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『乃木坂46シングル曲が物語る"今"』その8(ここにはないもの~おひとりさま天国まで)

前回は、グループの代替わりが本格的に進む中で、その「変化」そのものが大きく切り取られている、といったようなことを書いた。

(元々ファンであった)新世代メンバーの視点も取り込み、「乃木坂46という存在の変化」を読み取ることができた。

ここから続く楽曲は、「変化」の締め括りから始まり、ひいては「これからの乃木坂46」がうっすら滲んでいる。

ここにはないもの

1期生・齋藤飛鳥がセンターに立つ、卒業前最後の参加楽曲。彼女の旅立ちを(グループ全体にとっても)大きなドラマとして切り取っているわけだが、この曲が何を物語っているか読み取るカギとして、1つのポイントがある。

それは「卒業コンサートのタイミング」だ。

そこを掘り下げる前に、まず歌詞をざっと見よう。齋藤飛鳥の視点であろう言葉は、これまでの卒業シングルと比べてみると意外なほど「寂しさ」や「名残惜しさ」を感じる内容である。

サヨナラ言わなきゃずっとこのままだ
微笑む瞳のその奥に
君は瞬きさえ我慢しながら涙を隠してる

寂しさよ語り掛けるな
心が折れそうになる
人は誰もみんな孤独に弱い生き物だ

ここに〈それでも一人で行くよ〉と続くわけで、そうした構成の歌詞はつまり、彼女の旅立ちに向かう強い「決心」をより際立たせる言葉だ。

また、彼女が〈一人で行くよ〉と言い残すことはそこに「残される者」もいるわけで、その対比の構図こそが、この曲の特にキモの部分であると言える。これまでの卒業シングルも同じではあるが、「乃木坂46の"今"」「現状」を落とし込んでみると、そのことがより鮮明に浮き上がってくる。

とは言え勿体ぶるほど意外な結論でもない。それは「1期生」齋藤飛鳥と「3,4,5期生」の若い世代のメンバー、という対比だ。

飛鳥は2022年12月31日の『第73回NHK紅白歌合戦』出場を最後にグループを卒業したが、改めて2023年5月に卒業コンサートが執り行われた。

この5ヶ月の短くない空白期間がなぜ発生したかは、卒業コンサートをよりふさわしい規模・タイミングでやるべくした調整の末であろうことが察せられるが、にしても不思議に思ってしまうところもあった。

前後にグループ卒業を発表していた、1,2期生の同志たる秋元真夏、鈴木絢音は、この間に別の形でそれぞれ最後の場が設けられ、齋藤飛鳥卒業コンサートには参加しなかったからだ(2月の11thバスラ内で行われた秋元の卒業コンサートに飛鳥が参加しなかったのもまた同様だ)。

長らく活動を共にしていた彼女たち、どうせなら卒業コンサートに参加できてもよかったのでは?とは一度思った。しかしいざ実際に執り行われたコンサートや、秋元、鈴木の卒業セレモニーを見てみたら、その考えは野暮であったことがはっきりと分かった。

2月の11thバスラ内で行われた秋元の卒業コンサート、3月に行われた鈴木の卒業セレモニー、そして5月の飛鳥卒業コンサート、それらはいずれも、「上の世代」である彼女たちと「これからグループを担っていく世代」である3,4,5期生との、別れの場として設けられたものであった。

その別れが、「上の世代」同士で行われることは、もはや意味を為さないのだ。彼女達は同じ立場におり、そして、残され見送る立場として下の世代のメンバーらがいる。だからそれぞれに「1対みんな」の場としてタイミングをずらす形で式典が執り行われた。

そして、その構図を象徴する楽曲として『ここにはないもの』がある。

去る者の視点で描かれつつも、掘り下げてみると「旅立ち」や「別れ」そのものよりも「彼女は去って行った、そしてここには私達が残る」という、見送る側の存在をむしろ引き立てるように思える。

〈それでも一人で行くよ〉と去っていく背中を、決して追い縋ることなく見つめる目線。その目線は既に『ごめんねFingers Crossed』に描かれている。

「世代交代」のタームにおいて卒業シングルである表題曲は、残される者そのものの存在や、「残されるということ」自体を浮き彫りにしている、と言えるかもしれない。歌詞には「残される側」の視点が書かれていないので、あくまでも拡大解釈であるが、そう捉えずにいられない。

人は夢を二度見る

そんな風に2022年末~2023年初頭にかけて激動の時期を過ごし、いよいよ「これからグループを担っていく世代」である3,4,5期生のみの編成となったシングル表題曲。

ここから本格的に代替わりした「新世代の到来」が見られそうだが、その実、まだそのタームではないように思う。

むしろ、「ここから本格的に代替わりした『新世代の到来』が見られますよ」ということ、それ自体を示しているような、予告めいたニュアンスを感じる。『人は夢を二度見る』とは、代と代の間にあるインタールードの役目を持つように思えてならない。

夢をもう一度見ないか
叶うわけないと諦めたあの日の何かを
人はそう誰だってみんな過去に持ってたはず
大人になってやりたかった事

歌詞を見てみると、タイトル通り「夢を二度見る」ことを謳っているが、そこには「もう一度立ち上がる」ようなニュアンスが滲む。背景として「逆境」があることを前提としているように思えるのだ。

そのニュアンスを理解するヒントとして、メンバー本人の発言を探ろう、Wセンターの一翼を務めた山下美月が、この楽曲のプロモーション期間を終える頃に『乃木坂46メッセージ』を通じて発信していた言葉がある。

(転載禁止のため引用等は割愛。)

そこには、「次に進む」というよりも、「変化を持ち堪える」「グループの安定感を作る」意味として受け取れる言葉があった。形振なりふり構わずグッと歩みを進めるというよりも、「乃木坂46という形をまず確固たるものにする」ことを目指して動いていた(という意思表示)であったと、勝手な個人的解釈ながら感じたのだ。

思えば、歌詞にも立ち止まる場面が描かれる。改めてふと自らを振り返り、思案にふける描写だ。

もし僕がある日急に
世界からいなくなったら
どこの誰が泣いてくれるか
考えたこと君もあるだろう

これはつまり、明らかに変化した(メンバー構成が初期から総代わりした)乃木坂46が、残されたメンバーが「じゃあ私達でどうしようか」と考える様子に他ならないだろう。これまで培われたものを担うことが出来るか、求められた期待に十分に応えられるか。実情(≒他己評価)はさて置いて、本人達が考えずにはいれらない"壁"ではないか。

そんな思い悩むタームを超えて、それでも次に進む、新たな未来を作る、といった意味を持つ「夢をもう一度見る」という言葉なのだろう。

「逆境かもしれないけど、それでも進むんだ」という、その「だ」を力強く示すことこそ、この楽曲の役割である。

今思えば『僕は僕を好きになる』も、新しい世界へと歩み始めた様を描いているというよりも、「これから僕は歩み始めるんだ」という"点"の形の意思表示が現れた楽曲であった。

『人は夢を二度見る』もまた、「これから(新たな)夢に向かうのだ」という"点"の意思表示だ。今まさに歩み始ようとする、扉のノブに手を掛けた瞬間そのものを描いている。

特に、3期生以降、元々グループのファンであったメンバーも少なくなかった。そんな彼女たちの最初の夢とは「(ファンの目で見た)乃木坂46になる」ではなかったかと思う。

それをあくまでプロセスの1段階目として、「今、乃木坂46である」という立場で、何を為すかという意思表示。その肩書が「手に入れたもの」から「自分自身を指すもの」に変化した今の状態における、夢。

なんなら、もうそれだけで満足してしまってもおかしくないが、いやしかし進むんだという徹底的な覚悟、であり、突き付けられた責任であるのだ。

もっと言えば、現実としてこなさなければいけない過酷な状況で、夢が夢でなく("仕事"に)なったような感覚に陥っているかもしれない。

そんな諸々を踏まえた〈それでも人は夢を二度見る〉という言葉であろう。

憧れた先輩は皆いなくなってしまい、「さて、じゃあこれから、私達はどうしようか?」という問いを自らに投げ掛ける作業。その問いへのアンサーがこの楽曲だ。その問いに対して、こう力強く言い切れる彼女たちだからこそ、更に次へと進むことが出来る。

それでも人は夢を二度見る
今ならちゃんと夢を見られる

おひとりさま天国

といった深い深いインタールードを経てからの、5期生・井上和をセンターに迎え、心機一転スタートを切るのが『おひとりさま天国』である。

個人的には、『ガールズルール』にも感じた「New1stシングル」の雰囲気があるように思う。1st~5thまでの大きなひとつの流れが一区切りされ、(センターの交代も含め)新たなスタートを切る楽曲として印象的であった。

〈彼女と私〉による幻想のような場面を俯瞰で眺めた『ぐるぐるカーテン』から、〈君〉と〈僕〉の出会いと共に世界が開いていく様を描いた『君の名は希望』。そんな風にストーリーが一巡して、主観を新たにストーリーの幕を開けたのが『ガールズルール』と言える。こちらでは〈女の子たち〉自身の視点で快活な友情が描かれた。

『おひとりさま天国』もまた、メンバー構成の変化もしかり、主観を一新した新たなストーリーの幕開けを告げる「New1st」と言える楽曲だ。

明るく楽しく〈おひとりさま〉を肯定する歌詞は、「恋愛ソングからの脱却」といった切り口で読まれている例が既にいくつか見られるが、乃木坂46的メッセージとしては、もう少し抽象的なレイヤーで見る必要がある。

『おひとりさま天国』で示しているのは、おそらく「"君と僕"の構図からの脱却」である。

『君の名は希望』から『Sing Out!』まで、〈君〉と〈僕〉ないし〈ここにいない誰か〉といった、他者との関わり合いの間で交わされる救済、孤独から解き放つ(解き放たれる)様子が、繰り返し、その都度規模を広げながら語られてきた。

僕は一人では生きられなくなったんだ

だから一人では一人では負けそうな
突然やってくる悲しみさえ
一緒に泣く誰かがいて乗り越えられるんだ

一人ぼっちじゃないんだよ

それこそ直近の『僕は僕を好きになる』、『君に叱られた』、『好きというのはロックだぜ!』も同様だった。これらは3期生や4期生を中心にした、乃木坂46を背負うニュアンスも重ねつつ行われた、彼女達による語り直しのようなものだ。

君を好きになった
それだけのことでも
全てがひっくり返ってキラキラし始めた

「一人じゃないんだ」「誰かの存在が人を支えるんだ」ということを繰り返し謳ってきた乃木坂46が、新たに打ち出したメッセージが「一人でも良いんだ」であるのだから痛快である。

自由で気楽なおひとりさま天国
揉めることもなくいつだって穏やかな日々

もちろん「これまでのメッセージを否定している」「無かったことにしている」と言いたいわけではない。そんな短絡的な考え方はこの世に存在しない。

これは、幅を広げる・選択肢を増やす行為。「皆でいる」も「一人でいる」も良し!という、大いなる「肯定」そのものが本質的なメッセージとしてある。

本質という点で言うならば、上で引用したサビの歌詞に続くパートが、『おひとりさま天国』の本質だろう。「恋愛の脱却」も良いが、それ自体ではなく、

本当の自分でいられるから

「一人でいること」や「恋愛に縛られないこと」ではなく、「〈本当の自分〉でいること」こそを推奨している。その為に必要な環境や状況、人間関係、それは人それぞれ違うし、そのどれもが否定されるようなことじゃないんだ、という楽曲なのだ。

歌詞の中で忌避されていることも、恋愛そのものではなく、「ああしろこうしろ」と〈上から目線〉で口出しされる圧力や、人間関係の擦れから生まれる〈ストレス〉である。

そこから抜け出した「解放感」と、それによってもたらされる〈本当の自分〉。それこそを〈天国〉と謳っているのだ。

天国だ

サビ前に配置された象徴的なフレーズにある「シングルライフ」とは、辞書を引けば「独身生活」と多く出てくるが、これもまた、もっと抽象的な意味の言葉として読んで良い。

「Single」の意味を調べてみると、「独身の」「一人用の」と並んで「個々の」「たった一つの」と出てくる。「life」はまた、「生活」「暮らし」よりも先に「人生」「生命」が出る。

これらの意味を踏まえることで、〈It's The Single Life!〉の意味を「唯一無二の人生!」と理解することができる。

他の誰とも違う自分だけの生き方を、真正面から肯定する言葉だ。「自分の生き方を他人に否定されたり捻じ曲げたりされる筋合いなんてないんだ」という力強い宣誓。〈It's a~〉ではなく〈It's The~〉の、「これこそが!」という強調のし方も大変気持ちが良い。

It's The Single Life!

「恋愛しないこと」をテーマアップした事は確かに新鮮だし現代的っぽくもあるが、その奥に、もっと広い意味での「あらゆる生き方の肯定」というメッセージが潜んでいる。

海を超える〈愛〉で救った『Sing Out!』は一つの到達点であるが、それをどのように更新するかの答えは、「肯定」「解放」というシンプルイズベストとでも言いたくなるほどの手の広げ方であった。

しかし同時にそれを、「与える」という行為ではなく、「自らを以て示す」「自分事として宣言する」という形で描かれていることは、若い世代のメンバーを筆頭にしているからこその世界観とも言えるだろう。

明るさと楽しさに乗せた解放感が曲に落とし込まれている点はまた、『夏のFree&Easy』や『ジコチューで行こう!』など、夏シングルの系譜ならでは。

「清楚」「お嬢様感」と語られることがよくあったグループだが、それは在籍していたメンバー個人の印象にるものだ。

代替わりし、最も若い5期生メンバーの一人がセンターに立ち、さあ、と提示した名刺となる楽曲が、クラブミュージック的な"アガる"サウンドで仕立て上げた、この突き抜け感。「大正解!」と勝手に騒いでいることを白状しておこう。

個人的には、ここから更にイメージを変えるような仕掛けをしてくるかもなぁ、なんてぼんやり思っている。

ツアー時期を終えた後の秋~冬ごろに発表されるシングル表題曲は、メッセージ的な確度をより高めた楽曲である印象がある。『おひとりさま天国』という「序章」から続く楽曲やグループがどうなっていくか、それが今から楽しみで仕方ないぜ。

MVの、1人1人区切られた箱がタテヨコに並ぶ絵面や、YouTubeのサムネにもなっている〈It's The Single Life!〉のパートは、Zoom画面っぽくも見えて、そういう点も2023年現在における〈おひとりさま〉の暮らしを切り取っているようだ……みたいな話もしたかったがもう入んないのでここまでとする。

久々に書いたこのシリーズ、最新曲まで到達したので、シングル曲が再び貯まるのを待ちます。

以上。


明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。