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ミケーネ文明【センター世界史2020】

 初投稿です!
本アカウントでは共通・センター世界史などの問題から世界史について広く、深く学んでいきます!
たまに高校の履修範囲を逸脱しますがご了承ください~
しばらくは共通・センター世界史で出題された問題を○✕問題として出題して、解説していくという感じで進めていこうと思っています!
では以下の問題について考えてみましょう


「ギリシア人によって、ミケーネ文明が築かれた」
○か✕か









正解は○です!

ミケーネ文明は前1600年頃から、北方から移住してきたインド=ヨーロッパ語系のギリシア人によって築かれた青銅器文明であるとされています。

教科書的には上記のような説明となりますが、現状、正確な成立年代は良くわかっていません。
この文明の遺跡(ミケーネ遺跡、ペロポネソス半島北東部)は1876年からドイツ人、シュリーマンによって発掘されており、彼が単なる伝説とされていたホメロスの叙事詩の情報をもとに発掘したという話は聞いたことがあるという方が多いと思います。ホメロスの叙事詩の一つ、『イリアス』によれば、ミケーネはトロイア戦争でギリシア軍を率いたアガメムノンの居城とされており、実際に巨石を積み上げた城壁や円形の墳墓が発見されています。

この文明に関する情報は主に遺跡から出土した線文字Bの書かれた土版文書から分かったものです。線文字Bは1900年にイギリス人エヴァンズがミケーネに先行するクレタ文明の遺跡、クノッソス遺跡の発掘した粘土板に刻まれた文字であり、ヒエログリフに似た絵文字は線文字A(未解読)、簡略化された文字は線文字Bというふうに分類されたのです。発見当初、学者たちはクレタ文明は非ギリシア系クレタ人の文明と考えて、線文字Bも非ギリシア系の言語を表すものと考えたため、半世紀以上解読がなされませんでした。結局1952年に、線文字Bは古いギリシア語を音節文字(仮名などと同じ)で表したものであると考えたイギリス人ヴェントリスによって解読されることとなります。
さて解読によって粘土板の内容もわかるようになるわけですが、発見された粘土板は王宮内で働く官僚らが記した地方からの貢納、そして王の被支配民、職人、奴隷たちへの分配を記録するものでした。このような王政を貢納王政と呼ぶことがあります(テストで出ることはないかと思います)。
このミケーネ文明は前1200年頃に、その年がいずれも謎の破壊を受けたことで消滅します(教科書でドーリア人の南下により破壊されたと書かれることがありますがこの説は現在完全に否定されています)。有力な原因としては海の民の侵攻が挙げられますが、そもそもこの海の民自体も近世に作られた用語であってどのような人々だったのか定かではありません。なにはともあれその後ポリスの成立まで、ギリシア世界は資料の乏しい、いわゆる暗黒時代に突入します。
 

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