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明確に覚えている怒りを買った瞬間

人主逆鱗(じんしゅげきりん)
→ 君主や権力者の怒りを買うこと。

歳を重ねていくと、あまり怒りを買うといった機会はなくなっていくものだ。

かくいう私も、最期に怒りを買ったのはいつかを思い出してみても、10年以上前なのではないだろうか。

そのときの体験をせっかくなので書いておこう。

地方にはびこる第三セクターという機関

私が起業してから間もないころ、いわゆる第三セクターに該当する組織のお偉いさんと打合せをする機会がしばしばあった。

正直、私としてはあまり相手にしたくないタイプの人だったのだが、当時始めるサービスを拡めるために、まあ付き合いが必要だった。

第三セクターという言葉にピンとこない人もいるかもしれないので、簡単に説明しておこう。

第三セクターとは、通常、経済や社会的な活動の領域を指すために使われる。

具体的には、公的セクター、つまり政府や行政機関である、第一セクター、私的セクター、つまり企業である、第二セクターに対する、非営利や公共性を追求する団体や活動のことを指す。

この第三セクターには、非政府組織(NGO)、ボランティア団体、慈善団体、公益法人などが含まれる。

そして、商業的な利益追求(第二セクター)と政府の公的な職務(第一セクター)の間に位置しているという特徴がある。

なぜこのようなポジションの機関が存在するのかというと、それは社会の多様なニーズに対応するためという大義名分だ。

商業的な観点からは利益を生み出しにくく、政府による直接的な介入や管轄が困難または不適切な領域が存在している。

そういった領域をカバーするために、第三セクターが活動を行うという建前だ。

第三セクターの団体や活動は、コミュニティ開発、環境保護、人権保護、福祉サービス、教育、芸術と文化の振興など、様々な領域で社会的な価値を創出しているとされている。

また、第三セクターの概念は、1960年代後半の新総合国土開発計画の一部として初めて日本で導入されたという歴史からスタートしている。

それから、実は第三セクターは法的に定義されていないということも知っておくといいだろう。

一般的には、広義では地方自治体が投資または寄付を行った民法上の法人や商法上の法人を指す。

狭義では、地方自治体が全体の資本の25%以上を投資または寄付した法人を指す。

第三セクターは、日本の国家政府や地方政府と民間企業が共同で設立し、公益活動を行う企業を表すためによく使用される。

これらの企業は、比較的設立が容易な株式会社や法人協会として設立されることが多く、それらは「半公的、半私的」の混合形態となるわけだ。

そんな第三セクターは、年代によりさまざまな役割を果たしてきたと言われている。

1970年代には大規模開発プロジェクトの推進、1980年代には民間部門の活性化と公的部門の民営化の手段、1990年代後半には市中心部の活性化と地域ベースのビジネスの推進といった具合だ。

第三セクターの概念は時間と共に進化し、現在では上述したとおり、特定非営利活動促進法に基づいて設立された非営利組織(NPO)も含んでいる。

とまあ、いい側面を書けばこうなるのだが、勘の鋭い人は天下り先になりがちだということも理解できるだろう。

地方の限界

少々話が逸れたが、そんな第三セクターのお偉いさんなので、経歴は立派なものだった。

まあ晒す感じになってもよくないので、詳細は控えるが、とある中央省庁で勤めた後にその第三セクターに呼ばれて仕方なく地方創生の指導をしているといったことを語っていた。

縁もゆかりもない広島だけれども、なんとか盛り上げていきたいから、月に1回は関東圏から広島に来ているのだという。

この時点で違和感しかなく、経験上、自分の経歴を武器にしている人ほど無力な人はいない。

もちろん、やってきたことは重要だし実績を残している人に信用や信頼が蓄積されていることは理解できる。

ただ、大切なことはその上で、今なにをしているのかということである。

その人の会話の全てが過去のことだらけで、正直、今の流れには当てはまらないことも多々あった。

それでも、行政機関などはその人を頼りにして、起業する人に適切なアドバイスをくれる貴重な存在として扱っている。

これが地方の限界なのだろうが、紛いなりにも私はベンチャーで揉まれた経験があり、起業をしたこともない人よりは経験が豊富だという自負があった。

とはいえ、仕事として相手にしないといけなかったので対応していたが、本当に不毛な時間だった。

直近で怒りを買った体験談

そんな時間が何度かあった後、普段は私1人での打合せだったのだが、とあるときに仕事仲間を2人連れて打合せをしたときのことだ。

2人を紹介するのに、私は何度も会っているので割りとフランクに紹介を済ませると、今後どんな感じで始めたプロジェクトを進めていくかの議論が始まった。

ランチをしながらだったので、時折、冗談を交えながら会話をしていた。

そんな感じで会話が進んでいたのだが、少々その人をイジるようなことを私が言った。

具体的になにを言ったのかは覚えていないのだが、流石にそこまで失礼ではなくサラッと流せるし、なんなら笑えるくらいのイジり方だったと思う。

というのも、仕事仲間2人も今後絡むだろうし、やりやすい空気をつくっておいた方がいいという判断をしたからである。

ところが、少し間が空いたと思ったら、その人が急に大きな声を張り上げた。

「君はなんて失礼な言い方をするんだ!」

この一言が、ランチをしている空間に響き渡ったのを覚えている。

もちろん、周りには多くの人がいるし、そもそもそんなに失礼なことを言った記憶はない。

ところが、その人の怒りは収まる様子もなく、私にそんな口をきいたことがある人はいないとか、正直なにが言いたいのかよくわからない怒りをぶつけてくる。

単純に自分の言い分を素直に受け入れない私が気に入らなかったのだろう。

また、仕事仲間2人を連れて来ている中、自分の方が偉いんだというマウントを取りたいんだろうなというのもヒシヒシと伝わってきた。

かなり怒っているので、一応失礼があったことを謝罪して、早々にランチを切り上げたことを覚えている。

そして、二度とこの人と関わることをやめようと心に決めて、全員分の支払いをして、その場を後にした。

怒りを買った体験談の続編

もちろん、その後の付き合いはなくなった。

はっきり言って、その人との付き合いがなくなったからといって、私の人生にはなんの影響もなかった。

そんな感じで過ごしていると、あるときに昔のメールアドレスに知らないメールアドレスから一通のメールが届いた。

普通ならスパムになるのだろうが、過去に何度かやり取りしたメアドは受信ボックスに入りやすい。

その内容は、私をメディアで見かけたというものだった。

ちょうど、stakを様々なメディアに取り上げてもらっていた時期で、その記事を見たというものだった。

そして、そのメールにはこんなことが書いてあった。

広島で会ったときから、植田くんはやる男だと思っていたよ。

ドン引きした。

私のなにを知っているのだろうか。

いや、それ以前に自分が私にとった言動を覚えていないのだろうか。

そのメールはゴミ箱に放り込んだことは言うまでもないだろう。

まとめ

私自身、短気だということは自分で理解している。

ただ、結局その怒りは自分自身に向いていくという自負はあるので、そんなに悪いことだとは思っていない。

瞬間的にその場の空気が悪くなることはあるが、それもリカバーしていくようにしているし、全責任を自分で取る覚悟はいつでもある。

とはいえ、書いていて思ったのことが、理不尽に怒りを買ったと誤解される可能性は十分にあると感じた。

余計なところで人間関係が崩れるのはもったいないし、あえて敵を増やす必要もないだろう。

老害と呼ばれる人たちと同じだと思われたら、私自身の価値はゼロだ。

間違ってもそうならないような言動をしていかなければいけないと、自分自身にも言い聞かせるいい機会になった気がする。

10年くらい前の経験を語れるということも、1つの財産だと捉えて、私は同じ轍を踏むことのないように前進あるのみだ。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。