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Gutsヒロのスイーツ・ストーリー「光と影:失ったものを取り戻す。コンテストへの情熱篇」

こんにちは、Gutsヒロです。「Gutsヒロのスイーツ・ストーリー」へようこそ!私のnoteに来ていただきましてありがとうございます!この記事を見た方には興味を持って頂ければ幸いです。

まず、皆様に報告があります。前回の投稿のGutsヒロの逆境からの復活へ!笑顔と決意の物語篇で書いた、先日の腰の捻挫をし、しばらくお休みさせていただいておりました。皆様の暖かい応援のおかげで、徐々に生活を取り戻しています。心から感謝申し上げます。
腰の怪我からの回復は時間かかるかもしれませんが、皆様の応援が私を支えています。これからも精一杯、お菓子作りに励んでまいりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

それでは、今回のnoteをお楽しみください。皆様の温かいサポートに心より感謝しております。


「夢と現実の狭間で:パティシエの選択と生きる覚悟」

以前の投稿記事にも書きましたが、調理師専門学校卒業後、私はある飲食店に就職しました。当時、就職するときは、私は成績が良かったので優先的に学校から沢山の就職先を教えて頂いたり、講師をして頂いた先生からの嬉しいお言葉もありました。そして、最終的に3つに絞るのですが、1つは東京の有名パティシエのお店。そこのお店の先生は学校に行く前から、本でも参考にさせて頂いたこともあり、尊敬する先生で実力派のお店でした。きっと修行し、勤め上げることができたら立派なキャリアとスキルが得られ、レベルの高いパティシエになっていたでしょう。しかしながら私の持つ精神疾患と体力的なことでそのお店に理解を求めるとしたらという時点で学校の先生と、精神科の主治医の意見から東京で一人暮らしで診察しながらだと到底難しいことがわかりました。

そして、2つ目のお店は私の地域で1番売れている個人でやっている洋菓子店でした。そこのお店は代表にも選ばれていて、洋菓子専門店なので実力派のお店でした。私はそこのオーナーシェフとは、色々なご縁の関係でとても良くして頂いたこともありました。
しかし、そこで働く1つ上の先輩の情報を聞くと私のキャパシティを超える仕事の量の情報でした。私は、そこのオーナーシェフのお菓子をとても学びたいと思っていましたが、長く働くには難しいので諦める決断をします。

そして、3つ目のお店が、就職したお店なのですが、そこは大きな会社でパティシエが10人ぐらいいる規模の職場で、メニューは少ないものの美味しいお菓子を作るお店でした。ただし、メニューは少ないものの作る量は普通のケーキ屋さんの倍以上作る忙しさでした。そして、社会保険があったり、残業は無いという話と聞いたのでいいなと思いました。

私は何を優先すればいいのかとても迷いました。パティシエとしてのキャリア?それとも技術的なもの?それとも社会保険があること?

学校には選択に時間がかかり、すごく迷惑かけてしまいましたが、色々な人の意見やアドバイス、そして私がどうしたいのかよく考えました。

私は母に少しでも楽に生活させたいことを選択しました。以前の投稿でもあるように私は最高の形でパティシエの一歩を踏み出すことができました。それは沢山の人のおかげでもありますが、1番は母の支えでした。
そして、私も母も3つ目の会社に選択することになり同意見で就職することにしました。それは大きな会社なので障害者雇用を重視できると言ってくれたこと、残業もなく無理せず働けることを会社と約束してくれたのが大きな要因でした。しかしながら、現実は無給の残業があったり、家での作業が多かったり、障害を持つ私が先輩従業員より大変な仕事を色々任される実態でした。定時になると「残業する人はタイムカード切ってからやってください」とチーフに言われたり、障害者雇用として働いているのに4人でやっていた作業を1人でやらされ、それから半年の間に1つも改善してもらえなかったこと。これをホワイト企業とうたってる会社の裏の顔を目の当たりになった事実です。
そして、仕事のストレスによる原因だと思われる潰瘍性大腸炎を患い、この会社の夢も希望もない将来に確信をして、退職することになります。



「失ったものを取り戻す。スイーツコンテストへの情熱」

私の人生はどこで間違ったのだろうか?最高の形で学校を卒業しパティシエになったのに。就職して職場では数々の功績を残し評価されたのに。しかしながら最後のその時の私はボロボロになってもう働く状態ではなく、職場では不要になった捨て駒のように捨てられた私がいました。私は、調理専門学校の行く前のような、働くことのできない状態になり、また母に手助けが必要な生活を送ることになりました。また病院ではデイケアに通って療養することを命じられました。私は、調理師専門学校を首席で卒業し、一流企業と言われた会社に就職するものの、働くことのできない以前の私が再現されたのでした。私の人生って一体何だったのだろうか?と何度も思いました。何百万円も使い学校をやっとの思いで2年間全うし卒業できたのに無職となったその時は、落ち込みがひどくて将来を考える余裕もありませんでした。たまたま学校生活が良かっただけでそれが私のピークだったのかな、って思うこともありました。そして、改めて料理の世界では自分の限界というものも見せつけられた思いでした。

そんな抜け殻のようになった私に、スマホからあるニュースが流れました。最初はもう「お菓子のことは置いておこう」と思いました。
しかし、そのニュースをもう一度見ました。その気になった言葉が

「スイーツコンテスト」


だったのです。私の心の中にある大事な部分が反応した瞬間でした。
私はそのニュースを調べ、コンテストがまだ応募できるか確認しました。調べたら

「まだ行ける!間に合う!」

私の心の情熱は再び灯しました。私は全て失ったわけではない、私は学校や会社、これまでの人生でコツコツと培ったものがあるんだ!このコンテストでそれを証明したい!そう思い、コンテストに出場することを決意します。

私は、持っている知識と技術で1週間で6つのレシピを作りました。指定された食材を使うこのコンテストでは、私はこの食材をお菓子の材料に変身させる試みをするのに、ある技法を使い見事に成功しました。普通はお菓子にしないこの指定された食材が今回のコンテストのネックだと思いました。この技法をもとに材料を使い洋菓子を作り、その他にもあらゆる調理法を用い個性のある6つのお菓子を作りました。味はもちろん、この食材の特徴を活かした当時の私にとっては最高傑作の出来栄えになりました。

そして、私のこれまでの人生を賭けたコンテストの投稿が完了しました。審査は1ヶ月経った頃だったでしょうか。毎日コンテストの結果を来ることをメールボックスを確認してドキドキしながら待ち遠しい日々を過ごしていました。
そして、その瞬間が来ました!

「スイーツコンテストの入賞のお知らせ」

私は嬉しい気持ちもありましたが、ホッとした安心した気持ちの方が大きかったのが正直でした。諦めずに挑戦して良かった。そして結果が実ったことが何よりでした。
そして、そのメールの内容は、
「とても素晴らしいレシピであり、ぜひ取り上げたいと審査員の強い推薦があり特別賞をお贈りいたします。〇〇様のレシピはどの作品も素晴らしく審査員からの感嘆の声が上がっておりました。しかしながら一般市民が参考にするにはレベルが高すぎるため、〇〇食材の消費を高めていくというコンテストの目的から外れてしまい得点が伸びませんでした。」
私はやり切って良かったと思います。私のお菓子から伝えるものが審査員の方に伝わってくれたことが涙するほど嬉しかったです。

私はこの時、仕事を辞めて終わったのではなく、まだ「通過点」に過ぎないことを確信した瞬間を実感するのでした。
そして、私の夢の続きがまた歩み出した瞬間でもありました。


あとがき

今回のコンテストの話を具体的にするとインターネットで私が特定されるため1部省略して書いています。事実を書いていますがご理解をお願い致します。

コンテストが終わり、感謝と希望に胸を満たされました。そして、私は自分の可能性を信じることができました。このコンテストは私にとって大きな挑戦でした。失敗の恐れや不安もありましたが、それまでの私の人生が、私を力強く後押ししてくれました。
この経験を通じて、私は夢を追い続けることの大切さを改めて感じました。困難や挫折があっても、信じる心と努力を持ち続けることが、夢への近道だと思います。これからもお菓子作りの道を突き進んでいく決意を新たにしました。

最後に、いつも私を応援してくださる皆様に心から感謝いたします。これからも私の挑戦を温かく見守っていただけると嬉しいです。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


Gutsヒロ

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最後まで読んで頂きましてありがとうございました!とても嬉しいです♪ これから更新して頑張って参りたいと思いますので今後とも宜しくお願い致します!