出会いに意味などないけれど

大学の同期から飲み会の連絡が届いた。

学科内では数少ない女子のうちの一人が結婚するのでそのお祝いも兼ねてのものらしい。


ほんの一瞬迷ったけど、行けば今どんな仕事をしているだとかどんな人と付き合ってるだとかそんな話になるのは目に見えているし、そんな場でうまく振る舞えず空気を悪くしてしまう自分の姿も容易に想像できた。

現状に納得していない訳ではないしそれなりに誇りも持っているが、まだ人に説明出来る自信はなかった。

「ごめん、その日仕事で行けない」
さすがに素っ気ないかと思い、間抜けな顔をしたクマが謝っているスタンプを間髪入れずに送る。


気持ちを切り替えようとミュージックを開いて星野源のFamily Songを再生した。

“あなたはどこでもいける
あなたは何にでもなれる”

耳触りの良い柔らかな声で歌われるそのフレーズは、まともに聴くと泣いてしまいそうだ。

引きこもりの時代を経て演劇や音楽に出会い、芝居も歌もエッセイも、素直に自分のやりたいことをやった結果多くの人に支持されている彼が歌っているからそう感じるのだろうか。


そばにいなくても、会えなくても、言葉を交わさなくても、たとえ相手がそれを知ることがなくても。彼女がただ幸せであることを、わざわざ思い出すこともないくらい頭の片隅でいつもいつも願っている。

もう学生の頃みたいに一番の理解者ではいられないけど、いつだって絶対の味方でありたい。


文句を言いながら並んで課題をやっつけることもふらっと飲みにいくこともなくなったけど、今日はちゃんとご飯食べたかなってたまに考えるとそれだけで少し救われる自分もいて、こんなこと話したらきっと「気持ち悪いよ」ってあの顔で笑うだろうけど、遠くから願うくらいは見逃してもらおう。なんて思いながらリピート再生を止めた。


#小説 #エッセイ #掌編 #掌編小説

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