『パリの友達』読書感想文


#読書感想文

約20年前、私が大学生のときに、文章を書く講義(講義の名称も忘れてしまった…)で書いたものです。90分の授業の一番最初に教授がその日の「お題」を出し、学生たちがそれに沿った文章を持参の原稿用紙に書き、講義の終わりに提出し、翌週の講義で教授からのコメント入りの原稿用紙が戻ってくる、という内容でした。その日のお題は「一冊の書物」でした。

一冊の書物

高校生の時『パリの友達』という本を読んだ。私はその本を書店ではなくビデオ屋の一角にある本のコーナーで購入したと記憶している。つまり、「さあ本を買おう。良い本が見つかるといいなあ」という気持ちではなく、ビデオ屋に行ったついでに「どんな本があるのかな」くらいの気持ちでその本と出逢ったわけである。

しかも書店と比べて本の数量では完全に劣るビデオ屋のコーナーの中からではあるが、その本を選び出した動機と言えば、ただ単に表紙がかわいかったということと、題名の”パリ”という言葉になんとなく良い感じを覚えたからだった。

しかし今思えば、このなんとなく良い感じこそ、この『パリの友達』という本の大切なポイントであった。

主人公の女の子はちょうど今の私と同じくらいの歳で、なんとなくパリに憧れて留学までしてしまった。「なぜパリに留学したのですか」と聞かれると、その女の子は困ってしまうという。理由はなんとなく、であるからだ。

しかし彼女は何と言われてもパリが大好きだ。パリのベンチでジーンズをはいてダボッとしたマフラーを巻いた自分が地図を眺めている姿が、これまたなんとなくカッコイイのではないかと思うそうだ。

この本を読むまで、私は自分の持つ”なんとなくいい感じ”を、どう表現していいのか分からなかった。とても幸せな感覚なのにうまく表現できないことがもどかしい気もした。

私の”なんとなく良い感じ”は、春の風を感じた時や、映画や写真で日本にはない外国の街並や風景を見た時や、現実にはありえない絵本やマンガの中で人間以外の生き物が人間のように生活する様子を見た時などに生まれる。

言葉で表現しようとすると、ボキャブラリーの不足ももちろんあるのだろうが、どうしてもうまくいかない。なんとなくワクワクする、だとか世界が広がる感じがする、だとかそういう感じだろうか。

この本を読んで気付いたことの一つは、この”なんとなく良い感じ”は人によって全く違い、だからこそ表現が難しいのだ、ということだった。

絵本を見てその感じを覚える人もいればパリにその感じを覚える人、お寺や車、海などがその対象となる人と、様々であると思う。

その感じを覚える対象の違う人に自分の対象に対する”なんとなく良い感じ”を表現するのは難しくて当然だし、全ての人が何らかの対象に対してそうの感じを持っているかどうかすら分からない。そう考えるともっと、それを表現するのは難しいことだと、私はずっと思ってきた。とても素敵な感覚だから、とても表現したいことなのに、と。

この本を読んで気付いたことのもう一つで、なるほどと共感し、とてもスッキリした気持ちのさせてくれたのは、この”なんとなく良い感じ”をどう表現すればピッタリくるのかということについての彼女なりの答えであった。

本の中の彼女も、何度も何度も「なんとなく」だとか、「感じ」という言葉を使っていた。しかし本の最後の方で、こんな言葉を残す。正確には覚えていないが、大意としては以下のような言葉だ。

『探しものなんて、はじめからなかったのかもしれない。でも私はいつも何かを予感している。予感。”なんとなく”としか表せなかった私の感じを表現するのに、とても勇気のでる良い言葉だ』

はっとした。そうか”予感”と表現すればいいのか、と思った。そう言われてみればそうだ。ワクワクする気持ち、世界が広がるような感じ、自分の知らない何かが起こるような、どこかにあるのだと感じられるような、そんな気持ちには”予感”という言葉がピッタリだ。

そういうことに気付かせてくれた『パリの友達』は私のバイブルのようなものであり、主人公の彼女と同様にこれからも私は”予感”を大切にしたいと思う。


今日、気付いたこと

以上が、約20年前に書いた私の文章です。

そしてなぜ今日、急にこの文章を思い出してnoteしているのかと言うと、この文章を書いてから約20年経ち、38歳になった私がこの予感について思うところがあったからです。

7カ月の次男を抱いて、多摩川沿いのだだっ広い駐車場を歩いていました。もう閉門時間も近付いていたので、停まっている車は数台でした。

曇り空でしたが、最近続いている梅雨のじめじめとした重い空気ではなく、もうすぐ夏がくるなという待ち遠しいような気配を含みながら、少し肌寒いくらいの、清々しい気候でした。

夕日が落ちていくところで、その向こうに走ってゆく電車が見えて、雑木林と誰もいないグラウンドに囲まれた駐車場でした。

その時、あの、予感がしました。なんとなく良い感じ、です。

そして急に思いました。大学生のとき、この文章を書いた時の私は、この予感という言葉を、未来に対することだと意識していました。予め感じる、と書いて予感なので、辞書的な意味でもこれからくる何かに対する感情です。未来にくる何か良いこと、希望、期待、→予感、と捉えていました。

でも、今日思ったのです。この予感は、この予感を感じている今、この時の幸せなんだ、と。これからくる何か幸せそうなもの、ではなくて、予感している今、この時が幸せなんだ、と。

腕に抱いている笑顔の息子がかわいくて、平和な日々がうれしくて、これから食べに行く焼肉がたのしみな、そんな今、この時の幸せなのだと、急に思いました。

気が付いてよかったと思いました。今日まで、この予感がすると、これからくる何か幸せそうなもの、を期待して、未来への期待感だけを捉えて、今、この時の幸せを見過ごしてしまうような捉え方をしていたんだなと思いました。

これからは、予感がしたときは、未来に期待するのではなく、今、この時の幸せをしっかりと思い出に刻めそうです。



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