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サビアンシンボルと二十四節気ー寒露

昔の人は「秋の日は釣瓶落とし」といいましたが、夕方になるとあっという間に日が沈んで周囲が暗くなるのを、井戸から水を汲みあげる桶の様子に例えてそう表現しました。
昼間はまだ暑さが残る日も、朝晩は少々冷えます。

節気「寒露」の初候は鴻雁来(こうがんきたる)。
「かりがね寒」とは俳句の季語。雁の群れの鳴き声と肌寒さとが結びついたもので聴覚と微妙な気温を合わせて見事な言葉です。
渡り鳥の雁が群れをなして飛来するさまは趣がありますが、漢詩にも次のように詠まれています。

    蜀 中 九 日        王勃(おうぼつ)
九月九日望郷台   九月九日 望郷の台
他席他郷送客杯   他席他郷 客を送るの杯
人情已厭南中苦   人情 已に厭う 南中の苦
鴻雁那従北地来   鴻雁 那(なん)ぞ北地より来る

      蜀の国の(九日)九日     

九月九日(旧暦)に故郷を臨む高い台に登った。
そこからは(他国の)宴席が見え、旅立つ人を送るため
杯を酌み交わしていた。
都より南方の蜀にいる私は、侘しくてすっかり嫌気がさしているのに
雁の群れはなぜ北を去って南に来るのだろう。
※ 旧暦9月9日は重陽の節句。この日は一族そろって高い丘で菊酒を
  飲む習慣があったそうです。

新米や梨、栗、柿など里山の恵みを楽しむ季節となりました。それと同時に衣替えをして来る冬への準備を...と移行する頃ではないでしょうか。この漢詩では次候「菊花開(きくはなひらく)」の菊も詠いこまれていますが、王勃の寂しさが秋を深めていく寂寥に重ねられて強く伝わってきます。

西洋占星術では天秤座後半を進行中です。サビアンシンボルの世界でも安定から次の時期への展開を進めていくプロセスが語られていきます。
16度のシンボル「流されてしまった船着き場」。光景だけを見ると不運な感じが漂っています。しかし前度数15度の「環状の道」の安定や調和を破っていくことで、新しい展開が暗示されているのではないでしょうか。その裏付けに18度「逮捕された二人の男」ではいったんトーンを落とすものの、19度の「潜伏しているギャングたち」では新しい方向を企んでいる動きがあります。企みは20度「ラビ」の伝統的な知恵によって醸されます。
22度「噴水で鳥に水をやる子供」には癒しの要素がありますが癒されるのはどちらか、という視点も大事かもしれません。23度「雄鶏」で時代の潮流をいち早く察知し次の24度「蝶の左側の第3の羽根」には「環状の道」から脱却した象徴が表現されているのではないでしょうか。とくに左側の意味するものに理解の鍵がありそうです。
天秤座の完成を味わうのが26度「鷲と大きな白い鳩が絶えず姿を入れ替える」。対応を柔軟に変えていく姿が見えてきます。天秤のバランス感覚に通じるのかもしれません。28度「深い闇にいる男に天使が降りて来る」になると次のサイン、蠍座へのいざない、天秤座を超えようとする衝動があります。それを具体的に感じさせる29度「互いの知識の範囲に橋を架ける方法を模索する人類」を経て迎える30度の「哲学者の頭の3つの瘤」。瘤の中に知識と知恵の完成がストックされてはいるものの、だからこそ限界もあり、いよいよ次の蠍座世界の深みへと踏み込んでいく決意があります。


サビアンシンボルには、象徴の中にキリスト教文化や語られた時代背景のバイアスはあるものの、象徴で語ることに言葉の具体性を超える自由さと深淵とを感じます。
個人チャートにスライドさせると「そうそう!」と納得できるものもあれば「何それ?」と謎を突き付けられるように思えることもあるでしょう。しかし当たる、当たらないを超えて個人の物語を紡ぐ視点に立つと、これほど雄弁なガイドはないのかもしれません。

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