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苦労の歴史とカリスマの関連性:成功の裏側を探る

辛労辛苦(しんろうしんく)
→ つらい苦労のこと。

人々の日常において、「苦労」という言葉は頻繁に使われる。

子どもの勉強、大人の仕事、老後の生活といった具合いに、どの世代もなにかしらの「苦労」を感じる瞬間がある。

でも、この「苦労」とは、そもそもなんなのか。

ということで、古代から現代にかけての「苦労」の概念、人が「苦労」と感じる心理的メカニズム、そして「カリスマ」と「苦労」の意外な関連性について深掘りしていこう。

苦労の歴史

「苦労」という言葉の起源は古い。

古代の文献や遺跡からも、人々が困難な状況や挑戦を乗り越えることの価値や意義を語っていることが確認される。

古代ギリシャの英雄たちは、モンスターや神々との戦い、過酷な冒険を乗り越え、その経験を通じて成長や啓示を得た。

このような古代の物語や伝説は、苦労とは「成長の過程」や「運命との戦い」として捉えられていた。

また、歴史を通じて、国や民族が経験した戦争や災害、飢饉などの困難な時期も「苦労」として語り継がれている。

こういった出来事は、その後の歴史や文化、価値観の形成に大きな影響を与えてきた。

例えば、中世ヨーロッパの黒死病は、数百万人の命を奪い、経済や文化に大きな変革をもたらした。

黒死病はペストと同義で、ペストというと聞いたことがある人も多いだろう。

14世紀中頃にヨーロッパで大流行した疾患で、多くの人々の命を奪った。

この病気は、Yersinia pestisという細菌によって引き起こされるもので、主にノミを媒介とする形で人から人へと感染が拡がった。

黒死病の流行により、ヨーロッパの人口の約3分の1の人が死亡したと言われており、これは数千万人の命を意味している。

こんな苦労も人類は乗り越えてきたわけだ。

苦労のメカニズム

それでは、なぜ人は苦労という感覚を持っているのだろうか。

実は、人が「苦労」と感じる背景には、心理的・生理的な要因が絡み合っている。

脳科学の研究によれば、人は困難な状況や未知の課題に直面すると、ストレスホルモンが分泌される。

このホルモンは、一時的に集中力を高める効果があるが、長期間分泌され続けると身体や心に悪影響をもたらす。

したがって、人は自然と「苦労」という感覚を持つようになるというわけだ。

ただし、このストレスホルモンの分泌は、短期的には集中力や反応速度の向上などのポジティブな効果も持ち合わせている。

つまり、適度な「苦労」やチャレンジは、人の成長や学習に必要な要素とも言えるということだ。

第三者による目線

そして、私はこの苦労という概念について、個人的な考えを持っている。

それは、私たちが「苦労」と判断する瞬間、それは本当にその人が苦労しているのだろうかという疑問だ。

第三者の視点から見ると、人は他者の挑戦や困難を「苦労」と評価しやすい。

これは、他者の経験や感情を完全に理解することができないため、外部からの視点で評価や判断を下すことが多いからだ。

実際、多くのカリスマや成功者は、自らの経験を「楽しんでいた」と述べることが多い。

カリスマと呼ばれる成功者たちは、困難や挑戦を「苦労」とは捉えず、それを成長の機会や新しい経験として受け入れているのである。

一方で、外部の人々は、その過程を「本当に苦労した」と勝手にカリスマと呼ばれる成功者たち評価することが多い。

このギャップは、人々がカリスマや成功者に対して持つ「彼らは特別だ」というイメージと関連している。

もっと言うと、そういった評価をした方が、その人をよりカリスマへと持ち上げることができる。

つまり、印象操作の一部として苦労というものを武器にしている傾向があることを指摘している。

成功者やカリスマが普通の人々とは異なる「特別な経験」や「苦労」を勝手に経てきたと思い込むように持っていく傾向が少なからずあると思うのである。

苦労とハマるの違い

「ハマる」という言葉がある。

説明するまでもないが、特定の趣味や興味に深く没頭することを意味する。

「苦労」と「ハマる」は、どちらも時間やエネルギーを要する行為でありながら、その感じ方や捉え方が大きく異なる点を追求してみる。

「ハマる」は、自分の興味や好奇心を追求することから生まれる。

この過程は、楽しみながら学びや成長を遂げることができる。

一方で、「苦労」は、困難や挑戦を乗り越える過程で感じるものだ。

この過程は、時に疲れやストレスを伴うことがある。

これら2つの概念は、実は密接に関連している。

多くの人々が「ハマる」ことで、新しいことを学ぶ喜びや成長の機会を得ている。

そして、その「ハマる」過程での困難や挑戦が、第三者からすると「苦労」として見られるというわけだ。

なにが言いたいのかというと、本人はハマっているだけで、苦労しているなどと微塵も感じていないということだ。

これが、苦労とハマるの決定的な違いだ。

カリスマと苦労

せっかくなので、もう少し話を飛躍させていこう。

「カリスマ」という言葉がある。

その意味は、魅力的なリーダーや特別な才能を持つ人を指す場合が多い。

カリスマは、多くの人々から尊敬や憧れの対象とされる。

ところが、この「カリスマ」になるためには、どれだけの「苦労」が必要だったのだろうかという評価軸がある。

歴史を見れば、多くのカリスマや偉人は、独自の困難や挑戦を乗り越えてきたとされている。

例えば、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは、学生時代に大学を中退し、インドへの放浪を経験している。

その後、ガレージでの起業から、世界を変えるテクノロジー企業を築き上げた。

スティーブ・ジョブズの経歴を見れば、「苦労」と「成功」は切り離せない関係にあることが分かるという流れだ。

けれども、スティーブ・ジョブズ自身は、その「苦労」を「楽しみ」として捉えていたと言われているし、私もそうだったと思っている。

スティーブ・ジョブズは、自らのビジョンや情熱を追求する中で、困難や挑戦を乗り越えることの喜びや達成感を感じていた。

そもそも、それがなければAppleという強烈な企業が生まれてくるはずがないからである。

スティーブ・ジョブズのように、多くのカリスマや偉人と呼ばれる人たちは、他者から見れば「苦労」と思える経験をしている。

けれども、それは第三者が勝手に創り上げた虚像であって、本人は「楽しみ」として捉え、その中で自らを磨き上げてきたはずだ。

まとめ

「苦労」を一言でまとめると困難や挑戦を乗り越える過程で感じる感情や経験だ。

ただし、その「苦労」をどのように捉えるかは、個々で異なる。

一部の人々は、苦労を「成長の機会」として捉え、新しい経験や知識を得ることの喜びを感じる。

一方で、苦労を「負担」として捉え、疲れやストレスを感じる場合もある。

くり返しになるが、苦労という概念は主体となる人とベクトルがズレて稼働しているというのが、私の見解だ。

歴史を見れば、多くのカリスマや偉人は、「苦労」を「楽しみ」として自然とハマった経験から、自らを磨き上げてきた。

このことが示しているように、苦労は本人が主張しているものではない場合が多い。

周りが勝手に苦労したという体験談をつくり、それを本人がいないところで勝手に盛り上げている。

苦労をしている人は報われるという美談を多く作ることで、苦労をすることを推奨する側に回りたいからだ。

歴史を振り返っても、苦労したことで成功があるという美談の形が一般的だ。

ここに私は違和感を覚える。

というのも、苦労をすべきではない部分も少なからず存在すると考えているからだ。

必要のない苦労など時間の無駄でしかない。

明らかにわかっている苦労など、すっ飛ばして次に行った方がいいに決まっている。

それにも関わらず、若いうちは苦労をした方がいいとか勝手に押し付ける大人が多いように思っている。

そういった人たちは、いわゆる成功者側にいない人たちだ。

なぜなら、自分が勝手に苦労している側だと思い込んでいる勘違いをしている大人たちだからだ。

何度も言うが、カリスマや偉人と呼ばれる人たちは、苦労しているなどと思っていない。

周りが勝手に苦労したという美談をつくっているだけで、本人たちはハマっているだけだ。

そこにあるのは、ただただ情熱だけで、苦労など微塵も感じていないはずだ。

充実したい人生を送りたいのであれば、人の苦労を勝手に評価する側になるのではなく、ハマる側になった方がいいというのが私の主張である。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。