真面目であることの生きづらさ


所属する社会や人生のステージが変われば、それに合わせて新しい価値観にアップデートする必要がありそうだ。
前回は「面白くなければならない」の呪いから逃れた経験について書いた。

幸運にも、所属する社会が変わった(大学入学を機に関西地方から離れた)ことで、「面白くあれ」という圧力が減ったから逃れられたと考えている。面白いに価値がない社会に属したことで気づきを得る事ができたのは、自分にとって大きいことだった。
私は社会人となりまた別の生きづらさを抱えている。
それは「真面目でなければならない」という呪いによる生きづらさだ。

幼少期から大学にかけては、「真面目」には価値があったと思う。
人は真面目で生まれてくるわけではない。赤ん坊の頃は自分勝手に振る舞い、夜泣きや食事や排泄の処理で両親を困らせるはずだ。
いつから真面目に価値が生まれたのか? 個人的なターニングポイントは妹が生まれた時だ。妹の世話が始まった頃から、両親は私が「良い子」であることを求めた。自分で自分を制御すること、人の話を聞きそれに従うことを要求した。それが出来なければ、怒りや無関心の態度で示した。親から嫌われることはほとんど死を意味する幼児にとって、親の機嫌は絶対的だ。
小学校に入学し、真面目にはさらに価値が生まれた。先生は大勢の生徒を相手にしなければならないので、言うことを聞かない子供を制御するために全員の前で叱る。叱られるのは面倒だから、叱られないためには、先生の言うことを受け入れて座って授業を受けるしかない。勉強も真面目にこなした。父親は真面目なサラリーマンで、小学生あたりから親の価値観をそのまま内面化していった節がある。テストで悪い点を取れば「次は間違えるな」とノートに同じ問題を何度も復習させられた。常に100点を求められている(実際に親がそう思っていたかどうかは関係ないが)ようなプレッシャーを感じていた。
小学校から大学に至るまで、真面目に勉強するだけで「学校」から課せられる課題は大方乗り超えることができた。高校受験や大学受験で躓けば真面目という仮面にヒビが入ったのかも知れない。ただ、運良くすべての入試試験に合格し、運良くストレートに卒業し、運良く希望した会社に就職することができた。真面目に勉強すればすべての課題を超えられたので、真面目という価値に過度に期待していた。

そういった真面目の価値が、就職して一気に崩れ落ちた。
社会課題は果てしなく難しく、競争が一層厳しく、真面目であるだけでは評価されないことだ。少なくとも私の会社、私の職域ではそうだ。
真面目とは、与えられた課題に真っ直ぐ取り組み、わかるまで考え続けることを良しとする価値観である。高校の数学の授業でそう教えられた。解けない問題は、解けるまで答えを見てはいけないと。なぜかというと、受験は常に1人で戦わなければならないからだ。しかし、ビジネスは違う。自分に知見やリソースがない場合は他人に協力を要請することが求められる。
さらに真面目は論理的な考え方と相性が悪い。真面目は、与えられた前提条件や方法を疑わない。しかし、会社では不十分な条件が与えられたり、解けない方法が前提とされることがある。なぜかというと、解く価値のある課題は誰も解き方がわからないからだ。その時に、与えられた条件や方法を批判的に捉え直す論理的な思考が必要である。
また、真面目はマルチタスクとも相性が悪い。真面目は1つの物事に集中すれば他を疎かにしがちで不器用である。物事をルーチーン化することは得意であるが、常に状況が変わり優先度も入れ替わり、並列で物事を進めなければならない会社には不向きである。

では、「面白くなるのを諦める」と楽になったのと同じように、「真面目になるのを諦める」と、生きやすくなるのだろうか。
「真面目」を諦める、つまり真面目を取り除いた自然な状態に戻るとすると「不真面目」になるのではないだろうか。
「不真面目」になれば、何事にも意欲を見出せず、自分から積極的に取り組まず、人の後ろについていくようにはならないか。
そうすれば、より社会に適応できなくなり、より生きづらくなるのではないだろう。

それが、社会人4年目の、今の自分の現状である。
「真面目」であることで適応してきたこれまでの生き方が通用しなくなり、承認が得づらくなり、モチベーションが低下する。すると、「真面目」の価値観を否定し「不真面目」になり、仕事への意欲が低下する。すると、もっと社会への適応が難しくなる。
「不真面目」という価値観もまた、今の自分の状況では生きづらい価値感となってしまう。
諦めるだけではなく、なにかを変えたりスキルを身につけたりしないといけない。

では、私が生きやすくなるために取るべき行動はなんだろう?
答えは出ていないが、思いつく限りのことを書いておきたい。

1つは、今所属している社会に適用しやすい価値観や規範を身につける方法がある。論理的な思考力と行動力、コミュニケーション力を身につけ、社会のニーズを捉えて戦略的に課題を推し進める人物像が浮かぶ。資本主義社会の中で生産性を最大限に高める生き方だ。リスクを最小化すると同時に、より社会に貢献し、最大多数の幸福を求める生き方だ。

もう1つは、真面目であることが肯定されるような集団と関係性を強く持つ方法だ。所属していることが重要とされるような関係性(家族とか友人など)では、真面目であることはかなり肯定されると思う。また、趣味に没頭することや推しをつくって応援することも、そういった関係に含まれるだろう。ただ、自分が真面目に尽くすばかりの関係はいきすぎると搾取されることにもなるので注意が必要だと思う。

落ちは特にない。
何が自分を生きづらくさせているか、どうすればそこから脱することができるのかを考えることを発端に、自分を少しづつアップデートしていくことで、なんとか社会と折り合いをつけていきたい。

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