味
使用されなかったブライダルドレスを二十年も着たまま、
光のささない屋敷の中でその半生を過ごしていた
狂気の女性ミス・ハヴィシャム

if you had taught her, from the dawn of her intelligence, with your utmost energy and might, that there was such a thing as daylight, but that it was made to be her enemy and destroyer, and she must always turn against it, for it had blighted you and would else blight her;

第38章よりエステラの言葉
彼女の言葉は知的で、
それだけにたまらなく痛切なのです

「もし物心ついた時から、
日の光というものがあったとしても
光はあなたの敵で破壊者なので、
いつだって日の光から
背を向けていないといけないと
全身全霊で教え込まれたとしたら?
光はあなた(ハヴィシャム夫人)をだめにしたので
私(エステラ)もダメになってしまうと」

ディケンズの名作「大いなる遺産」は、恋愛小説、社会小説、犯罪小説、そして、現代においても最高級とみなされるであろうサスペンス・ミステリー小説です(だからネタバレはだめです)。

こんな小説、聞いたこともないと言われる方はあらすじを読まないで、何も知らないまま、この小説をぜひ手に取ってみてください。

19世紀半ばの矛盾だらけのヴィクトリア英国社会へとタイムスリップしてエキサイティングな読書の時間を過ごすことができることは請け合いです!


英語版は著作権が存在しないので無償で提供されています(翻訳は訳者と出版社に著作権があります)。

英語に自信のある方はぜひ原書でどうぞ。


ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。