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乃木坂46版 ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』 2019 感想

2019年10月10日~14日、水道橋駅は近くTOKYO DOME CITY HALLで行われた「乃木坂46版 ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』2019」東京公演を観て参りました。

去る2018年、Team MOON、Team STARの2チーム制で行われた当時は、まさかあれを「2018年版」と呼ぶ日が来るとは予想していなかったが、1年後の今年、新たな五戦士による再演が決定!観に行かない選択肢がない!ということで2公演分チケットを確保した次第です。

とりいそぎ、その内1回目、初日初回公演を観たその日の夜、今こちらの文章を書いています。(※10/14、2回目観劇後いくらか書き足しました)(※その後さらにちょいちょい書き足しました)

それでは早速感想を――の前に、セラミュ過激派としてどうしても言いたいことがある。それは『今年の5人にもチーム名が欲しかった!』ということ。

2019年版はTeam MOON、Team STARから数えて3チーム目、その呼び分けのためにも、そして何より今年の5人が一つのかけがえのないチームである証としても、その言霊が宿る名前を付けてあげてほしかった…!今彼女らを呼ぶとしたら「2019年組」になっちゃうわけです。それじゃあいくらなんでも味気なさすぎるじゃないか。

まあ、ないものはないで考えるわけです。仮に名前が付くとしたら何だろうと。

月、星、ときて…宇宙?惑星?流星?彗星?地球?…Team SPACEか、Team PLANETか、Team METEORか、Team COMETか、Team EARTHか、はたまたWINDかFIREか…公演が9月だったらSEPTEMBERにもできたな…などと考えていたら、メインビジュアルの夜空があまりにも美しいもんだから、これはTeam SKYか…深い青から取ってTeam BLUEか…いや、美しいのはこの光の煌めき…じゃあTeam LIGHT、いや、Team SHINE…Team BRIGHT?違う、澄み切った闇こそ美しさの本質だ…となるとTeam NIGHTなんてどうだ…「青い水晶球のように見えるわ」…Team CRYSTALってのもいいな……

と、付けられなかったチーム名に想いを馳せつつ、やっとセラミュ2019本編について書いていきたいと思います。しょうもない前置きで1000文字使ってしまいました。

その前に

以上2件、昨年のTeam MOON、Team STARの感想を書いたnoteなので、こちらも参考に。どちらも2018年6月公演時(@天王洲銀河劇場)に観劇し、その直後にぶわっと書いたものなので、ちょいちょい粗いのはご容赦ください。

今回もこれらに倣って、五戦士それぞれ+チームについての総論を書いていく。5人以外のキャラクター、キャストの方々については、五戦士について書く中で触れるのみに留める。(※10/14、我慢できず追記しました)

また去年の2チームのキャストについて比較として名前を挙げることがあるが、どっちが良し悪しということでなく、あくまで説明を円滑にすることが目的であることを断っておく。

※以下、ネタバレ注意。

※掲載している画像はTOKYO POP LINEさんから拝借しました。

去年との演出等々の違い

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まず、観劇してみて感じた、昨年との違いが結構あったので、それについて書いていく。

当初から「再演」と公表され、実際観てみると、確かに基本はすべて同じ。原作第一部『ダーク・キングダム編』を軸にしたストーリー(キャラクターも同様)で、今回の上演が行われた。

しかし、やはりというか、細かい部分がかなり違う!元々、原作ストーリーの5人が揃う流れからクライマックスまでギュッと詰め込んでいるため、展開が早かった乃木坂版セーラームーン。

早いというか、割と説明不足気味な部分もあり、乃木坂ファンでセーラームーン初心者、という観客は置いて行かれかねない部分もあったのが正直なところ。

そこが今回かなり上手くて!展開が早いは早いとして、さらっと説明になるセリフが挟まれたり、演出(見せ方)を変えて「何が起きているか」が明確にわかるようになっていたりと、かなり親切なつくりになっていた。

例えば2幕、衛を探すうさぎが街を彷徨う場面。2018年版では、文字通り街をフラフラと彷徨っており、そこで衛に似た人物を見つけて思わず後を追い……という描写だったのが、今回は人探しのビラを配っている描写に変わり、わかりやすく「衛を探している」描かれ方になっていた。

またその後のクイン・ベリルとの戦闘シーン、ベリルが巨大な縄的なものでムーンを拘束するのだが、今回は「クイン・ベリルの髪の毛が!?」とヴィーナスのセリフが挟まり「ベリルの髪が伸縮し、それでムーンを縛り上げている」ことがわかる。

これらは今パッと思い付いたものを挙げたのみだが、ほかにも様々な形で、状況説明になるセリフや演出が組み込まれていたり、以前は唐突気味だった場面にあらかじめフリが用意されたりと、理解しやすい、見やすい描かれ方になっていた。

また、一部のシーンでは尺が変化しており(より”魅せる”ため&会場の変化=動線の変化とかに対応したため。多分)、その際の音楽も、昨年よりも長めに流されたり、アレンジや鳴る音にも変化があり、より劇伴としての重要度を増していた。細かなエフェクト音も充実し、一層場面場面を際立てる役目を果たしている。

さらに「見やすさ」だけでなく「更に良く」なる変更ももちろんある!個人的にたまらなかったのは上記シーンの直前。うさぎが、ベリルに操られた衛と戦うことを決意するが、この際ほかの四戦士は壁に閉じ込められている。うさぎがムーンに変身し、その後四戦士が壁を破り5人揃う。

この場面が、今回は4人が私服のままで閉じ込められている状態に変わった。そして、うさぎがムーンに変身、4人も壁の中で変身し、壁を破って5人が現れるのだ。つまり5人の同時変身。同時変身…っ!それです…っ!変身ヒーローものとして、より「エモい」演出に変更されており、見応えが更に上がったように思う。

2019年版は「見やすさ」「エモさ」が更にグレードアップした、ただの再演ではない進化版であると言えるだろう。

もし再々演することがあったら、「素面名乗り」と「5人それぞれがバラバラの場所で1対1のバトルを繰り広げる」も是非お待ちしております。

(追記)

「見やすさ」の部分の変化について、改めてMOON、STARをBlu-rayで観たところ、今回の2019版で行われた上海公演のためだったことに遅まきながら気が付きました(現在2020年3月)。

言葉が通じない分、なるべくシーンを見ただけでも伝わるように、あるいは逆にキッチリ説明してしまうことを選んだ。また昨年版に比べてアドリブシーンが無くなっていたのですが、それも実際の上海公演に際して字幕では対応できないから削られたのかなと(ちょっと残念だけど!)。

逆に「エモさ」の部分は多分これと関係ない!ただただそうした方がエモいから行われたのだ!最高!

(追記ここまで)

月野うさぎ/久保史緒里について

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さて、やっと五戦士それぞれの感想に移ろう。まずはもちろん、久保史緒里演じるセーラームーンこと月野うさぎから。

久保うさぎは、これすごく驚いたのだけど、とても素の久保史緒里だった。そっくりそのままとはまた違うが、いつもの久保ちゃんに限りなく近い人物像だったように思う。

そもそも「月野うさぎ」とは国民的キャラクターと言って過言ではない存在だ。故に、昨年の美月うさぎ、小百合うさぎ共に、すごく原典を意識していることが感じられる演技だった。

美月は、特にアニメで描かれたキャラクターにどれだけ近付いていけるかを追求した月野うさぎ、小百合は、うさぎは自分とはまるで似ていないとも発言しながら、自分の中にある”うさぎと共通する部分”を掬い取り形にしていくことに拘った月野うさぎだった。

それに対し、今回の久保うさぎ。元々の久保ちゃんは、普段は清楚で儚くおしとやかで時に熱い面を見せる人、というイメージ。対してうさぎは、明るくてバカっぽくて感情の変化が激しく周りの人を振り回しがちで、でも本当は心優しくて皆に愛され、セーラームーンとして覚悟を決めたときは勇敢に敵に立ち向かう、というキャラクター。

単に比べてみると、両者のイメージはあまり近くないようにも感じられる。故に久保ちゃんも、彼女の中で構築した「月野うさぎ」を、忠実に確実に演じる風になるのかな、とばかり思っていた。

が、しかし。実際にステージ上で見られたのはすごく素の久保史緒里だった。で、ありながら、何故だろうか、不思議なもので、すごく「月野うさぎ」だったのだ。

その訳をいざ考えてみると、少しずつだが見えてきた。おそらく彼女が取った方法は、小百合うさぎの方法論と似て非なるものではないか。

一見するとあまり似ていない2人。しかしその実、様々な部分でシンクロする。

うさぎは上記のようなキャラクター。そして久保ちゃんも上記のパブリックイメージがあるようで、喜怒哀楽の振り幅は大きい。

明るく笑うことは当然あるし、好きなものの話をする時はついデレデレになってしまうし、メンバーや関わる人たちをすぐ大好きになって激しく愛を伝え、自分のことでは落ち込みやすく時には涙も見せ、割と負けず嫌いでムキになっている姿もよく見る。

気の置けない相手の前ではおどけることもあり、天然っぽいボケを見せて周りに突っ込まれることもあり、そしてその歌声、演技、ダンスはいずれも素晴らしく、ステージ上で決める時はバッチリ決める生粋の芸事の人。同期の3期生達をはじめ乃木坂46のメンバーは、久保ちゃんのそんな内面をよく理解し、深く受け入れている。逆に、久保ちゃんからメンバーへの態度(とりわけ"愛")も同じように深いものだ。

こうしてみるとどうだろう、久保ちゃんは「キャラクターとして月野うさぎに似ている」ではなくとも、「月野うさぎが持つ魅力をそのまま持ち合わせている」人物であると言えるのではないか。

つまり彼女は、小百合うさぎのような「自分の内側にある月野うさぎと共通する部分を引っ張り出す」のではなく、要素を取捨選択する形で「ありのままの自分を月野うさぎとして形取る」ことをしたのではないか。だから、いざ舞台上に現れた彼女は、素の久保史緒里にも月野うさぎにも見えたのではないか。

喜怒哀楽を振り幅広く多面的に見せ、結果それが久保史緒里でも月野うさぎでもあった。これはまさしく『運命の貴女へ』の歌詞<満ちては欠ける月 沢山の顔見せる>の通り!

幾通りもの顔を目まぐるしく見せる彼女は、まさに月のような惹きつける魅力を持ち、それこそが久保史緒里と月野うさぎに通じるパーソナリティ。むしろ月野うさぎというフィルターを通して久保史緒里の魅力を再確認できたようにさえ感じた。

それは紛れもなく、主人公の素質を持つ者が纏うものだ。その”主人公力”もまた、うさぎと久保ちゃんが共通して持つもの。久保ちゃんが主人公として、座長として、センターとして、そして「月野うさぎ」としてステージに立つことは必然だった。確かにそう感じる月野うさぎ像だった。

久保ちゃんは公演前の囲み取材で「心を開くこと」「人見知り克服」が大変だったと語っていた(タキシード仮面役・石井美絵子さんも同インタビューで「史緒里の心を溶かすことが大変でした」と苦笑していた)。またその際、「その壁を超えられそうになったときから、(中略)すごく楽しくなった」とも発言している。

美絵子さんを始めとしたキャストの方々に自分自身をさらけ出すことが、彼女の中でうさぎ像を創り上げることと同時に行われ、それらが結果的に繋がった形になったのかもしれない。だからこそ久保ちゃんの演じた月野うさぎは久保史緒里その人であるように見えたのでは、と思えたりもする……というわけだ。

で、既にすごい長いけど久保うさぎについて言いたい事はまだある。

それは歌がめちゃくちゃ上手いということだ。わかりきっていたことだと思うだろうがそうではない。もう、改めて聴くと上手さに一々驚いてしまうほど上手い。劇中、一人舞台上で歌う場面があるが、そのステージングたるや圧巻の一言に尽きる。

乃木坂版セラミュの楽曲は、高い部分はひたすら高く、低い部分はひたすら低く、音階の動きも激しく、と歌うのがかなり難しい曲ばかり(しかも大きく動きながら歌うし、歌詞もセリフ調なため余計難しい)。

それを彼女は、見事に歌い上げてしまい、声の伸びも鮮やか、音程のブレもほぼ感じない、動きながらの安定感もバツグンだ(一部ではハモリもやっていた。音感も良し!)。

何より、感情や心情が乗ったあの歌声がほかには換えられない。嗚呼、久保ちゃんにはいつまでも歌を歌い続けてほしい。『舞台 セーラームーン』ではなく『ミュージカル セーラームーン』だった意味は、彼女の歌声が持っていたのだ。

水野亜美/向井葉月について

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続いて2人目の戦士、向井葉月演じるセーラーマーキュリーこと水野亜美。

昨年の理々杏亜美、みり愛亜美は、共に本人の性質が色濃く出た水野亜美だったように思う。片や「正義の戦士であるセーラーマーキュリー」として力強く、片や「うさぎのパートナーである水野亜美」として仲間想いで、演者自身のパーソナリティがその表現に寄与していた。苦労していない事こそ勿論ないだろうが、「いきなり壁にぶち当たる」感じでなかったのでは、と見ている。

対して葉月は、本人も認めている通り、向井葉月という人物と水野亜美という人物の距離がかなり遠い。今回の5人、もしかしたら昨年の10人を含めても、一番「自分自身」とキャラクターが全く別人なキャスティングなのではないかと思う。

それ故か、彼女はとても頑張っていた。これは「努力は見えたけど…」等という意味では決してない。葉月は「水野亜美になること」に誰よりも一生懸命だったように感じたのだ。

彼女は水野亜美との距離が遠いからこそ、自分と亜美ちゃんを擦り合わせるのではなく、自分自身を落とし込むでもなく、完成された「水野亜美」というキャラクターをその芝居のゴールに設定し、ひたすらに求めていったのではないか。

おしとやかで、ちょっと堅くて、頭が良くて、皆に優しく、深い慈愛を持つ、水野亜美。

そんな亜美ちゃんを葉月は追い掛け、そして確かに辿り着くことが出来た。いやむしろ、その結果3人の中では一番ド真ん中の「水野亜美」を演じ切っていたようにさえ見えた。そしてその完成度は、大手を振って賞賛できるものだったと断言できる。

そして、葉月が亜美ちゃんを演じるに当たり、要点として挙げたいポイントの一つはその声質だ。普段の彼女は豪快な動きを見せ、奇妙奇天烈摩訶不思議なキャラクターとも思わせるが、その精神性は繊細で、それが現れているかのように意外とか細い声を持つ。

そんな声で演じられる水野亜美は、そのイメージに寄り添う「みんなの想う亜美ちゃん」に限りなく忠実だったように思う。彼女の演技が観客の五感に訴えかける上で、その声が非常に大きな役割を果たしていたように感じた。

もちろん「声だけは合っていたよね」では当然ない。

葉月自身と水野亜美のキャラクターの遠さ、また葉月の(近々で機会が重なっていたとはいえ)まだ多くない舞台経験、演技自体も自信があると言い切れるまでは思えてないかもしれない。彼女が今回の出演を前に、不安要素として捉えていたかもしれない部分も、考えてみると想像できる。

しかし、それらの逆境が彼女のバネになった。いや、そのバネが無くとも同じことをしただろうが、思わずそんな想いをつい見い出してしまう。

「向井葉月が水野亜美役に選ばれた」その瞬間からのドラマを想像してしまうのだ。そのスタートラインからステージ上で実際に水野亜美として立つまでの事を、考えずにいられない。

そして、その答えがあの時目の当たりにした亜美ちゃんであるならば、その事こそが今回のセラミュにおいて一番胸を熱くさせるかもしれない。それほどのドラマを彼女は纏っている。

と、色々と勝手なことを書きつつ、そもそも葉月の演技は、良いものを持っていると個人的に思っている。舞台『ナナマルサンバツ2』で彼女が演じた九条このみは、主人公・越山識の想いを否定する敵役。飄々とした態度や憎たらしさ、内に秘めた悲しみ、そういった表現は申し分なかった。舞台『コジコジ』でも、座長を立派に務め上げている。

それを踏まえると、むしろ彼女は彼女の中でやり遂げられる自信を確立していたのでは、とも思えてくる。だからこそ、一見自分からは遠い「水野亜美」というキャラクターに挑むことが出来たのかもしれない。

そうであるなら、なおのこと胸が熱くなるのだ。水と知性の戦士に、こんなにも熱くさせられるなんて思いもよらなかった。

火野レイ/早川聖来について

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彼女に関しては、何をどう書けばいいやらちょっと困るのです。

何故なら、上手すぎたからだ。乃木坂46加入から1年未満の子とは思えないくらい、演技は上手い、歌も超上手い、舞台上の立ち振る舞いも堂々たるもので、細かい所作も魅力的、スタイルも良し(脚!)、火野レイとしての見た目の説得力も申し分なし、と、非の打ち所がなさすぎる。もはや完成度が高すぎてとっかかりが無いレベル。

4期生の『3人のプリンシパル』上演時からかねがねウワサには聞いていたが(観れなかった……)、あれほどとは思わなかった。

とはいえ、どう書けばいいか困りはしているが、書きたいことは山ほどあります。

早川ちゃんは上にも書いた通り、火野レイに非常に近いビジュアルをしている。長い艶やかな黒髪を持ち、切れ長な目つきはクールなイメージとぴったり。内に秘めた情熱もまたしかりだ。

しかし早川ちゃんの中身はと言うと、ふにゃふにゃだ。芸事への想いの強さこそ既に語り草だが、普段の彼女はどちらかと言うと柔らかい印象を受ける人物である。

対して火野レイ、乃木坂版ミュージカルにおいては、原作漫画のキャラクター描写を参考にした「冷静で気が強く、キリッとしたお嬢様」といった人物像だ(アニメでは異なる性格設定で、お嬢様らしさは共通するが「うさぎのケンカ友達」といったようなつっけんどんな人物である)。

そう考えると表立った人物像は割と距離がある。早川ちゃんがナチュラルにそのまま演じて、そのままレイちゃんになることは一見なさそうだ。

が、実際の彼女は、非の打ち所の無い火野レイだった。それはもう、演技力に由来する存在感が頭一つ抜けているようにすら思うほどだ。

だから、彼女の中で「火野レイを理解する」作業が相当に行われていただろうことは想像に難くない。

そういったキャラクターの研究、そしてそれを出力する演技。本人とキャラクターの間にある距離と、実際に彼女が演じた火野レイを鑑みると、そのどちらも非常に高い次元で行われていたことがわかる。もはや、そのキャラクターのギャップすらも彼女の芝居を愉しむためのスパイスだ。

MOON、STARの2人とも比べてみよう。他の誰よりも「セーラー戦士」への憧れが強く、その"変身"が叶った喜びに満ちていた一実レイ、「ツン」な感じや内面の熱さ、ビジュアルも含め役と役者の親和性が元からやたら高かった蘭世レイに対し、ひたすら原典を尊重した上で(そして強烈なほど高レベルに)「火野レイに成った」のが聖来レイと言える。

その上、彼女は歌もパーフェクト。伸びやかでハリのある声、キーの高いラインも聴き心地の良い声で、リズム感も狂いなし(他の子のズレを直すレベル)。上で褒めちぎった久保ちゃんに肩を並べていると言って過言ではない。

声で言うとたまらなかったのが、変身シーンでの歌の合間に挟む「そこ!」というセリフ。これが非常に良い!早川ちゃん自身の優し気な柔らかい声でなく、作りこんだ厳かな声色がいかんなく発揮されている瞬間だ。

しかし、それでもきっと彼女は反省するのだろう。『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』で流された、ライブでのミスを後悔するあまり号泣していた姿は印象的だった。早川聖来という人は、素人目では見逃しかねない反省点すらも、彼女自身が納得するまで研ぎ澄ませることをやめないのだ。

つまりは、彼女は未だ成長の余地があるのだ。その事実が恐ろしくさえある。高い実力を持ちながらも、経験の少なさゆえか弱気がちな彼女。その糧になるであろう大きな第一歩が今回の火野レイだ。


また余談ですが、彼女の歩く時やダンスの時の足さばきは注目ポイント。キュッと膝を畳み、反対の脚を伸ばして残す、スラッと見せるあの所作は極上でした。

木野まこと/伊藤純奈について

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続いて、今回の5人の中で一番先輩である伊藤純奈は演じるセーラージュピターこと木野まこと。

純奈は高校卒業以来、主役経験も含め怒涛の舞台経験を積んでいる。場数を踏むだけでなく、その実力は各方面から高い評価を得ている。

その上、木野まことというキャラクターと演者である純奈自身がそもそも似ていると評され、今回の情報公開当時から最も期待値が高かったであろうポジションにいたのが彼女だ。

結論から言うと、その期待値には当然到達し、どころかしっかり上回っていたのでこちらが語るコトなどございやせん、ってな感じではあるが、1つ意外だったことがあるのでそこについて書いていきたい。

それは純奈が演じた木野まことそのものだ。

上記の通り元から似ていると言われていた両者。男勝りで負けん気が強く、包容力があり、頼もしくて、時に女性らしさも見せ、と深いパーソナリティの部分まで近いように思う。

「寄せる作業」を取っ払って、純奈が自然体で演じればそれがそのまま、まこちゃんになるのでは、と考えていた。むしろその符号っぷり自体が見所で、それが見ものだと期待していたところもある。

と思っていたら、割と違った。

「割と違った」という表現じゃいくらなんでも失礼なので言い換えよう。

純奈は、記号的なイメージでの まこととはまた違う「木野まこと」を造り上げ、それを演じていたのだ。新しい解釈を持ち込んだとまで言ってしまっていいかもしれない。

純奈まことは、逞しさすら感じる、宝塚の男役のような佇まいの、”男勝り”ともまた違った存在感のキャラクターであった。それは声の出し方にも表れていて、普段の彼女のキャッチーでよく響く声ではなく、落ち着いた低い声色を作っていた。これもまた純奈が演じる木野まこと像のために産み出したものだ。

とりわけ、まこちゃんの内に秘めた女性らしさの表れ方が印象的だった。

本編で、宝石やドレスへの憧れを思わず口にし、照れくさそうにごまかす場面がある。ここが彼女の内面が表に現れる瞬間であり、MOON、STARの2人も含め、それぞれの個性が出た見せ方が感じられるポイントだ。

例えば、能條まことは頼りがいのある強い女性でありつつ「実は乙女な面もある」という演じ方だった。梅澤まことは「(誤解されることが多いだけで)本当は普通の女の子」だと感じる演技だった。

それに対して純奈まことは、そもそもの根は、変わらず凛々しい”あの”まことだ。逞しい佇まいを持ち合わせたキャラクター。その上で「宝石やドレスといった綺麗なものを綺麗だと思い憧れる感性を持っている人物」であるようだった。

それに対する憧れがありつつも「私みたいなのが、そんな…」という(自身をどういう人物か捉えた上での)葛藤や抵抗を内に秘めている、そんな女性に思えた。

そんな葛藤があるからこそ、目の前に現れた見目麗しい男性・ネフライトにその想いや美貌を肯定されたことで、つい舞い上がってしまった……という印象を受けた。

つまり、純奈の演じる木野まことは、乙女らしい表現や、秘めた少女性を見せるのではなく、「美しいものを好む感性を確かに持つ人物」というアプローチを行った。これが、今までの木野まこと(能條、梅澤演じるまことはもちろん、漫画やアニメの)とも違った気持ちの動きを見せたように感じたのだ。

これは想像するに、純奈の挑戦だ。そしてその背景には彼女のプライドがあるのではないかと勝手ながら思う。

再演ということで前2チームとは必ず比較され、そもそも超有名な原作があり、それも漫画、アニメ、ミュージカルと様々な先駆者がおり、と『美少女戦士セーラームーン』という作品に出演するにあたり立ち向かわねばならない相手があまりにも多い。

それらに対応するため、誰かと同じ木野まことではなく、新しいものを造り上げなければいけない、自分が演じる意味を生み出さなければならない。そんな考えを以て出来上がったのが、あの純奈まことなのではないか。

そんな純奈まことだが、すべて終えたエピローグでは今まで見せなかった朗らかな面も顔を出す(うさぎと衛を茶化しながらも手を繋がせる)。

そんな気を張らない姿が、純奈が演じたまことの中で最も純奈自身と重なるように思う。五戦士の絆が深まったことがこの2人を近付けさせることに繋がるなんて素敵じゃないか。

そして彼女は歌声も最高だ。低めの声がよく響き、それでいて高い音程もバッチリ。<木星パワーでヤキ入れてやるよ>という歌詞をあそこまで格好良く歌い上げられるのは純奈が一番かもしれない。あの巻き舌の勇ましさたるや……唯一無二だ。

前評判が特に高い一人だった純奈は、それによるプレッシャーが少なからずあったとも想像できる。しかし、そんなものは跳ね除け、期待に十二分に応えてくれた役者が、そして完成したキャラクターが純奈まことだ。

愛野美奈子/田村真佑について

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五戦士のリーダーであり、独りセーラーVとして先んじて活動していたセーラーヴィーナスこと愛野美奈子を演じたのは4期生・田村真佑。

彼女は、5人の中では最も自然に演者である田村自身と愛野美奈子というキャラクターを重ね合わせられたのではないかと感じた。

そもそもの人物像や、美奈子ちゃんの「リーダー」というポジション(その上で考えること)と、田村の4期生内で置かれたポジションが一致するからだ。もちろん演技を観た上で感じたことである。

4期生の中で最年長である田村(まゆたんって書きにくいので苗字敬称略で書きます)。まとめ役や発言を任されることが多く、自然と11人の中でもお姉さん役だ。しっかりものの賀喜ちゃんがいるものの、彼女がまず先頭に立つ役目を担うことが多いようだ。

対してヴィーナスも任されているその役割は重い。原作ではプリンセス・セレニティの影武者としての役割も持たされ、その後もいまいち頼りないムーンを含めた全員の先導役のポジションを担っている。

そんな「全うしなければならない役割」を持つ(与えられる)という共通点のある2人。丸っきり同じとまではいかないにしても、演じる上でキャラクターに共感する材料としては十分だ。

それをとっかかりに進めた、というより、自然な形で田村真佑と愛野美奈子が溶け合うに当たり、その一角になったという方が正確かもしれない。

それによってか、この2人が重なることが、田村真佑が「愛野美奈子」を演じることが、観る側としてもとても違和感なく受け止められたのだ。

根の明るさや実はお調子者なところ、仲間に向ける母性的な優しさ、そういった点でも2人は共鳴している。それこそ、ポジション的に「私がしっかりしなければいけない」という念を常に持つ者としても彼女たちは符合していると言えるだろう。

何より、ヴィーナス役として「自分がリーダーであること」を強く受け止めている田村の姿勢がこそ、今回のセーラーヴィーナスをより良いものにしている。

また、そんな使命感を強く持つ美奈子像は昨年の2人ともまた違ったアプローチだ。「みんなの憧れの的」のセーラーVちゃんとしてひたすら魅力的だった日奈美奈子、「独りで戦う孤独」を抱えていた(そして仲間が出来た歓びを誰よりも感じていた)花奈美奈子。

対して今年の真佑美奈子は、守護戦士としての(そしてリーダーとしての)役目を果たす志の高さが見える、より「うさぎにとって頼もしい仲間」「経験値からくる存在感を十分に宿した先輩」である愛野美奈子像だったように思う(故に、クライマックスでうさぎの言葉に救われていたことがわかるシーンでは、秘めた内心が垣間見える形になり一層グッとくる)。

またクラブ・クラウンにてヴィーナスが単身、衛と四天王と対峙するシーン。昨年のヴィーナス達はクンツァイトに対して「あなただけは味方してくれるよね…?」という期待を込めた声の掛け方だった。対して真佑ヴィーナスは「あなたも私と敵対するのね…!」という、愛した人とも戦う覚悟がセリフに現れていた。ここも昨年と今年との大きい違いだ。

そんな役割を負う者として、ヴィ―ナスの最大の見せ場はクイン・ベリルとの決着の場面である。

ムーン・キャッスルで手に入れた聖剣を振り下ろすあの瞬間に、今回のセーラーヴィーナスの活躍が集約する。

あの聖剣は守護戦士達がプリンセスを守るために用意されたもの。つまり、あの剣を振るうこと自体がプリンセスの従者としての使命だ。このシーンのカタルシスを積み重ねていくために、ここまでヴィーナスは守護戦士としての役割を全うし続けた

そんなヴィーナスを演じる上で、本編中では常にリーダーとしての説得力を持たなければならない。出番が1幕後半からなことも相まって、愛野美奈子/セーラーヴィーナスを伝える上で、舞台上に出た際のその姿や振る舞い一つ一つの重要さは他のメンバーの比ではない。

その点、田村は適役だった。美奈子ちゃんを演じるにあたり、彼女の佇まいは実に頼もしい。戦士としての余裕さえ感じるあの立ち姿も、キャラクターのまじめさを柔らかく中和するキュートな声質も、そう簡単にはマネできない素質だろう。

演技においても、プリンセスたるうさぎやクイン・ベリルを前にしても物怖じしないあのスタンスの表現は素晴らしい。悲しみを押し込め剣を振るう決意をした瞬間も、その想いが肌で感じられた。

早川ちゃんと同様グループに加入してまだ1年未満だと思うと、その佇まいは田村が今後さらなる大物になるであろう潜在能力を予見させるほどだと言っていいだろう。

(10/16 追記)

これは東京公演を終えた翌日(10/15)書かれたブログ。セラミュに出演することが決まった時点からの、田村の想いが綴られている。

歌については、確かにわかる。本人の複雑な心境もわかる。しかし今回のキャスティングは、それを承知の上で、美奈子ちゃん役に田村を選ばずにいれなかった故のものなはずだ。逆説的だが、あの舞台上での彼女の姿が何よりの裏付けだ。

彼女しか演じられない、彼女が演じた意味が確かにある美奈子ちゃんがそこにはいた。このことは本noteで書いた通りだ。かつ、本当はまだ語り足りないくらい、とここで強調しておきたい。

ブログを読み進めると、稽古を通し、また本番公演を重ねていき、キャストの方々との交流や対話を経て、田村が順々に今回のミュージカルに前向きに挑める心持になっていったことが感じられた。よかった。

(追記ここまで)

Team 2019 総論

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この5人がこの5人たる所以は、セーラームーン=久保史緒里その人の発する全方位的な愛にある。つい断定してしまったが、実際の上演をいざ観て、そうだとしか思えないのだ。

昨年の2チーム、Team MOONは「愛と正義の誇り高きセーラー戦士」として、憧れを一手に受けるヒーロー然とした強い存在感を放ち、舞台上では猛烈に輝いていた。Team STARはより「普通の一人の女の子」であり、戦いの苛烈さ、運命の過酷さが浮き彫りになり、その分すべて終わり日常に戻ったときの幸福感はフィクションの域を超えるものだった。

一方、今年のチームは「うさぎの元に集った5人」としての印象が色濃く、この5人である意味が物語に強く反映されていたように思う。うさぎを中心に、一人、また一人と戦士が集まり、そして5人揃った時のそのエネルギーたるや、今年の公演を完成に導く最も大きな要素と言っていい。

特に印象的だったのは、終盤のクイン・メタリアとの決戦におけるお互いの命を救う一連のシーン。

命を落としたうさぎを、四戦士が自らの命を投げ打って救う。そして蘇り、クイン・メタリアを倒したうさぎが、次は自らの力で(ムーン・ヒーリング・エスカレーション!)4人を救う。あの行動は『美少女戦士セーラームーン』という作品における、うさぎから皆への愛、そして皆からうさぎへの愛が最も現れた場面だ。

それはまた演じている彼女たち5人の関係性にもシンクロする。久保が中心になって放射状に愛を放ち、それを受け取った4人がまた愛を返す形で収束していく。そして久保がまた愛を、というループ。

そして四戦士がうさぎに心を救われた瞬間を語るシーン。『劇場版 美少女戦士セーラームーンR』から引用された、うさぎという大きな存在によって亜美、レイ、まこと、美奈子のそれぞれ感じていた孤独が払われたことが明かされるこのシーンもまた、久保が向井、早川、純奈、田村の一人ひとりに大きな愛を与えたことのリフレイン。

五戦士が揃い歌われる『運命の貴女へ』では、本来5人ともステージから正面を見据えて歌うはずが、あの場面ばかりは皆うさぎ=久保と顔を見合わせずにいられなかった。顔を見合わせ、互いに笑顔を零しながら、<運命の君 大切なあなた 守りたいの 守らせてよね>と4人の想いを乗せて歌う。

あれがただの演技や振付であるはずがないのだ。「うさぎと4人の関係を演技している」のではない、久保と4人の関係性がただ現れた瞬間だ。

だからこそ、セーラー戦士5人が集う瞬間が常に涙を誘うのだ。ヴィーナスが登場し遂に5人集ったあの時が、ムーン・キャッスルに向かうあの時が、ダークキングダムに堕ちた衛と戦う決断をしたあの時が、うさぎが自分のために命を捨てた4人を蘇らせるあの時があんなにも感動的なのは、久保史緒里、向井葉月、早川聖来、伊藤純奈、田村真佑の5人自身が何よりこの5人でいることを喜び合っているからだ。

そんな5人だからこそ、その中心にいるのが久保史緒里だからこそ、エピローグでのうさぎのセリフは一層強い意味を持つ。

正義の戦士に憧れて、私はセーラームーンになった。
思ったよりも大変だったけど……でも、仲間が出来た!
運命の5人、リインカーネーション。私は、信じる!

そんな「乃木坂46版 ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』2019」、自分の人生における大切な一作になりました。

(追記)五戦士以外の方々について

やっぱり書こうと思いまして。11月の上海公演まですべて終わったら、今度こそ乃木坂版セラミュが完了してしまうと思うと、少しでも何か記録をしておくべきだと(自分のためにね)思いまして。

五戦士以外のキャスト(キャラクター)の方々について、色んなことを区別なく、ぱらぱらっと書き残していきます。例えば、2019年版に限らず昨年含めての印象とか、キャラと言うより演者さんご本人についてとかです。

タキシード仮面/石井美絵子さんについて

まず何よりもイケメンすぎる。セーラームーン同様、「いざという時に駆けつけるイケメン戦士」として一つの国民的アイコンとなっているタキシード仮面として、説得力がありすぎる。あの(まさしくアニメキャラのような)ずば抜けたスタイルで凛と立つタキシード仮面様が、格好良くないわけがない。

それでいて、演じている美絵子さんご本人がすごく綺麗かつお茶目でチャーミングな女性だ(涙もろいのも可愛い)。そんな彼女自身の魅力も同時に発されているからこそ、衛の”ヒロイン”としての役割にも説得力がある。助けなければいけない、大切な存在だと自然に思えるのだ。

上にも書いた通り、美絵子さんは「(久保ちゃんの)心を溶かすのが大変だった」と語っており、ある意味久保ちゃんによる”うさぎ像”形成の一端を担っていたとも言える。

そんな美絵子さんの存在はその意味でも非常に大きい。昨年と比べ、よりうさぎと衛の関係性を深く描かれたことも、彼(と敢えて書く)が久保ちゃんからの愛を引き出した故だ。2人の歌の絡みも極上であり、演技の部分も含め、美絵子さんが高いレベルで引っ張っていたことが全体により良い作用を起こしていたと思う。

また、過去のセラミュ出演経験のある美絵子さん(セーラープルート/冥王せつな役)。彼女がタキシード仮面として持たれていたセラミュへの想いは、彼女自身が過去にセーラー戦士であったからこそより強くあるのかもしれない。先代の戦士パターン……っ!熱い……っ!

ルナ/松本美里さんについて

うさぎ達を戦士として目覚めさせる存在であるルナ。セーラー戦士でこそないが、6人目(匹?)の仲間として、その存在は物語において欠かせない。

またそれは、役に入る以前でも同じなのではなかろうか。松本さんが、5人にとって演技や歌の世界の先輩として、若い世代を、経験の少ないメンバーも多い5人を支える存在として、ルナと同じように導き手の役割を担ってくれていたのだと想像したらそれだけで泣ける。あの優しい笑顔で、5人を戦士としての道へ手を引いてあげたのだ。

そして、個人的にこのカンパニー1かも、と思っている松本さんの歌唱力。ルナを演じる時はアニメ版の声優・潘恵子さんを意識しているであろう声色を作っているが、スペシャルライブでの『ムーンライト伝説』にてその真の歌唱力を堪能できる。毎回「待ってました!」という気持ちで聴いておりました。また生で聴けて嬉しかった。

大阪なる/山内優花さんについて

明るい、優しい、可愛い、うさぎの親友のなるちゃんそのものであった山内さんのなるちゃん。山内さんのあの透き通る声は、乃木坂版セラミュにおけるなるちゃん像に大きく働いている。

乃木坂版セラミュでは、ぐりおと共にあくまで「うさぎの友達」としての役割であった(本人のドラマは描かれなかった)分、全体の清涼剤として、うさぎ達が助けたい人、そして帰る場所として、重要な存在だった。うさぎの”日常”として、山内さんのなるちゃんは必要不可欠だったのだ。

そんな「大阪なる」の姿を見ると、なるちゃんがうさぎを受け止めているように、山内さんも久保ちゃんのことを受け止めていたんだろうな……とも裏側での交流を想像したり。また、開演前にご自身のブログで行っていたキャスト一人ひとりの紹介も、ご本人のセラミュへの愛、カンパニーへの愛、観にくる客への愛が伝わる、作品にとって大切なものだった。

海野ぐりお/田上真里奈さんについて

乃木坂版セラミュにおいて、漫画・アニメ原作の作品としての、物語全体の”キャラクターらしさ”を支える存在であるぐりおは、ともすれば可愛さを廃したキャラクターであるのに(冴えない男子だし)、演じる田上さんはそれを100%余さず魅せてくれた。コミカルで、頼りなくて、でもどこかほっとけない、そんな最高のぐりおだ。

今回の2019年版では、前回より一層いい意味での”無駄な動き”が増えている。ぐりおが喋っていない時でも、ついつい彼に目がいってしまい、そしてそれだけで楽しくなる。

和田まあや出演の「MASHIKAKU CONTE LIVE『ユニコーン』」にも田上さんは出演されていて、そこでもあの楽しい演技で存分に活躍されていた。きっとコント的な反射神経というかセンスというかそういうスキルが非常に高い方なんだと思う。そういった部分が今回特にコミカルなキャラクターであるぐりおに繋がっていたのかも、とも思ったりするのだ。

アンサンブルの方々について

本ミュージカルを彩る役割のアンサンブルの方々は、今回の細かい変更に伴ってか、昨年よりも出番が多く、また動き等々も増え、よりその重要度は増していた。特に、実質ラスボス役でもあるアンサンブルメンバーは、物語のクライマックスを完成させるためにも大きな役割を果たす。あの、おどろおどろしいクイン・メタリアの表現は彼女らあってのものだ。

また前回から通じる個人的に好きな箇所として、うさぎとの絡みがある。ムーン初変身に向かう場面で、テレビやはさみ、鏡などに扮して舞台上を明るく盛り上げるが、うさぎがブローチをルナから受け取ったとき、鏡に向かって装着する。そこでは、うさぎと共にはしゃぎ、鏡役の方がうさぎに鏡を向けるのだ。まるで、うさぎを取り巻く妖精のようで、非常に可愛らしく、より”そこにいる”感がある良いアクションだ。

そして重要なのが、2幕のムーン・キャッスルにおける、かつてそこで暮らしていたプリンセス・セレニティと4人の従者たちの場面。アンサンブルの方が動きを演じ、それに五戦士が声を当てているのだが、今回は特にそのシンクロ具合がすごかった。相当に稽古を重ねただろうことが見て取れる。彼女たちもまた、この作品の五戦士として重要な存在であることがよくわかった。

クイーン・セレニティ/白石麻衣さんについて

昨年、今年と映像出演したまいやん。その役割は2幕以降の展開にかかわる要だ。五戦士に道を示す女王でありながら、5人の幸せを願う母であるクイーン・セレニティ、それも乃木坂46版における、となると、ふさわしいのは彼女しかいないだろう。

あの柔らかな声、アニメと同じ姿(髪型や衣装)でも決して違和感を感じさせない強いビジュアル、女王としての威厳、母としての愛情、どれをとっても素晴らしい采配だ。

一つだけ悔しいのが、今回と前回とで映像(動きやセリフは同じ)が新しくなっているのかどうか、わからなかったこと。パンフレットには新しくコメントを寄せており、映像も新たにしてもおかしくはなさそう……いや、そのままもあり得る……どうにも見抜けず。カーテンコールでステージ両側のスクリーンに映されていたのはちょっと笑った。

クイン・ベリル/玉置成実さんについて

ベリルは今回の2019年版で昨年と比べ歌い方に結構変化があって。要所要所、強く歌い上げるというよりグッと感情を込める感じに変化しており、そのおかげでクイン・ベリルの印象が「悪の女王」よりも「情念の女」としてのものが強くなり、ベリル視点でのこの戦いの根幹には、実はエンディミオンの存在が据えられていることが一層見えたように思う。

また、今回気付いたポイントとして、玉置さんの代表曲『Believe』の歌詞が、奇しくもベリルが時空を超えてエンディミオンに寄せていた想いに通じていることを挙げたい。彼女が、恋する乙女として募らせていた想いだ。

いつか誓う僕ら この手で築く未来は
必ずこの惑星(ばしょ)で 君がどこにいたって
だけどいまは二人せつなく そらした瞳
出会えることを信じて

玉置さんが演じたことで生まれたこのリンクによって、クイン・ベリルが抱いた想いだけは、純粋な、間違っていないものだと肯定してあげた事になっているのかな、とも思ったりするのだ。そうだったら素敵じゃないですか。

ダーク・キングダム四天王(クンツァイト、ネフライト、ゾイサイト、ジェダイト)/安藤千尋さん・Shinさん・小嶋紗理さん・武田莉奈さんについて

乃木坂版セラミュの一番のオリジナリティとして、実は四天王に関する描写が挙げられる。例えば、2幕での舞踏会の様子や、記憶を取り戻しベリルに立ち向かうシーンは原作やアニメには無い(石がタキシード仮面の命を守り、4人の幻影が彼とうさぎとの幸せを祈る描写は存在する)。

そのため、原作以上にエンディミオンに仕える戦士としての"本当の"4人の姿が描かれていることになり、彼らへの救いがあるのだ。

ただの悪党で終わらず、本当は衛を支える頼もしい仲間、そして四戦士が愛した人という印象が強く残り、一観客のこちらも彼らをより愛してしまう。

それはもちろん、キャスト4方の人柄がキャラクターを通して伝わるからこそ。四天王の長男でありカンパニーを支えるお姉さんでもある千尋さん、文句の付けようが無いイケメンでありつつ可愛らしさも持ち合わせるShinさん、美少年・ゾイサイトとしてサービス精神が素晴らしすぎる紗理さん、よく笑いよく泣く天真爛漫な莉奈さん。だのに芝居も歌も超上手い4人、可愛いうえに格好良い四天王……最高でした。

正直、セラミュにおいて泣ける場面を10選べ、と言われたら、半数は四天王がらみになる。舞踏会で楽しそうに仲良さそうにしている姿とか。最期に衛を激励する場面とか。四戦士とのイチャイチャとか。いつか、この4人による四天王のスピンオフを作ってください……4人が人間体で街に繰り出すパターンのやつか、アニメにあったネフなるベースのやつを……。


以上!



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