脳性麻痺のにゃおちゃん〜プー太郎時代〜

みなさん、こんにちは!
にゃおちゃんです。

支援学校の卒業後はプー太郎でした。
2年ほどですかね。

支援学校の時からパソコン教室に通っていたので、MOSの資格を取ってしまおうと頑張っていました。
無事、MOSを取得してハローワークに通いました。

ジャンルは事務系です。
車椅子で働こうと思ったらデスクワークに絞られてしまいます。
行けそうなところを片っ端から履歴書を送りました。
障害者雇用をしている企業の合同面接会にも行きました。
ですが、なかなか厳しい状況でした。

家では、プロンボード(立位台)を使って、カレーを作ったり洗濯物を片付けたりして、できることをやっていました。

2年が経とうとしているある日、
ハローワークの人からお話があると言われたので、ハローワークに向かいました。

内容は作業所に行ってみないかというお話でした。
このままでは生活のリズムが崩れるということ、
方向転換の検討をお願いされました。
その点は私もわかっていました。

ハローワークの人は、
「いい?何も一生作業所に行けとは言ってない。行ってそれでも嫌やったら辞めてもいい。生活のリズムを整えるために行くんやって考えたら気持ちが楽やろ?」と上手に話してくれました。

私は作業所に行く決心をしました。

要するに考えが甘かったということです。
現実は厳しいものです。
ですが、この期間は無駄ではなかったと思っています。
なぜなら、いろんな経験を積んだほうがいいと気付けたからです。

「当たって砕けろ!」
当時、母親がよく言っていた言葉。
その言葉を信じて。

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