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仁義なき冬麗戦 第二幕

あの激戦から一夜が明けた。

俺は昨日と全く同じ道筋を、昨日とは全く異なる心持ちで歩いていく。大きな都市公園の側にある集合場所へ向かう途中、昨日はたくさんの野鳥が目についた。しかし、今朝は違う。

俺の両目に備えられたバードスカウターは、その対象をたった一種類のみに絞っていた。

そう、俺は今、カラスのみを探しているのだ。当たり前だが、カラスは大抵の場所で簡単に見られる鳥だ。道中、遠く近くにその声や姿は多く散見された。しかし、違う。俺のスカウターは、どのカラスにも反応しない。

正確に言えば、探しているのはカラスではない。その辺にいる似たようなカラスは、全員「容疑者」に過ぎない。探しているのは「犯人のカラス」だけだ。

「ヤツ」の犯した罪とは、昨日俺が食べるはずだった、レーズンロールパン(それもマーガリン入り)を誘拐した上、身ぐるみを剥がし、全身を激しく喰いちぎり、最終的に食べてしまうという、言葉にするのも悍ましい、正に鬼畜の所業としか言えないものである。いくら俺が鳥好きだからと言え、誘拐と殺害という二つの罪状の前では情状酌量の余地などあるはずもない。麗らかな冬の昼時を待たずして、見たこともない真っ黒な脅威に相対し、その生涯を閉じたレーズンロールパン(しかもマーガリン入り)が感じたであろう、刹那の恐怖は想像するに耐えないものだ。

もう少しで集合地点、即ち犯行現場へと到着するという所で、俺のスカウターが被害者の残存データを検知した。ふと、足元に目を遣ると、そこにはレーズンロールパン(もちろんマーガリン入り)と記された、空の袋が落ちている。俺のスカウターが、その袋のへりにこびりついた、血糊のようなマーガリンを見逃すはずはなかった。

痛かっただろうに…
怖かっただろうに…

被害者の視界に突如として現れた、真っ黒な嘴と、その奥に覗く真っ赤な地獄道。

いや、これ以上想像しても仕方ない。
俺は、俺に出来る事をするのみだ。

俺は顔を上げると、すぐそばに近づいていた、あの交差点をグッと睨んで、歩みを進めた。

そして程なく、俺は昨日と同じ場所へ来た。それは再戦の場であり、復讐の場でもある。

昨日と全く同じ地点へ、同じように荷物を降ろす。昨日と違うのは、周囲ではなく、真上を見遣った事だ。起動したままのスカウターが、この瞬間に課せられた宿命を思い出したように、電線に陣取った真っ黒な対象を睨みつける。


「お前か…。」

俺は小さな声でそう呟いた。
そう。あれが「犯人のカラス」だ。


物の本で目にした通りだ。犯人は犯行現場へ戻って来てしまうという、犯罪者心理が働いたのだろう。ヤツは俺が現れるのを、ここで堂々と待っていたのである。

カラスの構造色は、いつもなら紫っぽく見えるはずだが、今日に限っては違った。志半ばで息絶えていった、レーズンロールパン(言うまでもなくマーガリン入り)の仇を討ちたい、俺のその心意気が、カラスの羽色を燃えるような真紅に染め上げていた。

ヤツはヤツで、「また良い鴨が来た」とでも思っているのだろうか、電線の上からその優れた視力で、俺の動作を具に観察しているようだ。

予め宣言しておくが、俺は今日、いつものように真面目に仕事をしつつも、レーズンロールパン(withマーガリン)の仇を討ってから帰るのだ。しかし仇とは言っても、別にその命まで奪おうという訳ではない。

要するに俺は、結果的にこの勝負に勝てば良いのだ。例えばテレビのクイズバラエティなどでは、多くの場合、最終戦に多めの勝ち点が得られるようになっている。つまり、俺は今日勝てば、昨日の負けを取り返した上、この勝負の覇者となれるのだ。言い換えるならば、昨日は前哨戦で、今日の戦いこそが本戦と言えるだろう。

俺は人間代表として、鳥類最強の知能犯であるカラスに、精神的に「負けた」と思わせてみせる。それこそが、俺の目指す勝利の形と言えるのだ。

集合時間よりだいぶ早く着いた俺は、電線で待ち構えていたヤツとの睨み合いを開始した。お互いに先手を打たぬまま、しばらくは膠着状態が続く。しかし、これも作戦の内だ。俺の戦略はハナから決まっているのだ。

狡猾なイメージがあるカラスだが、そもそもヒトの方が何倍も狡猾な生き物である。ましてや、俺はこの勝負に勝つ為に、魂を悪魔に売る覚悟で臨んでいるのだから。

先ずは陽動作戦からだ。精神的に優位に立ち、いわゆる心理戦に持ち込めば、戦局は有利に展開するだろう。俺はヤツの動揺を誘うべく、敢えて手の内を見せていく。


なあ、カラスよ。

昨日のレーズンロールパン(至極のマーガリン入り)はさぞかし美味かっただろう。それで、頭の良いお前の事だから、あのニンゲンは今日もパンを持って来たに違いないと思っているだろう。


ふん…笑わせるぜ。


昨日パンが美味しかったからって、2日続けて食べれると思ったのか?

甘いんだよ。


「今日は、おにぎりだ。」


俺はそう呟くと、例のエコバッグの中から、コンビニ袋を出し、さらにその中にあったおにぎりを一つだけ取り出し、ヤツに向けて高らかに掲げて見せた。

「しかも、鮭だぜ。」

俺は自慢気に鮭おにぎりをチラつかせながら、更なる陽動を続けるのであった。


なあ、カラスよ。お前のその素晴らしいお目々で、よく見たらいい。今日、俺はおにぎりを三個持って来た。そのうちの一個を、今から食うぞ。小腹が空いたからってのも勿論そうだが、お前に開け方を教えてやる為だ。有り難く思う事だな。せっかく盗んでも、開けられなかったら意味ないからな。いいか、よく見てろよ。まずこの①って書いてあるとこをだな、こう持って、こう引くんだよ。それでだな、①の次は②だ。この②のとこをこうやって、引っ張るだろ。そうしたら残ってるこの③のとこを、剥がすんだよ。簡単だろう。

「んじゃ、頂きます。」

俺はそういうと、ヤツに見えるようにして、優雅なブレックファストタイムを開始した。


寒空の下に響いた、パリッという海苔の燥ぐような音が、確かにヤツの耳まで届いた。


なあ、カラスよ。

この海苔の光沢は、お前の羽の色にも似てるだろう。でも俺はお前を食べたりしないから、安心してくれ。俺はただ、このおにぎりの魅力をお前に教えてやりたいんだけなんだから。

冬場のおにぎりは、米の粒が芯まで冷えて固くなりやすいんだ。お前にもよく分かるはずだ。昨日食ったレーズンロールパン、あれ、マーガリン入ってただろ。あれな、寒いと少しだけ固まるんだよ。ガチガチってわけじゃないけどな、このおにぎりの米みたいに、ちょっと強ばるんだよ。味覚っていうのは、冷めてる時の方が感じ易いんだ。冷たいおにぎりも、固まりかけたマーガリンのパンも、塩分がより強く感じられる。だからこそ、仕事の合間に食うには持ってこいなんだ。俺はそういうの計算して食べ物選んでるからな。手当たり次第になんでもいいから漁って食べてる、お前とは違うんだよ。

それにしても、旨いなぁ。冷めたおにぎりの塩味に、紅鮭の塩味が合わさって、かえって甘く感じるんだよな。旨味の波状攻撃みたいだよ。

ああ、すまんすまん、もしかしてお前、おにぎり食った事ないのか。

じゃあ、残り二個のおにぎり、ここに入れておくから、昨日みたいに盗んで食ってみたら良いじゃないか?


盗 め る も の な ら な 。


いいか、カラスよ。この残り二個のおにぎりは、お前の大好きなコンビニ袋に包まれているぞ。だが、外からは見えない位置にある。このリュックサックの中の、どこかだ。昨日より遥かに難易度が上がってるな。

お前に開けられるか?
このリュックサックが。

いや、まあ、無理だろうな。
どんなに知能が発達していようと、この難関は突破できないだろう。リュックサックの構造は、お前が思ってるより複雑だからな。

と、いうわけで。



「悪いが、今日は勝たせてもらう。」


俺はそう呟くと、仕事用の白い手袋を装着し、ヤツに合図をするようにして、右手をスッと上げた。

「じゃあ、俺は仕事してくるから。せいぜい頑張るんだな。」

即ち、これが開戦の合図だ。


俺は敵に敢えて手の内を見せた状態で、荷物をそこに残して仕事へと向かった。

果たして俺は、カラスの知的攻勢に屈してしまうのか。それとも、人類の叡智がその攻撃からおにぎりを守り抜くのか。いや、考えるまでもないだろう。俺は必ずこの勝負に勝ち、仇を討つのだから。


俺の大きな手提げは、その口を天へ開いたままである。ヤツが本能的につつきたがるコンビニ袋は全て隠して、俺のリュックサックだけが見えている状況である。初見の相手であれば、ここに食料があるというは思わないだろう。しかしヤツは昨日の狩りを成功させ、学習している。さらに敢えてヤツには、獲物がリュックの中にある事を教えた。通常であれば、ヤツの方が優位である。

だが、俺が仕掛けているのは心理戦だ。「探したけど見つからなかった」という状況より、「確実にあると分かっているのに取れない」という状況の方がずっと悔しい。ヤツには、その悔しさをこれでもかと味わってもらう為に、わざとおにぎりを見せた。だが、勝つのは俺だ。およそ3時間後に、電線の上で悔しがるヤツの姿が目に浮かぶ。

昼の休憩までに、この「冬麗戦」の雌雄は決する。俺は自分の作戦がこの手に勝利をもたらすと信じて、午前中の仕事につとめた。


そして3時間後、その時はやってきた。仕事を終えた俺は、スカウターを起動しながら、戦局のど真ん中へと歩いていく。交差点の向こうから、自分の荷物を置いてある辺りに照準を絞ったが、昨日のような凄惨な被害は出ていないようだ。自分の荷物へ近づくに連れ、自信が確信へ変わっていく。荷物は全く荒らされていない。もしやこれは、不戦勝なのでは?そんな事を考えながら、俺は手提げの中を詳しく確認していく。

これは分かりきっていた事だが、リュックサックの口は留め具でパチンと留めてあるから、どう頑張ってもカラスには開ける事ができない。当然、リュックサックの口は閉じられたままで、もちろんその中身は全て無事である。しかし、俺の目的は、ヤツを心理的に負かすこと。全く歯がたたず、完敗させるというやり方もないわけではない。しかし、一瞬でも勝利が過った敗北には、計り知れない精神的ダメージが残るのだ。

リュックサックの側面には、いくつか小さな収納スペースがついているが、そこは留め具ではなくて、ジッパーを引いて開ける仕組みになっている。そして、いくつかあるうちの一つに、開けようとした痕跡が見えた。ジッパーが半分くらい開いているのだ。

「ふふっ…」

俺の口から思わず笑い声が漏れる。

実は、最初にジッパーを開けたのは俺自身だ。敢えて少しだけ開けておく事で、隙間から中にあるものが見える状態にしておいた。ヤツの視力であれば、「それ」が見えると分かっていたからだ。そして案の定、ヤツは「それ」を見つけた。途中まで開けて、強引に引っ張り出そうとしたのだろう。隙間からは、俺が隠した「それ」が覗いていて、端の辺りが食いちぎられているのが分かった。


「上手く取り出せなかったか。」

俺はそう言って、“あたかも今気づきましたと言わんばかりに”、電線を見上げると、力を込めて呟いた。


「残念だったな。」


”さっきからずっとそこにいた”犯人に向かって、俺はその一言を放った。そして中途半端に開いているジッパーを完全に開くと、中身を取り出してヤツへ見せた。


「こんなの、食えたもんじゃないけどな」


なあ、カラスよ。

勝ったと思っただろう。
白いコンビニ袋、見えてたもんな。
お前ならやると信じてたよ。

だけど、つっかえて取り出せなかったんだろう。食い物を諦められずに、お前は尚も袋を引っ張った。ここにおにぎりがある事は分かっている。その開け方もバッチリ予習済みだから、そう簡単に諦められないよな。気持ちは分かるよ。でも、狭いポケットに中身が引っかかって、ビニールだけが千切れたんだろう。もしかしたら、何度かトライするうちに、中身が見えたのかもな。でもな、仮にお前がどうにか中身を引っ張り出せたとしても、結論は同じなんだよ。

お前は気づくんだ。
これは、食べ物じゃないって。

そして、悟るんだよ。
「敗北」という名の結末を。


そうして、俺はコンビニの袋からそれを取り出して見せた。それはまるでカラスの羽のように真っ黒な、折り畳み傘だったのだ。


前回お伝えしたように、この仕事は基本的に屋外警備が主なので、携帯できる折り畳み傘は必須アイテムである。そして濡れた傘を再び収納するのに、コンビニ袋が役に立つというわけだ。リュックの側面にある、ジッパー付きの小さなポケットへ、差し込むように縦に入っているから、取り出す為にはジッパーを全開にしないといけない。

カラスはジッパーの隙間から覗く白いゴミ袋を見つけ、昨日の成功体験が過った。これを引っ張り出せば自分の勝ち。そう確信したはずだ。ところが、上手く取り出せない。その上、中身はどうやらおにぎりではなさそうだ。その嘴から勝利の二文字が零れ落ち、代わりに敗北という大きな二文字だけを背負って、ヤツは電線へと舞い戻るハメになったというわけだ。



どうだ。驚いたか?
これが、人間の知能だ。
まあ、お前には分からないかもな。

じゃあ教えてやるよ。
お前は俺に、欺かれたのさ。


欺くという行為は、人間に備わっている知能の中でも、いわゆる悪知恵と言われるものの一種さ。ただ、俺達人間は、日常的に他人を貶めているわけではないから、それは抜かない刀として、腰元に差してある事が多い。だが、これが戦いである以上、その刀を抜く事は、正攻法の定石と言えるんだよ。

お前は事前に得た獲物のデータを信じ、犯行に及んだ。そして、まんまと俺の策略にハマり、摑みかけた勝利を目の前に、泣く泣く獲物を諦めた。そして、すごすごとその電線へと戻ったわけだ。

見たか。これが名刀「欺き」の鋭利な太刀筋だ。その心に刻まれた切り傷は、一生癒える事はないだろう。


さぞかし、さぞかし、
悔しかったのではと推察致します。

心中、察するに余りあります。
御愁傷様としか言えません。


当方は、売られた喧嘩を買ったまで。
どうか、悪く思わないで頂きたい。

鬱憤を晴らすかのような、怒涛の如き文言が、俺のスカウターを高速で流れていく。そのアツい想いが届いたのだろうか、電線の上で、ヤツは絶句している。初めて体感する「因果応報」に、打ちのめされているのだろう。


仁義なき冬麗戦、勝負あり。
勝ち名乗りは揚げるまでもない。

そう、戦いは終わった。
今は静かに、犠牲者を弔うのみだ。

これ以上過失を咎めたところで、失われたものが帰ってくるわけではないのだから。


俺は戦いに疲れたこの手を、仕事着の白い手袋から解放してやった。リュックに隠された残り2つのおにぎりが、今か今かと俺を待っているのが分かった。

これから俺は、麗らかな冬の日差しの中で、昼食という名の愛しき時間を過ごすのだ。そしてそれはもう、誰にも奪われない時間だ。


外した手袋を持ったまま、俺はその右手をサッと上げて、事実上の終戦宣言を行う。


「じゃあな。」


俺のこの捨て台詞が、ヤツの耳に届くと同時に、ヤツもまた一声を発した。


「カァー」


その刹那、ヤツは電線から飛び立った。負け惜しみのような一声を、ここに残して。



だがあの時、あの一瞬に、あそこで起きた事が、この戦局の全てを覆す事になる。そう、あの一声は決して、負け惜しみなんかではなかったのだ。

その声が、この耳に届くより僅かに早く、ヤツに向かって掲げていた、俺の右手に何かが触れた。


俺は、今まさに電線を飛び去っていくヤツから、掲げた手元へと視線を戻す。

仕事着である白い手袋と、脱いだばかりのその手袋を持つ右手を、スカウターは捉えている。

その手袋も、右手も、等しく汚されている。
そう。これは、仕事の汚れなんかじゃない。


俺のスカウターは、いつにも増して無言だ。


指先に、茶色と白が混ざりかけたような、半液状の物質がこびりついている。その手に握られた白い手袋にも、同じものが付着している。だが、素肌と違うのは、瞬時にその液体が染み始めていた事だ。そして、白い布地だからこそ、その茶色が純粋な茶色ではない事が分かった。白い布地へ染みていく水分は、確かに黄色がかっていた。

俺は、俄には信じられなかった。
いや、信じたくなかったのだ。

水分のように見えた、黄色いそれが、正確には水分ではなく、“油分”である事を。



俺は初めて、このスカウターを疑った。そして、嘘だと言ってくれ、誤表示だと認めてくれと、切に願った。しかし、俺のスカウターとは、この人生に培われた俺自身の観察眼そのものなのだ。見間違える事は絶対にないのだ。長年に渡り対象を追い続け、観察する事に長けたそのスカウターが、無情な結論だけを示している。



この手を汚しているものは、汚物なんかではない。これは帰らざるものの、変わり果てた姿。


即ちこの黄色い液体は、マーガリンなのだ。



俺は帰らざるものに対して、できる事ならこの手元に戻って来て欲しいと願った。

そう、心の中で確かに願ったのだ。

でも、まさか本当に帰って来るなんて。
それも、こんなに変わり果てた姿で。


俺は、こんな形を望んだわけじゃない。
こんな結末を、受け入れられるはずがない。

勝利から敗北へ、天国から地獄への急転直下。俺がヤツへ与えるはずだった精神的苦痛は、それよりも遥かに肥大した状態で、自分自身へと跳ね返って来てしまったのだ。


怒りや哀しみ、憎しみ、諦観など、あらゆる感情が同次多発的に爆発しては消えていく。


帰らざるものは、物言わぬものとしてこの手に戻った。俺は言葉を見つけられないでいた。帰って来たからといって、「おかえり」なんて言えるはずもない。


俺は、筆舌に尽くしがたい感情の渦に咽まれながら、しばし呆然と立ち尽くしていたが、同時にその指先は、悔しいくらいの温かさを孕んでいた。そう、ここに熱がある事が、何より悔しくて堪らなかった。帰らざるものの残像に、熱だけが残されているなんて。


俺のスカウターは尚も、その変わり果てた姿から、ピントを外せないでいる。

渦巻いていたあらゆる感情の波の向こうから、巨大な虚無が近づいて来るのが分かる。

復讐心には、最初からこれっぽっちの対価もなかった。欺きという名の太刀は、返り血に塗れて錆びていくだけの鉄屑に過ぎない。俺は今、完全に無力な生命体に成り下がったのだ。

まるで、冬の海が凪いでいくかのように、果てしない沈黙が辺りを支配し始めた。

これは幻聴だろうか。その沈黙の彼方から、微かに声が聞こえてくる。


「ねえ、笑って」


辺りを見回しても、誰もいない。しかし、俺の心耳には、確かに誰かが語りかけてくる。

眼前に染みた黄色い残像へ冬の陽が差して、そこに詩の欠片が浮き上がっていく。俺のスカウターは涙を堪えながらも、その“詩”を具に書き留めた。





『あなたのレーズンロールパンより』
〜マーガリンという愛を込めて〜


もう哀しいテレビは消す時間
あなたの言葉を聞かせて欲しい

本当かしら
世界は曇り続けてるって
忘れないで
いつだって雲の上は晴れてる

もういいのよ
戦わなくていいの
勝ち負けだけが人生なんて
本当は思っていないはず

同じものが好きな二人の
嫌いなものはきっと違う

好きなら好きって言うだけ
幸せってシンプルなのよ
その好きに肩まで浸かって
朝まで語り明かすだけ

夜は月を明るくする為に来る
朝は影を愛しく見せる為に来る

そうして冬が
あなたを冷やしてく
その手が何度も何度も
この熱を掬えるように

私の想いはあなたに届く
強張ったものはいつか
必ずほどけてゆく定め

次こそはあなたの番
あなたの番なのよ


哀しいテレビを消す時間
あなたが言葉を選ぶとき

風は揺るがぬものの為
悲劇は喜劇に変わる為

そうして言葉が
あなたに選ばれる

ねえ笑って

チャンネルを変えるのは
あなた









そうだ…
言葉は本来、楽しく選ぶもの。

だからこそ、悲劇は喜劇に変わり得る。


言葉には、チャンネルを変える力がある。
そして、俺には俳句という趣味がある。
想いを季語に託すのが、俳句の骨法だ。
悲劇を喜劇に変える季語を、
選べば良いだけなんだ。

ふと気がつけば、いつのまにか「冬麗戦」から一字が欠けて、「冬麗」という季語だけが、優しく俺に寄り添っていた。

誰も経験した事のないようなリアリティが、この指先にある。その熱を掬い取るようにして、俺は喜劇の17音を選び取るのだった。




『冬うらら鴉の糞があったかい』




仁義なき冬麗戦 第二幕
【完】

構成、本文、俳句 … 恵勇
友情出演 … 千葉県松戸市在住のハシブトガラス(指名手配中)

※しつこいようですが、丸ごと全て実話ですから、どうぞ笑ってやって下さい。もしかして第二幕から読んじゃった人は、↓コチラを先に読んで下さいね。


↓自分では何もしない恵勇に代わって、俳並連の首領ことヒマラヤさんが作品のまとめを作ってくれちゃいました。



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