脳性麻痺のにゃおちゃん〜就労継続支援B型に通った勇気〜

みなさん、こんにちは!
にゃおちゃんです。

※ 就労継続支援B型は、雇用契約を結ばずに体調に合わせながら無理なく働き過ごすことができる障害福祉サービスです。略して就Bとも言います。作業所と言い慣れているため、作業所と記述させていただきます。

21歳の時です。

あれほど行きたくなかった作業所に行く決心をし、どうせ行くなら自分が楽しめそうな作業所に行きたいなと思いました。

PCを開き、ネットで片っ端から作業所を探しました。
すると、ある作業所の記事が出てきました。

″車椅子のウェイトレス″

私は「これだ!」と思いました。
当時、カフェで働きたい気持ちもあったからです。
すぐ母親に「ここに行ってみたい」と話しました。

作業所に問い合わせをし、見学に行きました。
雰囲気はとても明るかったです。
責任者と面談をし、作業の見学をしました。
気になっていたカフェも見させていただきました。
とても楽しそうでした。

⭐︎作業内容⭐︎
・雑貨作り
・カフェでの接客、調理、買い出し
・農園作業
・PC軽作業

★その他★
・交流会
※必ず給料日にみんなでごはん行ったり、水族館や動物園などちょっとしたお出かけをする日。
・キャンプ
・料理教室
・ストレッチ教室など

この作業所に行きたいと思った理由の1つは、車椅子の人も数名いたからです。
私の中では作業所は暗いイメージを持っていたので、こんな作業所は他にないと当時は思いました。

その後、3日間だったか忘れましたが体験実習に行き、正式に通うことにしました。
ずっと家にいたので体がついていかないということもあり、最初は週3のみ電車とバスを利用して通いました。
慣れてきたところで毎日通うようになりました。

作業は一通りやらせてもらいました。
ただ、他の車椅子の人達は合同会社の介護事業所で委託業務を任されていたので、厳密に言うと私のみでした。
そのため、カフェのレジ締めや集金など金銭的に関わるものは私に職員からお願いされていました。

やり甲斐があったのはカフェでした。
カフェ担当は2名+職員2名で回していました。
事務所で朝礼をしたあと、利用者を車に乗せ、途中で買い出しを行ってからカフェに向かっていました。
カフェでは、カレー作りやケーキ作り、接客・・・車椅子だろうが何だろうが関係ありません。
できないからやらない発言は通じなかったです。
お客さん相手なので指導がとても厳しかったです。

ある日、職員に指摘されたことがありました。
「お客さんにお盆から料理を取ってもらうな」と。
言い訳に聞こえますが、それはお客さんから「あ、取りますよ!」と言ってくれたので、私はお客さんからの厚意と受け取ったんです。
それを職員に伝えても伝わらなかったんです。
「お客さんに気を使わせてるだけやろ」と。
とても辛かったです。

それからこんな事もありました。
事務所はビルの中にありました。2階です。
3〜4階にはクリニックが入っていました。
ある日の朝、出勤してきた看護師さんに「一緒にビルの中に入りましょうか?」と声をかけてくれました。
私は「ありがとうございます!お願いします、すみません」と言って看護師さんのお言葉に甘えました。
ビルの入口には階段があります。車椅子の人は階段に板を置いて上らなけばいけませんでした。
それを看護師さんは階段に板を置いて私の車椅子を押して中まで入れてくれていました。
作業所は10時〜でしたが、電車とバスの時間の都合もあって私は30分早く事務所に着いてビルの前で待っていました。
寒い日も暑い日も雨の日もジッと待っていました。
声をかけてくれて手伝ってくれて優しい人だなと思いました。
その後も看護師さんはビルの中に入れてくれました。

ある日、作業所の職員に話があると言われ、別の部屋に行きました。
内容はクリニックの看護師さんから苦情が来ているとのことでした。
詳しく聞いたところ、クリニックから「あなた達は車椅子の介助はしないんですか?何時に出勤されているんですか?」と電話があったそうです。
職員から「作業所とは関係ない人に手伝ってもらったのは何でなん?」と聞かれました。
私は「看護師さんから声をかけてくれたから厚意と受け取って甘えた」と答えました。
職員は「看護師さんは負担に感じてるんやで?正直に言うと迷惑だと事務所に電話かかってきたんや」と言われました。
私は涙が溢れました。何で職員はそんな言い方するのかと。
看護師さんは私がずっと待ってるからそれを心配して電話をかけたんじゃないかなと私は思いました。
職員に電車とバスの時間を変更しろと言われたのですが、なかなか丁度いい時間がなかったんです。
ですが、バスの時間だけ変えました。ギリギリになるけど注意されるよりはマシだと考えました。
しかし、この事は辛かったです。
今でも繊細に覚えています。

それでも楽しかったです。
車椅子では困難なことばかりを経験させてもらえて、嬉しかったです。

この作業所に通い始めて、気になることがありました。
それは職員の行動や発言です。
利用者に対してやり過ぎなんじゃないかなと思っていました。
「やる気ないんやったら帰れ!」とか
「ええ加減にせぇよ!聞こえんのか!」などと利用者の服を引っ張りながら歩いていたり、利用者のリュックを2階の窓から投げ落としたり、利用者に対して怒鳴り散らすことが多くありました。
厳しく指導するのは良いと思いますが、見ていて怖かったです。

私は怒鳴り散らされることはなかったのですが、職員に一日口を効いてくれなかった時がありました。
当時、指摘が多すぎてもう何に対して指摘されているのかわからなくなってきていました。
確か、マルシェというイベントをやる際に、私がやるべきことがわかっていなかったからか何かで私を突き放したんです。
今思えば、「こうだから、こうします。いいですか?」みないなことを事前に言ってほしかったのかなと思います。

嫌だったことと言えば、電話対応ですね。
私は言語障害があるため、極力やりたくなかったんです。
電話はできないことはないのですが、人によっては伝わる人もいれば、全然伝わらない人もいるんです。
ですが、この作業所はそんなことは通用しません。
嫌なことは尚更やらせるんです。
辛かったです。

そんな状況が続いてしまったし、何より車椅子の利用者さん2名が急に亡くなったこともあって、疲労とストレスが溜まっていました。

亡くなった1名は、よしこさんです。よしこさんはネットの記事に載っていた人です。いつもニコニコしていて私たちのことをよく気にかけてくれる優しいお姉さんでした。立ち上げメンバーの1人でもあります。
もう1名は、かずくんです。支援学校を卒業してすぐに入ってきた男の子です。医療行為が必要な子でしたが、嬉しそうな顔をしてくれたりして私の心を穏やかにしてくれました。

やがて、私はこの作業所を辞めました。
しかし、メンタル面に関しては確実に強くなりました。
この作業所に行ったことは後悔していません。
むしろ、「正面からぶつかってくれてありがとう」の言葉に尽きます。
数年後、この作業所は利用者への虐待が発覚し、合同会社も廃止届が提出されています。
新聞にも掲載されていました。

その後、諦めて地元の作業所に行きました。
当時、障害者の会に入っていて会長さんに誘われたんです。
さをり織りばかりやっていました。
それしかやることがなかったんです。

やり甲斐がないことをしながら「やっぱり就職したい」と思いました。
作業所に行きながら障害者雇用をしている企業の合同面接会に行きました。
どれもこれも相手にしてくれませんでした。
就職するためにはどうすればいいのかと毎日考えました。

大学に行った方がいいのかなと思い、興味があった芸術系の大学と保育系の大学に問い合わせてオープンスクールや説明会に行きました。
大学側は概ね受け入れ可能とのお返事をもらいましたが、保育系の大学に関しては実習は困難と言われました。
残念ながら大学は諦めました。

考えた末、障害者の職業訓練校に行こうと思いました。
願書を出し、受験勉強を始めました。
そして、地元の作業所は辞めました。
とにかく、ここから先へ進みたかったんです。

最初の作業所は1年半通い、次の作業所は4ヶ月通いました。
自分にとって、いい時間を過ごせたなと今は思っています。
とりあえず、行ってみる。やってみる。このことが大切なんだと感じました。

経験って大事ですよね!

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