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恋と友情と家族と神戸

大阪に生まれ育った私にとって、神戸は一番距離の近い非日常だ。
友達や恋人と休日をのんびり過ごしたり、買い物に行ったり。
遠足先になったりもしたし、小さい頃は家族と遊園地や牧場にも行ったな。
ひとりで遠出したい気分のときは、たくさんの不思議を探しに足を運んだりする場所。
いずれにせよ、近所に出かけるのとは少し違う気分で訪れる場所だ。

神戸、と脳内連想ゲームをすると、人生のあれやこれが苦くも甘くもリフレインする。
少しだけ、私の思い出を短く記してみることにする。

タダノヒトミさんのこちらの企画に参加させていただきます!
ありがとうございますー!


10年目の六甲山

10回目の記念日が近かった、あれは27歳になる年だったかな。

「ごめん。まだ、結婚しようとはやっぱり言えない。ごめんね。」

神戸や大阪方面の夜景が広がるロマンチックな六甲山の山上で、彼が重い口を開けた。
あかりのまばゆさに消えいりそうなくらい小さな声だったが、私の顔を真っ直ぐと見つめて呟いた。
一日中、神戸の街を歩き回り、今までやこれからについてのことをたくさん話したデートのクライマックスのことだ。

「うん、そうだね。」

彼の顔を真っ直ぐに見つめ返すことができず、南の、さらに南のあかりをぼんやりと見ながら答えた。
私の目線は、さながら六甲おろし。
ひとりよがりな悲しみなんて、遠く遠くに、ビュンビュン飛ばされたらいい。
だけど、油断すると、あかりたちは輪郭を成さないくらいにぼやけてしまいそうだから、目を何度か見開いて雫を引っ込めた。

さっき自販機で買ったばかりの、あったか〜い午後の紅茶のペットボトルは、もう冷たくなっている。
11月とはいえ、山上の気温は3度。
私のつま先も指先も鼻先も、もう感覚がない。
彼の鼻の下は透明でテカテカに光っている。
鼻水だ。

まだ27歳になったばかり。
経済的にも精神的にも未熟だから。
もっとお互いをよく知りたいから。
まだ、周りにあまり結婚をしている人がいないから。
彼の並べる理由は、二人で話せば話すほど納得できるものばかりで、「うん、そうだね。」と答えざるをえなかった。

今日の神戸での楽しいひとときは、何年か先にどのような形の思い出になるだろうか。

現地感強めのカレー店で店主がいきなりいなくなり焦ったこと(向かいのモスクにお祈りに行かれていた)、摩耶山のケーブルカーに乗ろうとたどり着いたら強風のため運休していて大笑いしたこと(六甲山のケーブルカー乗り場までひいこら歩いた)。

思い出したくもないような日になるだろうか、笑って話せる日が来るだろうか。
今の悲しい気持ちよりも、今日のことがのちのちに悲しい思い出になるかもしれないことの方がよっぽど悲しかった。

夜の下りのケーブルカーは、地面と街と闇がドドドと一気に帰ってくる。
地上に着くころには、すっかりいつものちょっと強気の私に戻っていて、「楽しみながら待つから、覚悟してろよ。」なんて、おどけて指さして言ってたんだ。
山で冷えすぎた二つの体を並べて、寒い寒い!と、小走りで入ったやよい軒。
あの日のすき焼き定食は、とってもあたたかくてしょっぱかった。



12年目の秋に、つまり去年の秋なのだけど、夫とともにまたまた神戸の山上に訪れて、上記のことを振り返って話して、大笑いした。
切ない10周年だったよね、今が最高だよね。
大笑いしたら、鼻水や涙が止まらなくなったけど、あれは寒さのせいじゃない。


父の涙

「ごめん、ちょっと車停める。」

夏の家族旅行、淡路島から大阪への帰り道。
車を運転していた父が、声を少し震わせながら突然車を止めた。
疲れた身体をすっかり車のシートに預けきっていた私を含む他の家族は、いきなりのことに大変驚いた。
父が泣いている。
当時、私は小学5年生。
父がこんなに泣いているのを見るのは、初めてだった。

「神戸で働いてたときのこと思い出して。ついね。すっかり綺麗になってて、嬉しくて。ごめんごめん。」
目頭をハンカチで拭って、またすぐに車を走らせ始めた父。
何度か、大きな音を立てて鼻をすする。
母も次第にスンスン泣きだした。
「そうだね、そうだね。」と、助手席から、運転席の後ろに手を伸ばしながら。
なんでなんで?
幼い私の頭の中には、はてな?がいっぱいだった。

父は、阪神・淡路大震災が起こった当時、長田区の金融機関に勤めていた。
地震が起こった直後、4歳と1歳の私と兄弟を妻である母に任せ、大阪の自宅から車で一目散に職場へと飛び出していったそうだ。
その後も、しばらくろくに家に帰って来られない日々が続くほど、大変だったらしい。
そういえば、実家に残っているアルバムのその時期は、あまり父が写真に登場しない。
父も大変だっただろうし、震源地から少し離れていた大阪とはいえ、幼い子を二人託された母もまた不安だったろう。
携帯電話もインターネットもまだ普及していない時代だ。
今なら、あの日の涙の意味が少し汲み取れる。
私もまた、想像すると目頭が熱くなる。

還暦を越し、定年を迎えた父は、これまで全く私たち家族に語ることのなかった仕事の話を、たまにポツポツと話すようになった。
神戸で働いたこと、心が折れそうな上司と巡り合ったこと、初めて年下の上司ができた時の気持ちや、試験に受かって嬉しかったときのこと。
新しいポジションに就いたときは、難しさに打ちひしがれたけれど、新しいことが出来るようになるたびにワクワクしたこと。
どの話も、社会人歴が父に比べたらまだまだ浅い私や兄弟にとって、興味深くもあるし、耳が痛い話でもある。

しかし、様々なお話を伝えてくれる中で、やっぱり神戸の話をしているときの父が一番しあわせそうで、こちらも嬉しくなる。
神戸の人たちとともに、神戸のために、そして自分の意志のもとに、毎日一生懸命働いた日々の話。
私も、何かのために、自分のために、これからも頑張ろうって思うんだ。今は。
父の神戸話の浸透力がすごいのは、今日も神戸の街がキラキラ輝いている事実ゆえかもしれない。
神戸の今は、誰かの願いでもあり、誰かの成果でもあり、誰かを作る未来でもあるんだよ。


女3人神戸旅

24歳。
かつて同じ高校に通っていた大親友の私たちは、仲良し3人組。
働きだしてからバラバラの生活になり、3人で会うことはめっきり少なくなっていた。

休みを合わせて、少し贅沢なことをしよう!

と、小さな宴の場に選んだのは、神戸の街だった。

仕事終わりに神戸に集まり、おしゃれなごはんを食べて、ちょっと豪華なホテルで泊まって、美味しい朝食バイキングを食べよう!!!

こんなざっくりしすぎた旅のシナリオを立てて、毎日毎日LINEで、あの店はどうだ、このホテルはどうだ、と、大騒ぎをした。

「楽しみ!」「早く会いたい!」「話したいことありすぎてやばい!」「楽しみすぎて眠れない!」「だいすき!」「会ったら、チューしていいか!」
前日には、それぞれの彼氏にもそうそう言わないくらいの甘い言葉を投げ合ったものだ。

少しおめかしして、阪急の駅で待ち合わせ。
予約をしていた三宮の駅前の、おしゃれなワインバーでグラスをシャランと鳴らす。
あちこちのテーブルで、たびたび小さな歓声が上がる。
こちらのお店の名物は、視覚にも味覚にも楽しいチーズやハムの盛り合わせ。
私たちのテーブルにも、色とりどりの美味しそう!が目一杯に載ったお皿が運ばれてくる。
例に漏れず、キャイキャイと小さく騒ぐ。

「15歳で出会った時は、こんな関係になれるとはねー。」
「ワインですよ。三ツ矢サイダーばっかり飲んでたのに。」
「高1の宿泊行事で仲良くなってなかったら、今はなかったかもねー。」
「あの施設やばかったよな。古かったし。夜、トイレ行くの怖かったもん。」
「それに比べて今日は……」
「「「ホテルオークラ!」」」

赤、白、赤と、手旗信号のようにワインを楽しみ、盛り盛りのチーズと肉をたいらげた私達は、心地よい酔いとともに店を出る。
山からの風か、海からの風か、ぴゅうっと吹いたそれが旅気分を盛り上げてくれる。

甘いものやお酒、なぜかねるねるねるねなどを買い込んで、タクシーで神戸の街を駆ける。
タクシーなんてものも滅多に乗らないから、気分が上がる。
(メーターも上がる。)
赤や白の煉瓦造りの建物も、昼と夜では印象が違う。

ホテルオークラは、神戸のランドマークの一つであるポートタワーの目の前にそびえる、ゴージャスなホテル。
平日だからまだお手軽だったとはいえ、24歳だった私たちにはちょっぴりどきどきな場所。
大阪への終電はまだあるのに、あえて神戸で泊まるという、ちょっとした背徳感も込みのどきどきだったのかも。

深夜番組を見て笑い、お菓子を広げて、順番に部屋に備え付けてあるお風呂場でシャワーを浴びる。
最後の一人がお風呂から上がってくる前に、最初にお風呂に入った子が眠ってしまったので、やむなく明日(の朝食バイキング)に備えて眠る。
ねるねるねるねもせずに、もう寝るね、ってか。えへへ。

気のおけない親友たちとは、別れ際にならないと本音の女子トークはしたくなかった。
私たちの青い本音は、いやにその場をしめっぽくすることを、だんだん空気で分かり始めていたからかもしれない。

ふかふかのベッドでゆっくり眠って、翌朝の朝食バイキングには寝坊ぎみに参加。

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毎日、朝ごはんこれやったらいいのに!って、冗談みたいなことを呟きながらバクバクと食べる。
フレンチトーストが完璧すぎて忘れられない。

チェックアウトぎりぎりの12時までホテルの部屋をダラダラしたあと、南京町で食べ歩きをした。
北京ダックがはさんである包子や謎の肉の塊で口の周りを茶色く汚しながら、3人の時間のおしまいの合図が近づいてくるのをかき消すように、誰かがやっと本音を話し始める。

「仕事さ、異動してから大変でさ。」
「彼氏と別れようと思ってる。」
「この間、親と喧嘩しちゃってさ。」
このようにやっと本気の悩みを話せるのは、楽しい旅の景色の中でたくさん笑顔をかわして癒されて、やっと言葉に形成出来たらからかもしれない。
私たちの本音の帰結は、例外なくいつも「がんばる」で終わる。
その後、がんばれたこともあれば、もちろんがんばれなかったこともあるのだけど、そんなことも全部全部、あの時旅した街の思い出がまとめて癒してくれるのです。
私は、「異動して大変だった」けれど、この日の神戸での大笑いたちが何度も救ってくれたんだ。



「神戸の人は」、と言っても色んな人がいるのは百も承知だけど、私の印象では、品があるけど気さくな方が多いイメージ。
神戸には、中華街や異人館、モスク、教会、海、港など、どことなく「異国」の空気が流れる中、ソース、高架下、山陽の入り口、関西、こってこて、おっちゃん、モロゾフのカップ、北に迫る山々などなど、根幹として日本の「兵庫県」がある。
その両方のたまらないところを、気さくな人々との会話や表情を通して味わえる、神戸が好きだ。

この街もあの街も、私は私の旅の中で、私の言葉で「好きだ」と語っていきたい。

いただいたサポートで船に乗ります。