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海外留学に踏み切れた理由を考え直した

海外留学中、ふと考えること。きっと今の留学は、少しずつの運命のズレが生んでくれたきっかけなんだと思う。

人とのつながりで人生が作られると言うけれど、私のワーホリに関してはまさにそうだ。


私は今、語学留学に来ています。フィリピン→カナダの2カ国留学&ワーキングホリデー。

ワーホリ自体は大学の頃からずっと興味があったのだけれど、1年間休学して海外に暮らす勇気も、予算もなかった。

大学を卒業したら、教員として働き始めた。一時期に比べたら大幅に倍率は下がってた時期だけれど、それでも試験を通り抜けて、それなりに社会的信用のある仕事に就いたという事実は、仕事を辞めるという選択を難しいものにした。

しゃあどうしてワーホリに行こうと思ったの?と聞かれたとき、コレ!という答えがないのだ。

強いて言うなら、今までの人生の一つ一つが積み重なった結果だとしか言えない。

制度自体に年齢制限もあるし、キャリアも考えなければいけない。だから、1年前の今頃は、ワーホリへの未練を断ち切ったはず、だった。

なのに。

当時働いていた学校の同僚が、何気なく「教員って1年間の休職とかできないのかな。ワーホリに興味あるんだよね」という話を振ってきた。

ずっと教員を続けると思っていたのに、労働環境に心が折れて辞めてしまった。

転職先の職場が社宅を用意してくれていた。そこには家電製品が備え付けられていて、それゆえに身軽になった。

小学校の頃に出会った友達と再会して、お互いワーホリに興味があることを知った。

元同僚だった英語科の先生が、教員を辞めたあとも仲良くしてくれて、ワーホリの情報を教えてくれた。

きっと全部運命の細い糸なんだろうなって思う。教員の世界で誰が同僚になるかなんて選べない。その同僚に影響を受けた。

小学生の頃の繋がりが、20年後の人生を変えた。

でも、きっとそれだけじゃない。大学時代、奨学金を支援してくれた財団がカナダへの短期留学をさせてくれたこと。そこで出会った人との思い出がある。もう5年以上前のことだ。

中高生の頃、英語が大嫌いで大の苦手だった。なのに、受験で必要だったから必死に勉強した。ある日突然に読めるようになった。そこから、英語を扱うことが楽しいと思えた。

授業をまともに受けずにやりたい放題内職してたのに、それを見て見ぬふりしてくれた先生のおかけだなあと今になって赤面しながら考える。

こうして考えると、今までの歳月の積み重ねが、そこで出会った人との関係が、私をワーキングホリデーに導いてくれたんだなって気付く。

きっと楽しいことだけではないけれど、そして今となっては連絡を取らない人もいるけれど、せめて自分の選択を誇れるように生活していきたいなと思うんです。

私の人生を支えてくれた人たちと未来でまた出会えたときに、ありがとうございましたって胸を張って言えるように。


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