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モネの「睡蓮」はドビュッシーなしには語れない。


あれは僕がまだ小学校低学年のころだった。

夜、若いお姉さんが家に上がり込んでいた。父親にカタログを広げて熱心に話し込んでいる。2時間後、父親は僕を呼び寄せ、「これから勉強するんだぞ」と頭を撫でた。お姉さんが帰ると母親がかんかんに怒って言った。

「若い子だからってこんなもの買って、どうするのよ!」

数日後、我が家には学研の百科事典が送られてきた。全12巻。11巻が「音楽」、12巻は「美術」だった。

この「音楽」と「美術」の本は僕のその後の人生に決定的な影響を与えた。
「音楽」の付録だったレコードはそれこそすりきれるほど聞いたし、「美術」に掲載されていた絵はいまでも鮮明に思い出すことができる。いまは亡き母親に教えてあげたい。あの百科事典がいくらだったかは知らないが、十分元は取ったと思うと。

で、そこで僕はモネの「睡蓮」と出会うのである。「音楽」の印象主義の項目。ドビュッシーの「月の光」を説明するページに大きく「睡蓮」の絵が掲げられていた。

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子ども心にも、薄暗い「睡蓮」にかかる淡い光が月光だということ、その印象を伝えるのにこの曲ほど適切なものはないということは瞬時に理解した。だからモネは「印象派」だし、ドビュッシーは「印象主義」なのだと。

とても幸せな出会いだったと思う。そこから僕はクラシックを少しずつ好きになっていったし、モネだけでなく、マネやルノワールといった「印象派」の画家たちを追い求めていったのだから。

そういえば大学の卒業論文でもマネとモネを取り上げた。印象派のリーダーであるモネは、先駆者であるマネの影響をどのように受け、どう発展させたのか。単に名前が似ているという意味合いもゆがめなかったが。

国立西洋美術館にある数々の「睡蓮」を見るたびに、僕の頭の中では「月の光」が鳴り始める。刷り込みみたいなものだ。最初に就職した会社が美術系の小さな出版社だったのもこの流れの延長だったのかもしれない。

「三つ子の魂、百まで」とは、よく言ったものだ。

半音階を駆使した独創的なドビュッシーの音楽が「印象主義」と称されたのは、モネらによる「印象派」がその前にフランスを席巻していたからだが、ドビュッシー自身はそう言われることを嫌っていたらしい。

しかし、「印象派」の画家たちが二十世紀の現代アートへの橋渡しを果たしたように、ドビュッシーもまたシェーンベルクやメシアンに連なる現代音楽への確かな礎になったのだ。

絵画と音楽に関するこの奇妙な一致。さすが芸術の国フランスと言ったところか。

ところで僕はまだフランスに行ったことがない。

死ぬ前に一度はルーブルに行ってみたいし、なにより印象派の殿堂であるオルセー美術館や、360度ぐるりと「睡蓮」が飾られているオランジェリー美術館も見てみたい。

オランジェリー

モネの「印象 日の出」でも、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」でもいい。あの「美術」の本に載っていた絵の本物を前にすると、あれ? この絵ってこんなに大きかったの? とか、こんな色してたんだ! ってことに気づかされる。

それこそが「絵を見る」ということの醍醐味だと思う。コンサートに通って生の音を聴くのも同じことだ。

きっと僕たちの人生は、どれだけ多くの本物に触れられるかどうかにかかっているのだろう。一日も早く、予約なしに展覧会を見たり、満員のコンサートホールで生の音楽を堪能できる日が来ることを願ってやまない。

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