掌編小説『セピア』
言いたいことは沢山あった。そんなのはお互い分かりきったこと。だから、そういうのを色々飲み込んだ結果の笑顔を浮かべて見送る。それが別れ際のマナーってやつなんじゃないの?
彼は私の頬を両手で挟んで、私の餞別を無下にした。それなりの覚悟で頬に溜めておいたアレコレが飛び出していきそうだ!
「ちょっと!」
寸前で踏み留まんとする私を、彼の濡羽の瞳が逃さない。
「このままでいいの?」
ああ、いつもそうだった。あんたは私を逃さないくせに自分は逃げようとする。今だってそうだ。自分はしっかり精算するくせに、私がきっちり傷つくように仕向けてる。そういう男だから、私は──
「……っ、はいはい、あんたのことが好きでしたよ。終わり!」
「ん、俺も」
えっ。思わず漏れた驚きの声は彼の吐息と混ざりあって溶けてしまった。
「またね、レイちゃん」
最低限の挨拶だけ残して、彼は改札に消えていく。
だけど私は彼のことを追いかけるつもりはないのだ。
だって、既に過去形なのだから。
思い出と呼べるかすらわからない二人の美しく醜い記憶も、ついに最後まで言えなかった3文字も全て、一枚のセピアに収まるのだ。
セピアに染まった彼の後ろ姿を目に焼き残し、私は駅を後にした。(了)
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