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イトヨを食べて思ったこと、考えたこと。(後編)

イトヨの煮干し。

さて前回に続きイトヨの調理編だが色々考えた末今回はイトヨを前面に押し出したラーメンを作ろうかと思案した。
この小さい魚体の中にこんなにも力強く芯のある旨味が詰まっているでイトヨの煮干しを作ったならばカタクチイワシやウルメイワシの煮干しにも負けない上質な素材になること間違い無しだろう。
…ということで鰓と内臓を取ったイトヨを沸騰した塩水でさっと日を通し天日に晒して乾燥させた。

干したら尚鎧感が増した…。
そして大量にできた。

硬く干しあがった煮干しを最初はそのまま囓ってみる。

生や加熱した時同様魚臭さはなく非常に素直な煮干しだ。
それなりに長く乾燥させたのもあるがギュッギュッとした強く筋繊維を感じさせるような噛み応えに仕上がった。噛んで唾液と混ざるとだんだんと旨みが濃くなっていき今までの調理法とはまた違った趣を出してくる。
非常にユニークな食材だなぁと痛感させられる。
これを今度は炙ってみよう。

美味しいのでたくさん焼いた。

香ばしさが出て食感もカリカリとしていてこれは完全におつまみだ。
焼いたことで塩気を感じやすくなり一匹食べるごとに飲み物を一口いれたくなる。
だが出汁として扱うなら焼かずに水から煮た方が脂を感じやすいだろう。

イトヨラーメン。

最後の味見を終えたところで何味のラーメンを作るかの方向性が決まり今回は魚介醤油ベースで行くことに決めた。
個人的な出汁取りのこだわりだが極力市販のものを使うのは避けたい。とはいっても市販のカツオ出汁や昆布出汁の力というものは偉大でいかにイトヨの出汁が強いといってもこれだけでは前者二つの旨味には遠く及ばない。というよりもただ水から煮だしてもイトヨの真価は発揮できない。
悩んだ末に冷凍庫にマルソウダとイシダイの素干しがあった事を思い出した。これらは遙か以前に作り記憶と冷凍庫の彼方に飛ばしていたものでここでようやく日の目を見る時が来た。
柱となる魚三種が決まったところでこれらを寸胴鍋に放り込み鍋にヒタヒタになるまで水を入れネギ、椎茸、ニンニク、ショウガを入れ魚たちがグズグズのバラバラになるまで煮込む。
都合3時間煮たところでこれらを取り出し濾していく。
豚や鶏を使ったかのような玉油が浮かぶ黄金色の出汁が取れた。(写真が見つかりませんでした。)
これに醤油、酒、味醂で作ったカエシを加え濃厚イトヨ出汁スープができた。
具に関しては時間が取れなかったので市販のチャーシューとメンマと煮卵を入れ、麺はスープが絡みやすいよう縮れた細麺を選んで…。完成。

真ん中にちょこんと。

これは…!
イトヨの嫌みのない穏やかな魚の出汁がなんとも心地よい。
じゃあ面白みが無いかと言われればそうではなく、スープを見ての通りの油が浮かんでおり飲めば「口の周りがペトペト」に「時間が経てば膜が張る」と豚骨や獣骨をベースにしたかのような芯があるような力強く深い深いコクがある。
他の魚のゼラチン質も煮出ていて一口目のインパクトはかなり大きい。
あくまで魚介醤油ベースなので胃にもたれたり飽きが早急に来るようなものでもない。
カタクチイワシの煮干しや豚骨臭さがない分イトヨの煮干しの方が万人受けしそうな印象をうける。
出汁に使ったイトヨは僅かながらにうま味が残っていたので最後の一滴まで絞り出すならミルサーで粉にしてさらにじっくり煮込むと良さそうだ。
なんなら更にキノコや野菜、貝類のアミノ酸をもっと入れて脳を刺激するような汁物を作ってみたい…!色々と想像が膨らむ。

恐るべきポテンシャル…!

思ったこと。

今回様々な角度からイトヨを味わい尽くし濃密な一時を過ごしたのだが…。
イトヨはもの凄く美味しい。それはそんじょそこらのスーパーや飲食店で扱っているような魚よりも格段に上だ。
しかし今現在このイトヨを利用している地域や食材として出す料理屋はもの凄く少ない。
勿論季節ものではあるし生息域によっては一生触れることのない生き物ではあるが一番はやはり「イトヨの数が激減したこと」「それにともないイトヨ食文化が廃れてきている」からだと考えている。
前編で触れたとおり新潟ではイトヨを春の味覚として珍重してきた歴史があり資料自体も残っているのだが、今、新潟県産のイトヨを食べることはまず不可能だ。
気合いの入った鮮魚店でも入ってくるのは北海道産のものでそれすらも頻繁に入ってくるものではない。
重ねて言えば今の一般家庭でイトヨを買う家はほぼ無い。

資源量が非常に少なくなっており昔は見かけた時期になっても市場には並ばず。
並ばないから知名度もあがらない。知名度が低くなっていくから食材として顧みられる事もなくなり文化も廃れ、保全活動の動きも鈍くなると悪循環に陥ってしまっている。
このままではウナギ同様、今後気軽に食べられなくなってしまう魚(今もおいそれとは買えないが)になるだろう。
一度廃れた食文化というのは易々と復活するものではなく文献の中だけに存在するようなものになってしまう。
細々とでもいいから誰かが生き証人として脈々と紡いでいってほしいものだ。

「そこのお前も環境保全をしろー!」とか「もっと地元の歴史に目をむけろー!」なんて口うるさく言うつもりはないが限りある資源をなんとかやりくりしている現代日本だからこそただ漫然と食べ物を口に運ぶのではなくその食材の背景や情報をほんのちょっとでいいから調べてみてほしい。調べたら味わうときにその情報をほんの少しでいいから思い出してほしい。
そうやって少しずつでも関心が高まればイトヨに限らず減少している資源を取り巻く事情をもっと改善できるかもしれない。
話は飛び飛びだし文章は拙いのだが私はこの北海道産イトヨを通して「食育」の重要性を改めて痛感した。

終わりに。

三回に分けたイトヨシリーズも一先ず今回で終わりになります。
閲覧頂いて恐悦至極です。
また面白そうなネタがあったら投稿します。
ここまでありがとうございます。
終わり。

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