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認知症とお母さんと芋けんぴ

先月から、母が認知症のため、入院している。

昨日買っておいた「芋けんぴ」をお土産に持って、母に面会に行った。

コロナ対策で、ガラスのドア越しに会話をするだけ。それでも、全然会えないよりはありがたい。

「お母さん、私のこと分かるかな、暴れたり、悲しんだりしていないかな」とドキドキしながら、看護師さんがお母さんを連れてきてくれるのを待つ。

ドキドキしているのだけど、5歳の子供(お母さんにとっては孫)が一緒だから、何でもない風に振る舞う。「ばっちゃん元気かな?」と声を掛ける。

看護師さんに付き添われて、お母さんが歩いてきた。ちゃんと、変わらずに自分の足で歩いていること、足取りも確かなことに、まずは安心する。

目が合うと、私のことが分かっているのか、いないのか、その辺りは正直、よく分からない。お母さんは「あら~」という感じで、少し戸惑ったような、それでも笑顔を見せてくれて、また安心する。

お母さんが「帰るの?」と言った。このドアから出て、自分は帰れるのか?という意味だと思う。それを聞いて私はドキッとした。

すかさず、看護師さんが「今日は帰らないよ」と言ってくれ、私も「今日はうちに誰もいないから」と言うと、お母さんは「あらそう」と、別に悲しそうでも不思議そうでもない感じで納得してくれて、このときが私にとっては一番ほっとした瞬間だった。

子供を見ると、もっと嬉しそうに「あら~!なんてかわいい…(何か言っているのだけど、聞き取れない)」と、ガラスのドアに手を当てていた。

自分の孫であるということが分かっているのかいないのか。

でも、お母さんが何を分かっているか分かっていないかは、私にとってはもはやどっちでもいいのだ。

お母さんが、「会いにきてくれて嬉しい」と思ったり、「かわいい子だ、嬉しい」と思ったり、「また来てね」と言って、つまり「また来てくれることが楽しみだ」ということが、大事なのだ。

お母さんが、今、穏やかでいられるということが大事なのだ。

最後に、「ありがとうね」と言って、お母さんは素直に看護師さんについて病棟へ戻っていった。

「ありがとう」はこっちのセリフなのだけど、と思いながら手を振って別れた。

私も二人の子供の親になってから、お母さんのことをたくさんたくさん思い出して、いつもありがとう、と思う。そのことを、もう正確にお母さんに伝えるのは難しいかもしれないけれど、それでも会ったときに、伝えていこうと思っている。

認知症になったお母さん。寂しいと思う時もある。街で、私と同じくらいの歳の女性が、お母さんらしき人と子供と3人で一緒に歩いているのを見ると、私にもあり得たかもしれない姿を思って、羨ましい気持ちになる時もある。

でも、お母さんはまだ生きているのだから、できることはある。

できることしかできない。

お母さんは今日のお土産の芋けんぴを、自分で手に持っていってくれた。お母さんはあんこやお芋やフルーツが好きだ。甘いものが好きだ。確実に、芋けんぴも好きなはずだ。

だから芋けんぴ、美味しく食べてほしい。ちょっとでいいから、嬉しい気持ちで食べてくれるといい。

お母さんの好きなお土産を持って、また面会に行こうと思う。

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