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遠き東の彼方、遥か時空の彼方に、探し求める答えがある 〜ネルヴァル著「暁の女王と精霊の王の物語」のこと

ネルヴァルとロマン主義

19世紀のフランスの作家ジェラール・ド・ネルヴァル。彼はフランスではゲーテの「ファウスト」の翻訳者として、また「狂気の浪漫主義詩人」として知られています。  

そんな彼がドイツや中東とフランスを行き来しながら著したのが、彼の代表作とも言える「東方紀行」でした。本書はその中の一部から抜粋して刊行されたものの翻訳です。  

ネルヴァルの作風は神秘主義的傾向が強く、とりわけ錬金術が彼の文学的源泉となったのでした。そして、そんな彼に影響を受けた後世の作家は数多く、ボードレールやランボーのような象徴派詩人のほか、シュルレアリスト、またマルセル・プルーストなども彼の作品を愛読していたようです。  

ロマン主義、というと一言で「愛や芸術を賛美する人」と片づけられがちですが、実際にはそこにはとても深い思想があるのですね。

なぜ「愛や芸術」が至高なのか、その根本には形式主義的な知性や実用主義的な知性がもたらす物質中心社会への反発があり、そのことが地理的には東方へ、そして時間的には過去を賛美することとつながるのです。だからこそ、ローマやギリシャはまさに古代という「真の知性」の扉とも言えるのですね。ならばそのもっと奥、中東やアジアには理想の世界があるはずだ、という憧れが生まれる。  

そう考えるとロマン主義というものは象徴派のみならずモリスやラファエル前派、彼らから強い影響を受けたイエイツもまたある種のロマン主義者だと言えるでしょうし、アール・ヌーヴォーや世紀末芸術もまたロマン主義の申し子と言えるのでしょう。そして本書を世界で最初に評論した人物がラフカディオ・ハーンだ、ということも言い添えておきます。  

ソロモン王の伝説

この物語は旧約聖書の「ソロモン王」の物語のネルヴァル的解釈です。  

ソロモン王のことはご存じの方も多いかもしれません。時は紀元前1000年ごろ、古代イスラエルの最盛期を築いた王です。  

彼はとても優れた知性を持った人物であったと言われています。例えば「ソロモンの指輪」の伝説は有名ですね。ソロモン王が神であるヤハウェに祈った時、大天使ミカエルが現れて彼に授けた指輪、それは天使や悪魔といった精霊を使役し、また動物の言葉も理解できたと言われています。  

そんなソロモン王の元にシバの国(諸説ありますが、イエメンだともエチオピアだとも言われています)の女王バルキスが訪れます。彼女はそこでソロモン王と対話し彼の賢さに深く感銘を受けた、というのが旧約聖書に書かれている話。  

「ソロモンとシバの女王」というタイトルで映画化もされていますね。かなり脚色された物語なのだけれど。  

本書のあらすじ

で、やっと本書のあらすじです。この物語もまた、ソロモン王とバルキスの物語です。タイトルからして「暁の女王(バルキス)と精霊の王(ソロモン)の物語」ですからね。  

ただちょっと違うのは、この物語でのバルキスはソロモンの知性をただほめそやす存在ではない、ということです。むしろ彼女は思うのです。「ソロモン王は確かに賢者なのかもしれない。だが、それは果たして真の知性なのか?」と。  

訪れた暁の女王をソロモンは歓待し、建設中の豪華な寺院へ招待します。それはすべてを黄金でつくられたとても豪華な寺院でした。その当時そんなものを作ることができるだけの権力を誇っていたのは、世界でもソロモンただ一人だったのでしょう。  

それこそソロモンが賢者である証。力としての知。  

しかしバルキスはむしろ、この寺院を実際に作った人物、大工の棟梁であり芸術家であるアドニラムの仕事を賛美するのでした。  

それを聞いたソロモン王は言います。「しかし、この寺院を建てるために金を出したのは私だ」と。  

ソロモン王は女王に恋い焦がれます。そして彼女を何とか自分のものにしようとするのです。しかし、女王バルキスの心は揺らいでいました。暁の国、遥か東方に生まれ、西洋的な物質至上主義的な知に冒されていない彼女には、ソロモン王の知恵と力に惹かれる一方で、どこかそれに疑いを感じていたのです。  

そして、金も地位もない天才アドニラムにもまた、強く惹かれているのでした。  

アドニラムはある事件をきっかけに地下の世界へと向かいます。そこは死者たちの国。そこでアドニラムは自分の一族のことを知ります。彼の高祖であるトバル・カインは言うのでした。

「行け、我が子よ、汝の運命を完遂せよ」  

火の精であり、鍛冶の始祖であるトバル・カインはまた、すべての芸術家の魂の始祖でもあると言えるでしょう。  

アドニラムはバルキスへの思いを遂げようとします。バルキスは王女で自分はただの棟梁でしかない、アドニラムはそう思っていました。しかしトバル・カインの言葉により知るのです。たとえ物質的に豊かではないとしても、自分もまた高貴な生れであることに。  

そしてバルキスもまた、同じ魂の持ち主なのでした。  

バルキスの心は揺れます。本当の「知性」とはなんでしょうか? あるいは本当の「愛」とは、「正しさ」とは?  

遠き東の彼方、遥か時空の彼方に、探し求める答えがある


「東方紀行」の中で、著者であるネルヴァルはこの物語をコンスタンチノーブルで耳にするのです。そこにはエチオピア人も、ユダヤ人も、トルコ人も、アラビア人も、そして幾人かの白人もいました。  

キリスト教的な、あるいはユダヤ教的な世界観の外には、また別の世界観がある。そして自由に人の行き交うそこにこそ、本当の知性がある、ネルヴァルはまるでそのことを示唆しようとしているようです。  

僕は思うんですけど、ロマン主義者は必然的にコスモポリタンなのではないかという気がします。なぜなら、彼らのアイデンティティの源は文化という人類に共通のものにあるから。

もちろん、そんなものは、現実には何の役にも立たないものなのかもしれないけれど。

でも、何の得にもならないものを賛美することはロマンチシズムでしょうか?  

ならばロマン主義者であるのもまた、いいかもしれませんね。そしてそれを求めるために、今でもなく、ここでもないどこかへ思いを馳せることも。  

別に地に足をつけることが悪いわけじゃない。でも、地に足をつけながら顔は空を見上げていたっていい。

探し求める答えはもしかしたら、遠き東の彼方、遥か時空の彼方にあるのかもしれない。

そう思ったって。ね。

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