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東京大学出版会「講座 美学」を読む 第1巻 古代美学史 ヘレニズム期・ローマ帝政期

東京大学出版会「講座 美学」を読む第5回は古代美学史のヘレニズム期、ローマ帝政期です。

古代ギリシャ時代とは異なり、この時代になると美や芸術に関する文献が多く見られるようになるそうです。そこで、美の概念と芸術の概念がそれぞれどのように変化したのかを見ていきましょう。

美について

この時代、美についてはプラトンやアリストテレスの頃と同じように、美は均斉である、という考え方が保持されていました。とりわけこの時代大きな影響力があったストア派の哲学者たちは、プラトンと同じように「美」と「善」を同一のものと考えていたようです。

その一方、この頃になると価値としての美の意義が著しく顕揚されるようになりました。たとえば、ストア派では「美」は自然の目的因であると考えられていましたし、クリュシッポスは「自然は多くのものを美のために生み出した」と述べています。

さらに、この時代になると「美」のカテゴリーに関する考察がなされるようになりました。「美」といってもいろんな「美」があるよね、ということです。たとえば、キケロは美には優雅と威厳、優美と壮美の2種類がある、と述べています。

さらに、「美」に関連する概念として「崇高」という概念が生まれたことも、重要なポイントだといえるようです。

芸術について

では、芸術についてはどうでしょうか。芸術については、この時代になると模倣だけでなく想像も重視されるようになった、というのがこれまでとの大きな違いです。

また、異なる芸術ジャンル間での比較もなされるようになりました。プルタルコスの次の言葉はよく知られています。

「詩は声ある絵画であり、絵画は黙せる詩である」

さらに、とりわけ弁論術においては、様式論が盛んに考察されるようになりました。たとえば文体の研究などです。

プロティノスの美学

さて、この時代、美学史的に重要な哲学者がいます。それは、プロティノスです。プロティノスは、ネオプラトニズムの創始者としても知られています。彼はプラトンの思想に大きな影響を受けながら、多くの美と芸術に関する考察を行いました。

では、そんなプロティノスにとって美とはどのようなものだったのでしょうか。

プロティノスにとっての美は、プラトンの思想をほぼ踏襲したものでした。美は感覚的な対象でありながら知的な対象でもあり、とりわけ知的な対象としての美が感覚的な対象としての美よりも優れている、そう考えていたようです。

ただ、プロティノスは均斉の原理については斥けました。プロティノスは、均斉は知的な美においては相応しくないのではないか、も考えたからです。また、美が均斉なのではなく、均斉の中において輝くものが美なのだ、と彼は考えました。

では、芸術についてはどうでしょうか。

プロティノスは、芸術については特に造形芸術について多くを語ったことがその特徴といえます。そして、そのことによって芸術というものの意味を高く評価しました。たとえば「彫刻が美しいのは石が美しいからではなく、その形相が美しいからだ」と彼は述べています。

プロティノスもまた、芸術は基本的に模倣であると考えていましたが、その一方、芸術が模倣であるが故に否定する意見には同意しませんでした。ここは、プラトンとは大きく違うところですね。

彼の意見はこうです。

・芸術の模倣の対象である自然もまた、模倣をする
・芸術は単なる模倣ではなく、その対象の原理まで遡る行為である
・芸術は、ときに模倣する対象に欠けているところを補う
・想像によって生み出された優れた芸術作品も存在する

さて、こうした考察などから、森谷先生はプロティノスを哲学的美学の完成者である、と述べています。プラトンが始め、アリストテレスが確立した古代美学は、このプロティノスによって完成したのですね。

ということで、次回からは第3章です。中世美学史に続く。

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