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「伝わる文章」を書くための考え方1万字(5/4追記)

「言葉」や「文字」はコミュニケーション・ツールだ、と私は思っている。

何を当たり前のことを、と思うかもしれないけれど、例えば「ひとり言」を言うだけ、「日記」を書くだけであれば、そこにコミュニケーションは発生しない。
日記帳ではなくTwitterやnoteに文字を綴るのは、自分の言葉が誰かの目に触れて欲しいから。
つまり、文字を通して誰かとコミュニケーションを取りたいという欲求が少なからずあるからだ。
そして、目に触れた後に「共感、同意、肯定」をして欲しいという欲求もある。

そして、「言葉」や「文字」は、あくまでコミュニケーション・"ツール"に過ぎない、とも私は思っている。
言葉や文字は、「目的」ではなく「手段」であり「道具」だ、ということだ。
道具は正しく使えなければ意味がない。

……なんて、堅っ苦しく書き始めてみましたが。
要は、「人に伝わる文章を書くためにはどうしたらいいか?」という話を、これから書きます。

普段書いているもの

普段私のnoteを読んでくださってる方以外にも、今回このnoteを読んでくださる方がいらっしゃるかもしれないので、一応はじめに書いておきます。

もともと、約15年間ずっと趣味で小説を書いています。
学生時代には今と違う名前でネットに上げていたり、部活・サークル活動で書いたりしていました。
社会人になってからも年2回ペースで書いていますが、学生時代の友人間でのみやり取りしていて、ネット等に投稿したりはしてないです。

あと大学では一応「日本語学」を専攻してましたが、あまり真面目な学生ではなかったです(反省)。

noteでは小説……ではなく、主に推し(女性アイドル、推し作家)に関する文章をアレコレ書いていて、中でも「ライブレポ」=ライブの長文感想ブログを書くことが多いです。
ライブの度に10000字前後の感想を書き綴る日々を送っています。

もともと小説を書いていた二次元オタクが、アイドルオタクになってライブレポを始めとするnoteを書くようになった、というのが現在の私です。
最後の章に最近書いたnoteのリンクを載せたので、もし良かったら読んでいってね。

今回書くもの

普段自分がライブレポ等の文章を書くときは「単なる自分の日記、自分だけが読み返して分かれば良い」ではなく「いろんな人に伝わる文章を書きたい」と思いながら書いているんですが、じゃあそれって具体的にどんなことを考えながら書いているのか、整理してみよう、っていうのが今回の趣旨です。
誰に頼まれて書いてるわけでもなく、なんとなく自己分析というか自分の思考の棚卸しというか、そういうやつをやりたいなーと思って、書くことにしました。

冒頭で「人に伝わる文章を書くためにはどうしたらいいか?」なんて書いたけど、ぶっちゃけこの疑問の答えはまだ見つかってません。
私も試行錯誤中なので。
これから書くことはあくまで私が今こういう書き方をしてるよーって話です。

なので、このnoteが文章を書く際の参考になれば幸いですが、かといってここに書いていることを鵜呑みにはしてほしくなくて。
私はこういう感じで好きに書いてるよ、という、ただそれだけのことなので、みんなも好きなように思い思いに書いたら良いよ、と思ってます。

---なお、ここまでもここからも全て私の感覚的な話なので、ソースとかはあったりなかったり曖昧だったりします---

読み手を意識する

誰かに読んでもらうんだからこれは大前提かなって思います。
自分じゃない誰かがこの文章を読んだときに意味が伝わるかどうか。
自分じゃない誰かがこの文章を読んだとき、どう感じるのか。
客観視するのは難しいけど、頭の片隅に「想定する読み手」「読んでもらいたいターゲット層」を考えておくと、言葉選びの判断材料になると思います。
で、実際読んでくれる人がそのターゲット層に合致してなくても、読み手を意識した文章はちゃんと読みやすくなってる、気がします。

私が普段のライブレポでどんな人をターゲットにして書いているか……は、企業秘密です。いや、バリバリ個人のアマチュアですけど。
まぁ、たぶん、読んだらわかるよ。だから読んでみてよ。

【5/4追記】嘘は書かない

今日ライブレポ書いててふと「これも大事だな」って思ったので追記します。
章タイトルの通りです。「嘘は書かない」。

笑ってないのに「笑った」
泣いてないのに「泣いた」
興奮してないのに「興奮した」

私は書かないです。

「笑った」って書いたらほんとに笑ってるし
「泣いた」って書いたら涙流してるし
「興奮した」って書いたら胸の内側から湧き上がる熱を感じてます。

誇張表現が悪いことだとは思わないけど、いきすぎた表情は「それって本当に伝えたいことですか?それって本当に推しのための文章ですか?」って思う。

というのも、以前読んだレポで「明らかに演者がやってないだろうネタエピソード」が何箇所も差し込まれてるレポを読んだんですよ。
なんか、すごく萎えちゃって。
「面白かったライブを伝えたい、書き残したい」じゃなくて「自分が面白い文章書けることをアピールしたい」じゃないの、それ???って思っちゃったんですよね。
そんな文章からライブの楽しさなんて伝わんないよ。
それ以外がどれだけ良い文章だとしても、私には無理でした。
それ以来、その人のレポは読んでません。

もちろん、ネタ文を入れることで楽しさが伝わることもあるだろうし、結局はバランスというか、アウトセーフのラインは人それぞれだから、全部が全部ダメとは思わないけど。
私は基本、見たこと、思ったこと、そのままを書くように心がけています。

言葉選び1

伝えたいことをどう伝えるかというときに、一番大事なのは「言葉選び」かなと思っています。

たとえば、「信号が青になったので進もう」と言ったとき、この「青」って言葉は「信号機から発している緑色の光」のことですよね。
みどり、なのに、あお。
「みどり」という言葉の語源を辿ると、「緑が豊かだ」「新緑」と呼ぶように、大自然の「緑=みどり」であり、色味を指してはいなかったそうです。

一方、「あお」は「青りんご」「青葉」とあるように色のことを指しており、今でいう「緑色」も「あお」が表す色味の範疇でした。
「青々とした新緑」とか、なんもおかしくないですよね。
信号機の「青信号」もこの「あお」なわけです。
(参考リンク:https://www.excite.co.jp/news/article/Jprime_21946/

でも、私たちが「あお」という言葉を「緑色のもの」に対して使うとき、そんな語源のことは特に意識していないと思います。
青信号が「青信号」であることは当たり前で、「緑信号」と呼ぶとむしろ「え? なんて?」となります。
これは、成長する過程で親であったり保育士であったり「青信号になったから渡ろうね」と声を掛ける人がいて、自然と「これは青信号と呼ぶものだ」と覚えたりしたのだと思います。

こうして「信号機の緑色の光は"青信号"と呼ぶ(="緑信号"とは呼ばない)」という共通認識が社会に浸透し、日常のコミュニケーションの中で「青信号」と使っても誰も違和感を持たずに会話が成立するわけです。

この「言葉の意味をみんなが共通認識として持っている」かどうかは、とても重要です。
言葉の使用頻度が減り、共通認識が薄れる(意味を知っている人が減る)と、言葉の意味が変化したり、誤用が増えたり、死語になったりします。

たとえば、「確信犯」という言葉があります。
この言葉の意味は「政治的・思想的・宗教的等の信念に基づいて正しいと信じてなされる犯罪行為、又はその行為を行う人」なのですが、「悪いことだと分かった上でやる行為・人」という意味で使用する人が増えて、誤用されやすい言葉となっています。
(参考リンク:https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_05/series_10/series_10.html

上記リンクにも書かれてますが、なんでこんな誤用が生まれるかといえば、「"確信犯"という言葉の意味を共通認識として持っている人が少ない」からだと思います。
「確信犯」という言葉は「青信号」という言葉に比べて日常生活の中で接する頻度の低い言葉です、当たり前ですが。
目や耳にすることがなければその正しい意味を知る機会がない、というのも当たり前のことです。

そして、ここで問題になってくるのは、「確信犯」という言葉は知らないけれど、「確信」という言葉と「犯」という言葉は知っている人が多い、ということです。
全く知らない言葉であれば前後の文脈で意味を捉えたり、意味を調べたりできますが、「確信犯」という文字を見ると「確信+犯」として、「悪いことだと確信している上で行った犯行あるいは人」という、誤った捉え方をしてしまうわけです。

そして、
誤った意味で「確信犯」を覚えた人が誤用のまま使用する
→「確信犯」という言葉を初めて知った人が誤用のまま覚える
というループが発生し、誤用が広まっていくと、「"確信犯"という言葉の意味を"誤用のまま"共通認識として持つ人」が増えていく。
これが「確信犯」という言葉の現状だと思います。

これが「確信+犯」ではなくもっと難解な言葉だったら、単に使用頻度が減るだけなので「知る人ぞ知る」言葉になって、誤用が広まることもなかったかもしれません。

話がだいぶ逸れました。
「青信号」と「確信犯」の話、なにが言いたいかというと、

ひとつは、「"青信号"は緑色なんだから"緑信号"と書くのが正しい!」と思って書いても読み手には全く伝わらないので、そういった変なこだわりを持たずに、誰にでも伝わる言葉を選ぶべきだということ。

もうひとつは、「確信犯」のように意味にブレがある言葉は、他に代用可能な言葉があるなら無理に使わない方がいいということ。

私は「言葉は変化するいきもの」だと思っているので「確信犯」をはじめいろんな言葉が新しい意味を持つことを否定しません。
それが初めは誤用であったとしても、「その人が伝えたいニュアンスがその言葉を使うことで伝わる」なら構わないと思うし、そうした使われ方が誤用と呼べないほど浸透したっていいと思います。

ただ、私の中で「確信犯」はまだ誤用/正用の立ち位置が曖昧だなと思っているので(ほぼ正用に転じつつあると思っていますが、まだ誤用として認識する人の数も多いので)、どうしても「確信犯」という言葉が使いたい、という場面でない限りは使わない、という判断をしています。

極端な例として「青信号」「確信犯」を挙げましたが、どんな言葉であっても全ては「伝わると思うから使う」か「伝わらないと思うから違う語を使う」の2択です。

・誰でも意味を知っている言葉:使う
・ほとんどの人が知らない、難解な言葉:使わない
・「確信犯」など意味の取り方にバラつきがある語:使わない
・世代/地域/性別などによって意味が異なる語(方言など):使わない
・一部の界隈のみで伝わる語(スラング、ギャル語、専門用語など):ネタとして使うならアリ。専門用語を使うなら説明を付けたりする。

パッと思いつく限りで分類してみましたが、たぶんもっといろいろあると思いますし、「誰でも知ってる言葉」と「ほとんどの人が知らない言葉」は2極端ではなくグラデーションになっているので、どこまでを「使う」と判断するかによって文章に個性が出ると思います。

普段は使わない言葉だけど文章の流れで今回は使おう、ってケースもあります。
たとえば対象とする読み手(読んでもらいたいターゲット)が限定的(身内やグループのファンなど)であれば、その界隈でしか伝わらない言葉は使った方がウケが良かったりします。
あと私は方言を書くことはないですが、関西弁交じりの文章とか読むのは結構好きです。人柄が出る感じがするので。
なので私が「使わない」としている語を使うのも当然ありだし、そこも個性です。

言葉選び2

今度は「言葉の持つニュアンス」の話をします。
先に結論から書くと、私は「なるべくおちゃらけた言葉」を使うよう意識してる、という話です。

私のnoteで最頻出語を挙げるなら「めちゃくちゃ」だと思います。ちゃんと調べたことないけど、たぶんきっとそう。
ライブレポを書いているときは特に使っている自覚があります。
「めちゃくちゃ」「めっちゃ」「めちゃ」「めちゃめちゃ」
この辺の微妙に違う(ほぼ同じ)語を多用しています。

類語としては「とても」「すごく」があり、これらも使うんですけど、「めちゃくちゃ」に比べると使用頻度は低いし、使うときに「とっても」とか「すっごく」とか「っ」を入れることも多いです。
「すごく」を「凄く」って書くこともあんまりない……と思います。たぶん。

なんでかっていうと、その方が楽しいなって思うからです。
私が書く文章って大体アイドルのこと、ライブのことで、一番伝えたいことは「今日のライブ/推しが楽しかった!」ってことです。
その楽しいニュアンスを伝えようと思ったら、自然と「めちゃくちゃ」を選ぶことが多くなりました。

だって、「めちゃくちゃ楽しい」って書いたらめちゃくちゃ楽しい感じが伝わるじゃないですか?(小泉進次郎構文)

ちなみに「ヤバい」はあんまり使わないですね。使ってない……気がする。
なんでかっていうと、「ヤバい」って語は「ネガティブなニュアンスを含む人/含まない人」が分かれる言葉だからです。
私が普段「ヤバい」を使うときはネガティブなニュアンスは含めないことが多くて「え、今のヤバかったね!」って【驚き】のニュアンス強めで使うんですけど、「"ヤバい"はネガティブな意味で使うものだ」という認識の人がいるのも知っているので、「確信犯」同じで意味の伝わり方にバラつきがある言葉として、noteを書くときは使わないです。
ライブの感想でネガティブな意味の「ヤバい」だと思われたら困りますからね。

あと当たり前のことを書きますが、真面目な文章を書くときは上記とは逆で「めちゃくちゃ」は使わず、「とても」「すごく」「大変」とかを使った方がいいです。
読み手が真面目なテンションで読んでいる中で「めちゃくちゃ○○」って書いてあったら「ん?」って突っかかって本題が頭に入ってこない、ノイズになってしまうので。
文章を読む上で、この「ノイズがある/ない」の違いは結構大切だと思います。

ちなみに、「こういうニュアンスのことを書きたいんだけど適切な語彙が浮かばない……」と語彙力不足で困ったときの強い味方として「シソーラス」というものをご紹介しておきます。

類語辞典・シソーラス・対義語 - Weblio辞書

シソーラスとは、上記に書いてある通り、類語辞典です。
似たような意味の言葉でもそれぞれニュアンスが若干違うので、自分の伝えたいニュアンスの言葉をうまく選べたらいいなーと思ってたまに使います。
ただ、シソーラスに載っている言葉で「全然使ったことない言葉」をチョイスすると、文章に入れたとき変な感じになっちゃうことも多いのであまりオススメしません。
最初に書いた通り「言葉は道具」なので、使い方の分からない道具は無理して使わない方がいい、と思います。

このnote読んでても分かると思うんですけど、「めちゃくちゃ」以外にも、「たぶん」とか「とか」とか、あえて曖昧な書き方で文章を軽い感じにするのもよくやります。
あ、この「感じ」もそうですね。「みたいな」とかもそう。
あとは「何ともない」って書くより「なんもない」って書くのが好きだし、「書く方が好き」より「書くのが好き」って書く方が好きです。(ややこしい書き方すな)
文章の正しさ、よりも「伝えたいニュアンス」の方を大切にしています。

(ただ、ニュアンスが伝われば好き勝手書いていいのかというとそれもちょっと違くて、「正しい文章」を知った上でこうした"あえて崩した書き方"をする方がなんとなく良い文章が書けてる気がするので、「正しい文章」を知ることは大事だと思います)

だいぶ話が取っ散らかっちゃいましたが、私の「ニュアンスを大事にした言葉選び」はこんな感じです。

言葉の並び順

「言葉の並び順(語順)」は単純な話なんですけど、
「エビ中のライブめっちゃ楽しかった!」
と書くのと
「めっちゃエビ中のライブ楽しかった!」
では意味の伝わりやすさが違うよね、ってことです。
後者でも伝わるには伝わるけど、「"めっちゃエビ中"って何?」と思われる可能性もゼロではないし、前者の方がストレートに文意が伝わりますよね。

修飾語(めっちゃ)は修飾したい言葉(楽しい)のすぐ近くに配置する、のが鉄則だと思います。
修飾語/被修飾語以外にも、並び順を変えるだけで読みやすさが変わるケースは多いです。
私はnoteを書いてる途中で何度も読み返すんですけど、自分で読んでて一番気持ちがいい文章を探してあーでもないこーでもないって細かい語順を変えたりしてます。
結果あんまり変わらないじゃんってことも多いけど、そうやって考えてる時間も楽しいのでそれはそれ。

テンポ感

「テンポ感」も簡単なことで、句読点の使い方とか、文章の長さとかです。
読点「、」は大体自分が読んでて気持ちがいい場所に入れます。
私の敬愛する作家・紅玉いづき先生が結構独特な句読点を入れる方なので、その影響で私も独特な句読点の置き方をしている、自覚があります。

独特な句読点の置き方をしている、自覚があります
よりも
独特な句読点の置き方をしている自覚があります
の方がサラッと読める文章だと思うんですけど、あえて読点を入れることで逆に「サラッと読ませない、立ち止まらせる」ことを狙っています。
さっき、「文章にノイズがない方が読みやすい」と書いたことのあえて逆のこと、「ノイズを入れることでその文章により注目してもらう」という意図です。

そんなことしなくても「」とか""とか【】とか<B>とか使って目立たせてもいいのかもしれないですけど、まあそれはお好みですね。
私は読点を使う方が好きです。全ては好み。結局はね。

あとは文章の長さもテンポ感を良くするためには大事かなと思います。
つまり一文を長くしすぎないようにするってことです。
読点でどこまでも文章が伸びちゃうと、読み手は「あれ?今何の話だっけ?」「一番言いたいことってどれ?」と迷子になっちゃいます。
自分で読み返してて「長いな」「話があっちこっち言ってるな」「テンポ悪いな」と思ったら文章を削るなり2文に分けるなりしてます。

そんな感じで、自分が読んでて気持ちがいいテンポで書くようにしています。

書けるだけ書く

これは言葉選びにも通じる話なんですけど、「描写/説明は書けば書くだけ良い」が私のモットーです。

たとえばライブであるシーンにとても感動したとして、それを伝える文章としては「誰がどんなシーンでどんな動きをして、それを見た自分がどう感じたのか」ということになると思います。

ukkaの茜空ちゃんが『おねがいよ』のイントロで目を閉じ顔を伏せた、その姿を見て興奮した。

事実だけを書く

みたいな文章です。
これが

ukkaの茜空ちゃんが『おねがいよ』のイントロで目を閉じ顔を伏せた瞬間スイッチが入ったように纏う空気感が変わった、それを見てゾクゾクした、興奮した。

書けるだけ書く

の方が、空ちゃんのパフォーマンスの凄みや私が感じた興奮が伝わる感じがしません?って話です。

あと細かいこと書くと「〜のように」って比喩表現入れるときは「目を閉じ顔を伏せた」という事実は絶対書いた方が良いです。
比喩表現は「顔を伏せた」という事実を修飾する言葉であって、それが欠落して比喩だけの文章になると、読み手がその場面を想像しづらくなるからです。

ukkaの『おねがいよ』のイントロがかかった瞬間、スイッチが入ったように茜空ちゃんの纏う空気感が変わった。それを見てゾクゾクした、興奮した。

雰囲気だけ書く

個人的なイメージの話ですが、事実(目を閉じ顔を伏せた)は輪郭、修飾語(スイッチ~纏う空気)は色味みたいに思ってます。
輪郭がないと色がぼんやりしちゃって伝わりづらいかな、と。

話を戻します。
「ある事象」について書く際、それを表す的確な一文/一語があればそんな長々と書く必要もないと思うんですが、そうそうドンピシャな言葉って見つからないと思うんですよね。
「ある事象」について一発で100点は取れないけど、書ける限りのことを全部書く、30点を3文重ねたら90点は取れるよね、4文書けば120点じゃん?みたいな考え方であーだこーだと長ったらしい文章を書いています。

だって「興奮した」って言葉一つとっても、「体温が上がる感じでカッカとする興奮」もあれば「息をするのも忘れる静かな興奮」もあるじゃないですか。
前者と後者では、当然読み手の感じ方も全然違いますよね。
そういうことです。

とはいえ、この「書けるだけ書く」書き方はほんと好みの話でしかなくて、短文で伝えるスキル/センスがある人もたくさんいます。
が、私にはできないので。できる人が羨ましい。尊敬。
私には書いて書いて書き重ねることしかできないので、結果としてこんな書き方になっています。

文章の統一感を出す

これは当たり前すぎる当たり前のことだけど、「文章の統一感を出す」っていうのも大事ですね。
一番簡単なのは、敬語で書き始めたら最後まで敬語で書く。
あるいは、ため語で書き始めたら、最後までため語で書く。
これを気をつけるだけでも文章のまとまりの良さ、読みやすさは上がると思います。

私はライブレポを書くときは大抵、「最初と最後の章だけ敬語」「ライブレポ本編はため語」という書き方をしていることが多いです。
なんでこんなことになってるかというと、
最初と最後は読み手に対して語りかけたい=敬語になる
レポ本編はライブ中自分が感じたことをそのまま書き出してる=読み手を意識してないのでため語になる
って感じです。
最初レポを書き始めた頃は本編も敬語で書こうと思ったりしたんですけど、そうすると自分が伝えたい感情が敬語によってキレイに包まれちゃう感じがあって「そうじゃない、私が伝えたいのはもっと生身の感情なんだ……!」ってなってやめました。
推しがあまりに輝きすぎていてため語が恐れ多いと敬語になったりもします。(統一感どこいった)

敬語/ため語以外の部分だと、「……」は必ず三点リーダ2つ、と決めています。
「、、、」「。。。」みたいな書き方をすることはまずなくて、三点リーダ1つだけ「…」って書き方もまずやらないですね。
なんでかって言うと、私が小説書きだからです。それだけ。
だから、「、、、」「。。。」みたいな書き方をしてる人がダメって意味じゃなくて、私はそういう自分ルールで書いてる、って話です。
自分の中で「ここは"、、、"がいい」と思う人はそう書いたら良いと思います。が、「特に意味はないけど必ず文末を"。。。"にしちゃう」って人は個人的にはオススメしません。
読み手は「規範から外れた文章」を見ると、そこに意味を読み取ろうとしちゃうので、ひっかけ問題みたいになります(=ノイズ)。

あとは曲名には『』を使う、とかも統一するよう気をつけてますね。
「私/わたし」「気づく/気付く」「事/こと」みたいな表記ゆれも極力気をつけてる……はず……。たぶん。

あと地味なこだわりとしては、「言う」を「ゆう」とは書かない、けど「ってゆーか」に限りOK、という自分ルールがあります。
私が「ってゆーか」を使いたいときって大体オフザケの流れなので、そこで「というか」って書いちゃうと急に堅苦しさが出ちゃうので、例外的にOKとしています。

いろいろ統一感を出す方法を書いてきましたが、実際これらをガッチガチにチェックしてるわけではないです、あくまで趣味で書いてる文章なので。
全体的に見て気にならなかったらOK、って感じです。見つけたら直すけど。

百田夏菜子

「なんで急にアイドルの名前章タイトルにしたの」って思うじゃん?
推しのこと書きたかったからです(素直)。

ももいろクローバーZの百田夏菜子さんって、「人に伝わる文章を話す」ことに関して右に出る人がいないんじゃないかってくらい天才なんですよ。

百田さん、番組とかではよくメンバーや周りの人に「おバカ」っていじられてるし、読み間違えだったり意味を知らなかったりと「語彙力がない」ことは事実そうだと思うんですけど。
一方でライブ終わりの挨拶だったり、メディアでのコメントだったり、人と人のやり取りを見てると、「百田夏菜子が伝えたい気持ち」を伝える話し方にすっごく長けてるなぁと感じるんです。
ももクロのライブを見たことがある人なら、特にライブ終わりの挨拶の部分はみんな同意してくれるでしょう?

なんでかっていうと、百田夏菜子さん、「言葉の使い方」がとっても上手なんだと思います。
最初に書いた「道具の使い方」の話です。
道具の数(語彙力)は少なくても、その少ない道具を誰よりも使いこなせてるから、誰よりも気持ちが伝わる。
使いこなせない言葉は無理して使わないし、今自分が伝えたい気持ちにドンピシャな言葉を選び抜くことができるし、それを正しいニュアンスで話すことができる。

なんかもう、奇跡みたいな人だなって、いつも思います。

尊敬。

おわりに

書けるだけ書き出してみたら1万字超えててわろてます。
伝わったかなぁ。伝わってたらいいな。
ざっくりまとめると、

「読み手を想定して書く」
「多くの人に伝わる言葉選びを心がける」
「伝わるか微妙なラインの言葉は無理に使わない」
「自分の伝えたい気持ちに近いニュアンスの言葉を探す」
「語順には気をつける」
「自分が読んでて気持ちいいテンポ感で書く」
「描写/説明は書けるだけ書く」
「敬語/ため語を統一するだけでも文章は読みやすくなる」
「記号の使い方や細かい言い回しを統一すると文章にまとまりが出る」
「百田夏菜子を見習え」

こんな感じでしょうか。
上記を基本としつつも、そこに応用的に「あえて崩す」文章を差し込んだりすると、またさらに文章に面白みが出るかな~とか。あっちがいいかな、こうしたらいいかな、ここの言い回し変えてみようかな、とか。
まだまだ試行錯誤の日々です。

こんなんで誰かの参考になったんでしょうか。
なってなくてもまあいいです、私は書いてて楽しかったので。

結局のところ、自分が楽しんで書く、というのが一番大事なのかも。
書いてて苦しいと、続かないしさ。
自分が楽しく書いてたら、そのうちきっと、私の文章を「スキ」って言ってくれる人、一緒に楽しんでくれる人が現れるので。
そういう人に届く文章を、書いていたいね。


最後に、最近書いたライブレポを置いておくので、よかったら読んでね。

ライブレポ以外の、パッションだけで書いたイカレnoteもこっそり紹介しておくぜ。

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