Time will tell
明日、お世話になった教官の3回忌に出向くことを、何度も考えた末に決断しました。私にとっては最後の教官でして、つまりフェイルする事となった時の教官です。今まで悲しいトラウマゆえに、どうしても霊前にて弔う気持ちになれませんでした。
私はこんな個人的な情報を配信して良いのか悩むところではありましたが、私と言う人間を少しでも理解して頂きたい一心で書いてみます。突然、消去してしまうかも知れませんが事情を鑑み、ご理解の程よろしくお願いします。
さて本題に。私は自社養成のパイロット訓練生でした。
しかしながら計器飛行証明を取得するのに失敗して地上職に回されました。元々、別にパイロットになる事を強く希望していた訳ではなく、何となく試験を受けて何となく訓練生になりました。
私は訓練過程を通して「自分はパイロット向きではない」と気付いておりましたが、やはり改めてフェイルすると、かなりのショックでして、その後毎晩、悪夢をみるくらいにトラウマになりました。
まあ、今は別の厄介な問題と闘っている訳ですが、冷静に客観的に見ても、辛酸を舐める過酷な人生と言える気がします。
しかしながら、歳を重ねていると、色々な哀しい思い出もだんだんと色褪せて、記憶の隅に片付けられて行くものです。
記憶というものは不可思議なもので、嫌な記憶は薄れていきます。私はもう訓練生として悩まされたトラウマからは解放されたと思います。
当たり前の話ですが、当の教官だって、自分の教え子がフェイルすることで、少なからず心に影を落として生きていらした筈だとやっと気付いた訳です。
そんな訳で、明日は彼のご冥福を祈りつつ、集まった同期と旧交をあたためて来ようと思います。今の私は世の中を恨むような心持ちからは解放されており、ささやかながら安定した暮らし向きを維持出来ている、と報告して来る事に決めたのです。
私の心はまだまだ成熟しておりませんが、一歩ずつ進んでいくつもりです。
側からみると優雅な暮らしに見えるかも知れませんが、その分苦渋を味わいました。私は、半分リタイアした気分です。還暦を前にして、もう何も望まないし期待してもおりません。
おかげさまで気持ちだけは若いので、色々と泣き笑いはあります。そんな人生の一ページを日々したためていく次第であります。但し私の記憶の回廊の中での話ですが。
若いうちは買ってでも苦労しろなどと言いますが、何をどれだけ背負い込むかは程度の問題だと思います。人間として、しなくていい苦労もあるものではないでしょうか?
私は世の中の人のために何もできなかったと後悔することが多々ありますが、人生は冒険である事については異論を唱えません。
boys be ambitious.
出来たら私は私らしくありたいし、ちっぽけですがまだ夢見る事はあります。
人生には目的があるのかも知れませんが、人生の目的は「生きがい」とは異を成すというのが、私の見解です。
私はパートナーと友人に恵まれて、穏やかに余生を過ごしています。寄せては返す波のように、心乱れる時もありますが、時が解決してくれます。
時間が経てば分かる。
時間は伸びたり縮んだり。不思議ですね。
優しく丁寧に。