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マタイの福音書2章1〜12節「博士たちのクリスマス-与えられた導きは何ですか?-」 2023年12月17日守谷キリスト教会

いつの時代も、
人間は自分たちが住んでいる世界とは別の、
目に見えない世界があると信じてきました。

そして目に見えない霊的な世界を映し出す鏡のようなものとして、
夜空の星を見上げることがありました。

古代のイスラエルも、
また他の文化圏の人々もまた似たような世界観を持っていました。

イエスの誕生を祝いに東からやってきた博士たちは、
占星術に精通していたと考えられています。

彼らは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方の星が昇るのを見て」、
エルサレムにやってきたのでした。

博士たちはどのような思いで夜空を見上げ、そして旅に出たのでしょうか。

彼らもまた、
私たちと同じように、

誰かから愛されたい、
そして自分の人生に意味を見出したい

という

魂の渇きを持っていたのかもしれません。

だからこそ、彼らにわかる仕方で救い主の誕生を知らされたことに、
神の温かさを感じます。


この一年間も、私たちは様々なことを選び取って歩んできました。

直接聖書から判断できたことばかりではありませんでした。

身近な人々との会話や自分自身のライフステージの変化、
あるいは日々のちょっとしたことを、
博士が見た星のようなきっかけとして、進む方向を選びとったこともあります。

神はそのような日常の些細なことにも働かれ、
今年もここまで私たちを導いてくださいました。

それは神の国がこの目に見える世界に建て上げられ、
私たちも、そして私たちの隣人もますます祝福されるためです。


一方で、
もっとわかりやすく導いてくれれば良かったのにと
振り返る出来事もあったかもしれません。

博士たちのように、
星を見失ってヘロデ王のところに行ってしまうこともあるのです。

結果を知る私たちから見れば、
博士たちは聞くべき相手を間違えました。

その選択はベツレヘム周辺の幼い男の子たちが虐殺されるという
大変な悲劇を招きました。

しかし神はこの猜疑心の強いヘロデ王さえも用いて、
彼を通して博士たちにベツレヘムを指し示したのでした。


私たちはこの一年をどのような星によって方向を決めて歩んできたでしょうか。

現代に生きる私たちは忙しなく、誰でも一生懸命です。

アドベントは、
一度この世界に来られたイエスが再び来られることを待ち望む期間でもあります。

この時にこそ聞こえる声、定まる方向があるのです。

だから一度安息の時を持ち、ヘロデに利用されることのないよう、心しましょう。


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