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「おかしいことはおかしい」と声を上げることの大事さ。

ある日のリーディングで問いかけたこと

「どうすれば覇気を保ち続けられるか。弱気にならずに済むか。」

その答えは「自由でいなさい」。私たちはもともと自由なのだ。
それなのに人間が勝手に決めた構造に当てはめられて
自由であることを失い「支配されること」を余儀なくされた。

そこから脱却しなければならないのだと。

「なぜ私たちは支配から抜け出せないのか」

「なぜ私たちは支配から抜け出せないのか」
と名付けられた題目の形而上学書籍を読んでいます。

「自由」にまつわるテーマがいくつか書かれています。
本来何にも束縛されない自由なはずである私たちが
なぜ束縛を受け続けるような人生になってしまったのか。

生きている上で「法律」というものが存在します。
社会常識的には、法律を守っている人が「善」とされています。

しかし宇宙には法律なんてものはなく、法律なんていうのは
人間が勝手に作ったものだと。

為政者たちが自分の都合のいいように人を支配するために作ったものが法律。

だから法律に従っているからといって
宇宙の法則通りに生きているわけでないのです。

法律に従わなかったり
社会常識に異を唱えるだけで異端者の扱いを受ける。

異端者への扱いがあまりにも酷いので、そうならないように従順になる。
それが支配におけるカラクリなんだと。

異端者たち

社会常識に異を唱える潰された経験というのは
学生時代、会社員時代に私も経験しました。

社会常識や価値観に一石を投じただけで
集団生活においては居場所がなくなってしまう有様。

「おかしいことにおかしい」と異を唱え潰された経験が
家庭内においても学生時代や会社員時代においてもあったゆえに

私は家族や学校、会社において居場所がない人生を送ることになりました。

そんなだから私と同じように「おかしいことにおかしい」
と声を上げる者たちと仲間になったのは因果なのだろうと思った。

彼らも私と同じように集団生活においての居場所を奪われた。
ある人は会社の窓際族に飛ばされ、ある人は部署を移され
ある人は会社を辞めさせられ。

そんな人たちと一緒に時間を過ごせたのが自分の人生にとって誇りと言える。

「おかしいことにおかしい」って一石を投じるなんて
なかなかできることでない。

おかしいって思ってたって、怖くてできないんだから。

だから「おかしいことにおかしい」って声を上げる仲間と
一緒にいることが心強かった。

かつて私がコーチング理論にすがり
頑張って勉強しようと思ったのはまさにそこにあったのです。

私は体制側からすると、いつもそこから外れた動きばかりしているから
親兄弟や周りの連中から常に「お前はおかしい」と言われてきた。

周りの人間からすると
「常識」をことごとく遮断しまくった私は「狂人」なのだろう。

「普通」ではない起業塾に通っても、やっぱり彼らの枠から外れて動いていた。

だけど私からすると「普通」に生きることが全くつまらないものでしかなかった。

会社や学校の言いなりになるまま従順になるだけで心を殺して生きていく。
これは最高に苦しかった。

終わりに

支配の仕組みなんて悪魔のような者が作った巧妙な手法に思える。
頭混乱させるようなことばかりやって思考停止にさせて支配させる、
全くうまいこと考えたよなぁ、

それにまんまと私たちは乗せられてるわけで。

私の周りは「おかしいことをおかしい」という人たちの方が多かった気がします。

「普通」か「狂人」かどっちが話してて楽しかったかといえば後者の方。
「おかしいことをおかしい」と言えるのは貴重な才能だと思います。

勇気を持って言えない側の私がその有り様を見て
どれだけ勇気づけられたことか。

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